14、逃避①

ロゼリアは王城内の来た道を引き返していく。

一歩一歩を大きく蹴りだし足裏で床を踏む。

身体の望むままに歩くのは爽快だった。


「アンジュ王子」


文官の一人に呼び止められた。手に書類を持っていて、何か確認することがあるようだった。

先程すれ違った一人で、ロゼリア姫だと腫物を触るように道を空けたが、王子姿だと今度は逆に追ってくる。

ロゼリアは彼の名前を言う。

以前は普通になんのてらいもなく仕事をしていた仲間だった。


「午後から休みにする」


ロゼリアは差し出された書類を手で押し戻した。

文官ははっとして顔をあげ、食い入るように彼らの王子を見た。

こんなにはっきりと拒絶をされたことがなかったからだ。

いつもアンジュ王子は何をするにしても申し訳なさそうな雰囲気があり、この数週間で新しいアンジュ王子にようやく慣れてきたところだったのだ。

ようやくアンジュ王子も、王子として自信がでてきたというところなのかと彼は思う。


「休みを取り、どちらに行かれるのですか?」

「鈍った体を動かしてくる」

「体を、ですか?」

「わたしは城下のディーンのところにいる!体がなまって元気がでなかったんだ」


ロゼリアは彼をおいていく。

今度は誰もロゼリアを避けない。

ただ風をきり颯爽と歩く姿には、どこか違和感を感じさせ、中には振り返ってしまう者もいたのだけれど。


ディーンは思った通り、修練場の近くのカフェにいた。

ひとりではなくて、女と一緒である。

食事もとれるカフェで、ゆたりとしたソファが寛ぐによさそうである。

そのソファにディーンは深々と腰を落とし、女は隙間がないほど体を寄せている。

まだ肌寒い日もあるにも関わらず、大きく胸をはだけさせ、その肉感的な魅力を隠しもしない女だった。

ディーンは女の存在など気にもしないように、低いテーブルに置かれた大きな皿にこまごまと並べられた料理を平らげていた。


きりっとロゼリアの胸が痛む。

女を傍に寄せる師匠を見たことがなかったからだ。

ロゼリアの知るディーンは、女の体に触れることをことさらに避ける男である。

それは、女というよりも、生徒や、もしかして少女の体を、ということだったのかもしれない。


健全な男であれば、もう4年も腰を落ち着けている町で彼を慕う女が一人もいないという方が、おかしいのではないかと思う。

ディーンはたまに意地悪なところはあるが、豪胆で、精悍で、ある意味、頑なで真面目な男だった。

彼の元でロゼリアもアンジュも鍛えられたのは確かである。

アンジュは自分から剣を好んで振るうことはないだろうが、ディーンの弟子の端くれといえるぐらいには強くなっていた。

もちろん一番弟子はロゼリアなのだが。


ディーンは予定外の訪問者に片眉をあげた。

数種類の皿の料理をひとまとめにして口の中にかきいれた。


「なんだ?アン?今日は修練日ではなかっただろう?それにこのところずっと休んでいただろ。もう修練は終わったと思っていたよ」

そういいながらも、口を尖らせた女の頬に唇を寄せ、何かをささやきご機嫌をとる。

女は笑顔になりつつ、「じゃあ、今夜ね」と、ロゼリアにも聞こえるように言った。

ロゼリアを恋人の生徒とみて、とっておきの笑顔を向けた。

艶やかな大輪の花が咲いたような笑顔であった。



ディーンは赤毛をガシガシとなでつけながら、ロゼリアを連れだって修練場にいく。

週に5日。12の時から4年間通った修練場である。

床の傷やくぼんだところ、柱の傷まで知っている。

悔しさも苦しさも、汗も涙も、時には血も流したこともあった。

ロゼリアのもう一つの居場所ともいうべきところだった。


「いいのか?彼女との食事時を邪魔して申し訳ない」

「ああ?気にするな。あいつはいつでも会えるが、お前は最近忙しくして会えないから、貴重度でいうとお前の方が何段階も上で、俺の中では最優先の弟子だ」

「彼女より上」

そういわれると嬉しくなる。

「で、獲物はどうする?ありか、なしか」

「なしで!」


ロゼリアは上着を脱ぎ、全方向へ機敏に動けるように腰を落し構えた。

