ポートピア

 神戸は琵琶湖よりも距離的には近い筈であるが、随分遠くに感じられた。ポートアイランドまでは乗り込まず、三宮からポートライナーに乗ることにした。バイクで橋を渡るのが面倒だったのもあるが、何かと話題になっていたポートライナーに乗ってみたかったのが大きな理由だった。そして目を輝かせて車窓を楽しんでいる美優の横顔をみながら、その選択は間違っていなかったと草野は思った。

 電車を降りた時、草野は公衆電話を見つけた。その時、澤村に美優を見つけたことを報告しなければいけなかったことを思い出した。

「ちょっと待って。電話してくる」

 草野は電話機に小銭を入れ、ダイヤルを回した。ルルルルという呼び出し音が鳴ったかと思うと、美優がいきなり電話機のフックを押して、小銭がジャラジャラと取り出し口に落ちて来た。

「何するの?」

「お父さんに電話しようと思たんやろ。お願い、まだ何も言わんといて」

「いや、そんなわけにはいかないよ」

「お父さんには私からちゃんと話しとく。草野さんには迷惑かけへんから」

 美優は強い視線で草野を見つめた。それに気圧された草野はしぶしぶ承諾した。


 会場に入ると、あちこちに行列が出来ていた。食事、清涼飲料水やアイスクリームなどを買うにもかなり並ばなくてはならない。しかし、全てのパビリオンに行列が出来ていたわけでなく、不人気のパビリオンはガラガラで、待たずにスッと入れた。展示内容には興味はなかったが、この炎天下で涼むためには、それらの不人気パビリオンで過ごすしかなかった。だが、そのようなところばかり行っても物足りなくなって来たので、一軒だけ並んで人気パビリオンに行こうという話になった。

「僕は大阪ガスのパビリオンに行ってみたいな。映画のストーリーを自分で変えられるんだってよ? 面白そうじゃん」

「えええ……私、住友館がええわ。なんかかわいいし」

 草野は逆らえなかった。何しろ今日の主役は彼女なのだから。美優が並んでいる間、草野はソフトクリームを買いに行った。


 二人でソフトクリームを食べながら、三十分ほど待ってようやく入場出来た。住友館はぬいぐるみロボットによる人形劇だった。パンフレットでは最先端のテクノロジーを強調していたが、実際に鑑賞してみると、単なる子供向けの人形劇以外の何物でもなかった。しかし、美優はしきりに「かわいい」と言って満足そうであった。その様子を見て、草野は不覚にもかわいいと思ってしまった。

(まさか……僕はこの娘に惚れてしまったのだろうか?)


 各国の国際館を足早に周り、文字通りの客寄せパンダであるロンロンとサイサイを見物した後、「観覧車に乗ろう」と美優が言った。だが案の定、観覧車の乗り場まで長い行列が出来ていた。しかも並んでいる顔ぶれを見ると……

「なんか、アベックばっかりだね」

「何言うてんの、私たちかてアベックみたいなもんやん」

 草野は動揺した。大の大人が、まだ成人もしていない少女に踊らされている情けなさも、胸の高鳴りにかき消されていた。そして、ゴンドラに乗り込んだ時、その鼓動はさらに激しくなった。小さな密室の中で、美優の髪に染みついたシャンプーのほのかな香りが広がり、フェロモンとなって草野の鼻先をくすぐったのだ。さらに猛暑を見越した彼女の服装は露出度も高く、否が応でも男心を掻き乱された。

 そんな居心地の悪さを払拭するように、草野は何か話の続きそうな話題を探した。

「美優ちゃんは、どんな音楽が好きなのかな?」

「うーん、サザンオールスターズとか、とか……」

「えいちゃん?」

「えいちゃんゆうたら、矢沢永吉やん。草野さん、遅れてんなあ」

「あ、そうか、ははは。いや、ピアノ本格的にやってる子は、ショパンとかベートーヴェンを普段から聴いているのかな、と思って……」

「何でやの。八百屋かて肉食べるやん」

 これが八百屋=クラシック専門家、肉=ポピュラーを比喩していることを理解するのに、草野は若干の時間を要した。

「それにやな、ベートーヴェンもショパンよりも、矢沢永吉の方がずっとカッコええやん」

 そう言って美優は少し頬を染めた。

「へえ……矢沢永吉って言えば、男っぽさ路線だよね。美優ちゃんて、ああいうのが好みのタイプなの?」

「好みのタイプ……とはちょっとちゃうかな。恋人にするんやったら、……草野さんみたいな人がいい」

 そう言って美優は恥ずかしそうにうつむいた。草野はたまらなくなった。そして気がついたら、彼女の唇を奪っていた。そして……


 バシン!


 美優の平手打ちが草野の左頬を直撃した。

「何するねん!」

「ご、ごめん、さっき君がアベックだって言ってたから、ついそういうことしてもいいかなって思っちゃって……」

「アベックやからって何してもええわけちゃうやん。順番とか手順とかあるやろ」

「はい……すみません」

 それから草野は何も言うことが出来なくなった。


 それから二人の間に会話らしい会話もなく、哀愁デイトの幕が閉じた。ポートライナーを三宮で降りた時、美優は電車で帰ると言い出した。本当は送って行きたかった草野も、無理強いは出来る状況ではなかった。それでも気まずいまま別れたくなかった草野はとにかく詫びた。

「さっきはごめんね。つい魔がさして……」

「ちょっとびっくりしただけやから、気にせんといて。ほなね」

 美優はねた素振りで駅の改札を通過したが、時々嬉しそうな表情を浮かべていたことに、草野は気がつかなかった。

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