第70話 ラゴスの……


「……で、結局何の為の通信機だったの?」


 夕食が出来上がり、食堂に集まってどかんと配置された長四角のテーブルの席につき、配膳を待ちながらの雑談の中で、アリスがそんなことを言ってくる。


 書庫にわざわざ隠し部屋を作ってまで大層な通信機を設置した理由、それは……、


「……これだ」


 と、そう言って俺は一枚の紙切れを差し出す。


 通信機の側においてあったそれには、アリスが普段解読してくれている、光信号とほぼ同じ仕組みの、通信器用の符牒でもって様々な単語が……日常ではまず使わない結構な数の単語が書き込まれている。


「『愛してる』『会いたい』『キスをしたい』……何これ」


 紙切れを手に取るなりぽかんとした表情になって、そう呟くアリスに俺は首を左右に振りながら言葉を返す。


「何もなにも……書かれている内容そのままだよ。

 愛人の為に建てた屋敷に、愛人と通信する為の通信機を置いたって、ただそれだけの話だ。

 警察署までケーブルを伸ばして、警察署のアンテナに繋いじまうんだからとんでもねぇっつうか……さすが貴族様というか。

 たかが符牒での会話のためにそこまでして、大金をかけまでして……挙句の果てに愛人に逃げられて……。

 ……でもまぁ、逃げた愛人の気持ちも分かるってもんだな。

 ここまでして自分をこの島に縛り付けるつもりというか、閉じ込めるつもりというか……大事なオモチャをオモチャ箱にしまい込もうとするような貴族の感覚に、ビビったんだろうさ」


 と、俺がそう言うと、クレオが「ははぁ」と声を上げて、ポンと手を打って声を上げる。


「貴族というからには当然本妻がいるのでしょうし……本土からここまでは数週間かかる。

 そうすると会えるのは一年に一度か二度か……。

 年に一度二度しか会えない男のために、通信を送り続けろなんて言われたら、相手がいくら金持ちでも良い男でも無理って訳ですか。

 確かに……本気で惚れていたのだとしてもそれは無理かなぁ」


 その声にアリスがうんうんと頷いて同調する中……出来上がった料理を運んできたルチアが会話に参加してくる。


「アタシは遠距離っていうのもロマンあって好きですけどね。

 昔、この島から本土に行くことになった時……仲良かった子と文通を続けて、そんな雰囲気になったこともありましたし」


 そう言ってルチアは出来たてホカホカのミネストローネと、パンをテーブルに並べていく。


「……昔って、それ一体何歳の頃だ?」


 俺がそう問いかけるとルチアは、サラッとした態度で言葉を返してくる。


「え? 10歳の頃ですけど」


「10歳!? そ、そんな早くから文通とか、恋愛とか、そういう話になるのか!?」


「別に早いってこともないと思いますけど……大体皆さんもそんなものでしょう?」


 と、そう言ってルチアが視線を送るとクレオも、アリスまでもが頷いてその意見に同調し始める。


「……そ、そうなのか、そういうものなのか……」


 いまだかつて一度も、そういったことの経験の無い俺がそう言って怯んでいると、アリスとクレオは何やらニヤつき始めて……そして二人でこそこそと言葉をかわし合い、そうしてからアリスが代表する形で声をかけてくる。


「っていうかさ、ラゴスもいい加減そういう経験しても良い頃合いなんじゃない?

 仕事もあるしお金も使っちゃったけどまぁまぁるし、こんな立派なお屋敷もある。

 良い相手を見つけても良い頃合いっていうかさー、恋愛映画とかも見に行ってるみたいだし? そういう感情が無いって訳じゃないんでしょ?」


 その態度に少し思う所はあったものの……ルチアまでが参戦してニヤニヤとしてしまっているのを見て、抵抗するのは無駄そうだと悟った俺はため息まじりの言葉を返す。


「恋愛映画を見て、なんだか良さそうだなとか思うことはあるし、恋愛ってすごいもんなんだなと思うことはあるが……そんな状態の俺にどうこうと言われてもな。

 今まで生きるので精一杯でそんなこと考えもしなかったし……前にも言ったが相手がいねぇよ。

 こんな体で一体誰と恋愛をしたら良いのやら……。

 ……たまに思うんだが俺って、惚れるとして一体どんな相手に惚れるんだ?

 人間か? 獣人か? それともウサギそのものか?

 一体誰に惚れたら良いんだ?」


 それは俺の本音というか、長年悶々と考えていた悩み事でもある。

 人ならば人に惚れるのが普通なのだろう、獣人なら獣人に惚れるのが普通なのだろう。

 人と獣人も……まぁまぁ似た姿なのだから惚れることはあるのだろう。


 だが人が猿に惚れることはない訳で……そうすると俺は人の恋愛対象にはならないのだろうし……俺自身が誰に惚れるかに至っては俺自身にも分からないというか、見た目がウサギである以上はウサギに惚れる……のだろうか?


 だがしかし正直言って、言葉も喋れないウサギは無理というか……見かけたとしても美味そうなウサギ肉だなとしか思わないというか……。


 ……本当に俺は誰に惚れたら良いのだろうか?


 その至って真剣な、深刻な問いかけは、アリスとクレオとルチアの三人に綺麗に無視されてしまう。


 三人はなんだか冷めたという表情になって……ルチアが席についたのを合図にパンを手にとってもくもくと食べ始める。


「……いや、あの、なんだ……。

 そんな風に無視されても困るんだが……」


 そんな俺の声に対し、クレオとルチアは反応せずに食事を続けて、唯一ピクリと反応を示したアリスは、


「……うん、まぁ、こっちもラゴスがそういった恋バナに向いてないことが分かったっていうか、まだまだ恋には早いことが分かったっていうか……。

 思ったよりラゴスが子供だってことを再認識しちゃって困ってるだけだから……。

 とりあえず今は冷める前に食べちゃおう? で、食べ終わってからちゃんと、しっかりと、皆で話し合おう?」


 と、そんなことを言ってきて、ミネストローネへとスプーンを伸ばす。


 その態度には有無を言わさない何かがあるというか、言い返せない圧力があり……ただ頷くことしか出来なかった俺は、仕方なくパンへと手を伸ばすのだった。

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