栗本法相の接近

 栗本法務大臣の定例記者会見において、毎朝新聞記者・瀬口大輔が質問の手を挙げた。

「再審請求中の死刑囚への執行について、大臣はどのようにお考えでしょうか」

「法的に見て、再審請求そのものが死刑の執行停止の理由とはならないと考えております。つまり法務大臣の死刑執行命令には、死刑確定者が再審請求中であるか否かは何ら影響を及ばさないとご理解いただければと思います」

「しかし、実際には死刑確定から執行までの期間が早い者もいれば長い者もいます。この格差の背後には政治的力学が作用しているのは明白です。にもかかわらず再審請求など歯牙にも掛けないというのは、人権蹂躙ではありませんか」

「法務大臣による死刑執行命令は、関係記録の内容を十分に精査させたうえで、刑の執行停止、再審または非常上告の事由の有無、恩赦を相当とする情状の有無等について慎重に検討し、これらの事由等がないと認めた場合に発せられるものであり、いかなる政治的力学の及ぶところではありません。そして先程も申しました通り、再審請求が死刑執行停止に影響しないことは法的な見解です。もし国民の皆さんが人権に抵触するとお考えであれば、法の改正に反映されるべきであると考えます」


 記者会見を終えて、瀬口が帰途についていると、背後から黒塗りのハイヤーが近づいて来て、瀬口の横で止まった。パワーウィンドウがスーッと下りると、中から栗本法務大臣が顔を覗かせた。

「これは栗本法務大臣、まだ何か?」

「……ちょっと乗って行かない?」

 栗本法務大臣の手招きに応じて瀬口はその車に乗った。そしてしばらく走った後、人目につかない場所で停車し、栗本は運転手にしばらく車から出るよう命じた。

「質問内容へのクレームですか? 大臣らしくないですね」

「みくびらないで。私はそんなことで腹を立てたりしないわ。……あなた、櫻井幹事長付きの記者さんだったわよね」

 櫻井の名前を聞いて瀬口は身構えた。

「ええ、そうですよ。あなたが櫻井先生の命令を無視したことで、党内は大騒ぎじゃないですか。言っておきますが、今回の質問は別に意趣返しとか、そう言うのじゃないですから」

「それもわかってる。だって櫻井なんて今や沈みかけのタイタニックよ。あなたも逃げ方を考えてるんでしょう?」

「別に逃げようだなんて……それに櫻井先生はそんな簡単に沈んだりはしませんよ」

「単に党内の勢力争いならそうかもしれない。でも櫻井落としに動いているのは同民党だけじゃないわ……アメリカまで櫻井の首を絞めにかかっているのよ」

「本当ですか?」

 疑問形で応えたが、もちろんその噂は耳にしていた。

「アメリカ合衆国上院外交委員会のフィリップ・ハーンが鵜殿泰平と接触したのよ。おそらくその狙いは、泰平の乱の再開。でももしこれが成功したら、同民党はアメリカのパシリよ」

「まさか大臣は櫻井先生を庇うおつもりで?」

 すると栗本は高笑いした。

「ハハハ、冗談キツイわね。どうして私があんな古だぬきを? 違うわよ、アメリカ=鵜殿がやる前に、私たちが櫻井を亡き者にしてやるのよ。そうすればアメリカの顔色なんて気にする必要はなくなる」

「なるほど。それはわかりましたが、私に何を期待してそんな話を持ちかけたんですか?」

 すると栗本大臣は一枚の写真を出した。若者たちが何やらいかがわしいパーティーをしている写真だ。

「これはDNSA(同民党ネットサポートエージェンシー)がSNSに流布した写真でね、写っているのは政清党の中川陽一郎氏。つまり、彼が海外で大麻に手を出したってスキャンダルなんだけど、ネットに流れた途端、櫻井が削除させたの。どうしてかわかる?」

「櫻井先生にとって都合の悪いものがそこに写っていた……」

「その通り。ここに写っているこの男……櫻井幹事長の息子、櫻井拓也よ」

「つまり、私にこの写真を効果的に公表させて、櫻井先生を転覆させようという狙いですか」

「それもいいけど、それじゃつまらないわね。櫻井が気にかけているのは拓也が海外で大麻を吸っていたとかそんなちっぽけなことじゃない。拓也は櫻井を木っ端微塵にするほどの爆弾を抱えている筈なの。だからハーン氏はすでに腹心の部下を拓也の周囲に侍らせているわ。……あなたにお願いしたいのは、拓也が抱えている爆弾の正体を見極めて欲しいということよ。もちろんそれなりの御礼はさせていただくわ」

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