十四通目の手紙

「……四十点」突然に、不満そうに女王陛下が口を挟んできた。「ごめんなさい。でも、長すぎて退屈しちゃった、四十点」


 不服そうな彼女を見て、むしろ魔女は喜んでいるようでもあった。それこそが望んでいる反応であるとでもいうかのように。


「まあいいから、続きを聞きなさいよ。……あの女も、心中は穏やかならずとも、見て見ぬふりをしようとしていたんでしょう。いつものことだから、と。こちらはこちらで、そんな彼女を見ても、何事もない風に装う。互いに笑顔で挨拶をするさまなどは、さぞ彼の眼にはグロテスクに映ったことでしょうね。それでも、その危ういバランスを保って上手く行くならば、それが一番だと三人共が思っていたのよ。ところが、どういう意図があったのかはわからないけれど、あの女が、うちの店にやってきた。やっぱりトマトを五つ買いにね。私はいつものように、ただ知り合いに会った、といった具合に何気なく、今日はご主人はどうなさったんですか、と、訊ねたの。どうもしませんわ、ただ仕事が忙しくなったので、犬の散歩は私がやるようになっただけです。あの女はそう答えた。それから、こう付け足したのよ。どうせ犬が食べるものだから、傷もので結構よ。その一言で、私の中には既にいた、ミスター・パンチが目を覚ましたのかもしれないわ。後に起こる悲劇なんて想像もしないで、ちょっと突いてやりたくなったのよ。よく考えれば、彼を愛していたかどうか、怪しいものね。それよりも、どうやってこの微妙なバランスを崩してやるか、そのゲームのシナリオを考えるのが楽しくなったのよ。それが、とうとうあの女を鬼に変えてしまったのだけれど……。私はここにいることで、上手く身を隠してきたつもりだったけど、彼がこの劇団のことを知ったらしいのよ。だから、もう長くはいられない……」


 目にうっすらと涙さえ浮かべながらの、迫真の演技であった。だが、観客からまたしても野次が飛んできて、中断されてしまう。女王陛下が、冷たくこう言い放ったのだ。


「もしもし……一体誰の話をしているのよ?」


「あら、いけない……ごめんなさいね。これは昨日読んだ本の話だったかしら。それとも、別の誰かの話だったかもしれないわね」


 そう言って、魔女はわざと女王陛下を真似て笑い声を立てた。僕は気が抜けてしまって、知らず深いため息が出てしまう。


「ここまで長い話をしておきながら……やっぱり真面目に話す気は無いわけですね」


「いいじゃないの、退屈凌ぎにはなったでしょ」


「……そうですね」


 退屈凌ぎ、いつもならその言葉を喜びそうな女王陛下は、相変わらず、何故か不機嫌そうな面持ちで、不平を述べた。


「長い上につまらないわよ。それに、嘘としてはちょっと不出来な嘘ね」


「あら、そうかしら」


「嘘を尤もらしく聞かせるには、ある程度真実を混ぜるのが定石よ。なんとなく、信じるに足る部分があるように思えるでしょう、そうすると、嘘の部分もなんとなく本当なんじゃないかって知らないうちに思うわけ。その場合の、嘘と真実の黄金比率があるんだけど……そこまでは教えるわけにはいかないわね。世の中皆嘘つきになってしまうもの」


「流石、詐欺師の役にぴったりだと見込んだだけのことはある。残念だな、脚本の修正が必要無くなってしまって」


 褒め言葉と言う名の皮肉を僕が言うと、女王陛下は、深々と頭を垂れた(余談だが、こういった言い方は、どうもちぐはぐな気がするが、彼女は本物の女王陛下ではないので、いいだろう)。


「ありがとう」


「やっぱり君も彼女も真実を語らなさそうだから、話は半分くらい聞き流すようにした方が良さそうだ」


 もっとも、二人に限らず、ここの連中の誰の話にしたって、それくらいの気持ちで聞いた方がいいだろうが。魔女は、僕の言葉に、にやりといかにも魔女らしい笑みを見せる。


「今の話、次の演目に使ってもいいわよ。それこそ、そこの詐欺師まがいの女が主演するのに相応しいんじゃないかしら」


「……まあ、それもなかなか魅力的ではありますが……それよりも、一つ僕の中にもっと面白い案があるんですよ。でもねぇ……本来の脚本家が戻ってきてしまいましたからね……」


 ちらりと、僕は魔女の傍らに立つ男に視線を投げかけた。もしや、彼は自分が脚本を書いているということになっていることを、忘れているのではないか。ややしばらくの時間を要してから、彼は思い出したしたように、ああ、と唸ってからこう言った。


「俺のことはもう気にしなくていいですよ。脚本家の席は、あなたに譲ろうじゃないか」


「それは有り難いですが……今の話の真偽や、本当の企みはともかくとして、どの道あなたが本当に戻ってきたわけじゃないなら、裏方としっかり話を付けておいた方がいいですよ。いくら杜撰な人間の集まりとはいえ……困るでしょうから」


 僕がそう釘を刺すと「わかってるよ」と、彼はまた例の軽薄そうな笑みを見せて言ったが、本当の意味をわかっているだろうか。しかし、この宿に取り憑いたゴーストのことをもっと気にするべきだ、そう忠告したくなったが、その前に、二人はどこへ行くのかは知らないが、もう薄暗い廊下の奥へと消えていこうとしていた。去りゆく二つの背中に、女王陛下は呼びかける。


「ねえ、無事に舞台の幕を上げられそうで良かったわね。……花火でも打ち上げる?」


 足を止めた魔女は、振り返って微笑んだ。


「そうねぇ……うんと派手で大きいのをね」


「楽しみね、今度こそ面白くなるように期待してるわ」


 女王陛下も目を細めて、微笑む。先ほどの作り話の所為だろうか、女の企みほど恐ろしいものもないと、僕の背筋には寒気が走った。魔女はそれ以上何も言わず、今度こそ相棒を連れて廊下の闇の向こうへと消え去ってしまった。


 二人の姿が完全に見えなくなると、僕は一息ついて寒気を追い払ってから、どこか独り言のように呟いた。


「君って、上手く波風を収める人のように見えて……実は別の突風を起こして、打ち消してるだけじゃないか。場合によっては、二つの風がぶつかって、より大きくなりそうで、性質が悪い」


「晴れの日よりも、嵐が好きなの」


「迷惑な……」


「一番嫌いなのは、退屈だからね」


「巻き込まれる方は、たまったもんじゃない」


「そんなことを言っても、もう嘘にしか聞こえないわよ、下手くそね」


 くすくすと笑う女王陛下を、少し憎たらしくも思うが、しかしその声に聴き惚れている自分の耳を、否定することは出来なかった。


「でも、わざわざ自分で面倒を起こそうだなんて思わないよ。……だったら月曜日にくしゃみをするといいんじゃないか」


「なんで?」


「危険なことが起こるかもしれない」


「そりゃあ楽しみ!次の月曜日に、さっそく無理にでもくしゃみをしてみるわ」


 次の月曜日。それは、いよいよ劇の幕が開く日である。彼女がくしゃみをしないことを、僕は密かに祈っていた。それでも平和主義者であり(これも下手くそな嘘に聞こえるだろうか?)、迷信は信じる方なのだ。

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