ディーンがシャツの袖をまくり上げるのを待たずに、足を鞭のようにしならせ蹴りをいれていく。


「うわっ、なんかたまってるな!ここに来ない間、何もしていなかったのか?王城内にだって修練場ぐらいあるだろ!」

慌てたようにディーンはいうが、その顔は笑っていて余裕である。

そして体術の修練が始まったのである。


ロゼリアはまわし蹴りをこねかみに狙う。

固い前腕で阻まれる。

筋肉が盛り上がる腕には無数の傷跡が引きつる。

幾つもの戦場を渡り歩いたディーンの体には腕だけではなく、背中も、腹も、足も、数えきれないほど傷を背負っている。

ロゼリアはすべてを知っているわけではないし、見せてといったら背中を見せてくれたことがあるが、何かのはずみでディーンの身体の傷をすべて数えたいと言ったことがあった。


「俺の体の傷を数えさせてやるのは、俺の女だけだ」

ロゼリアは即座に断られたのであった。

そのことをロゼリアは思い出した。

カフェの女は、ディーンの体の傷を指で添わせながらひとつひとつ数えたのかもしれないと思う。


「おい、考え事か?アンさま余裕だな!」

ディーンはひと通り、ロゼリアのやりたいように攻めさせた。

それらをかすりもさせず軽く凌ぐと、ディーンは襟を取ろうとしたロゼリアの手をはらい、逆に襟首をつかんで足元へ引き倒した。

背中をしたたか打ちつけて、肺から空気が一気に押し出された。

視界が一瞬真っ暗になり、ロゼリアは空気を求めて咳き込んだ。


「、、、で、なんで姫さまこんなところに来るんだ?」

ディーンはすぐに起こそうとしなかった。

片膝をつき、ロゼリアの喉元を掴み、腕でロゼリアの胸を体重をかけて押さえつけている。

答えなければ、このまま締め技に入られそうな、おちゃらけたところのない声色であった。


「か、体を動かしたくて、、、」

苦しくてはね飛ばそうとしてもディーンの体は重くて動けない。

いつもより長い押さえ込みにロゼリアは軽くパニックを起こしかける。


力勝負ではディーンにはロゼリアには万に一つでも勝てるチャンスはない。

だから、武器を使わない勝負では、蹴り技、足技、関節技、締め技、そういった、対格差や力の差があっても、対等に近い勝負ができるように、ロゼリアはディーンから学んできたのだ。


「ディーン、苦し、、、」

ロゼリアがいうと、ディーンはようやく体を解放した。

手首を掴んで引き起こす。

「わたしがアンじゃないといつわかった?」

苦しさににじんだ涙を払い、服を整える。


ディーンは眉をあげて、大げさにまさかという顔をする。

「アンジュとあんたじゃ、違いすぎるだろ?」

「わたしが王子になりきれば、ほとんどのひとは王子だと思い込むわ」

ロゼリアは吐き出した。

「女で王城に閉じこもっていると肺に呼吸が入ってこないような気がする。息が詰まるの。

もう限界だった。おかしくなる一歩手前まできていたわ!」


ディーンは黙ってロゼリアの訴えを聞いてくれる。

だから、ロゼリアは思い切っていってみた。

「たまに、こそっと入れ替わって体を動かしにくる。今日みたいにばれないといいんだけど」


ディーンはロゼリアの顔を覗きこんだ。

いつになく真剣な、大人の男の表情だった。

ロゼリアのやりたいということをあきらめさせる時の、物分かりのよさを装う表情であった。

だが、駄目かもと気持ちが冷えていくロゼリアに、ディーンは優しくいう。


「なるほど、お姫さまは心底退屈しているんだな。体を思いっきり動かしたいのであれば、ここに来たら稽古ぐらい相手になってやる。だが、おまえに忠告しておくが他の奴ならわからないかもしれないが、さっきも言ったように、あんたは俺は騙せない」


「騙すって、わたしがアンにはみえないこと?」

「そう。俺の目にはどんな格好をしてきても、ロゼはロゼにしか見えない」


そういわれても、手を合わせて向かい合ったアンジュは鏡に映る己の姿だった。

自分でさえ欺けるぐらいにそっくりだと思うのだ。



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