【番外】セリーヌ・ヴァインシュタインという名の彼女。

第105話 ルーク・ヴァインシュタイン。

「魔王の気が消えた、だと?」


「はい。大魔導師イクシア様によるとこちら側に滲み出ていた魔の気が昨夜のケンタウリ大森林の大爆発後消失したとの事です」


 執務官の報告にルーク・ヴァインシュタインは顎に手を当てて少し思案すると椅子を軋ませながら立ち上がり。


「イクシアを呼べ。直接話が聞きたい」


 手を伸ばしそう指示を出した。




 ルークは黒服の執務官が一礼しすみやかに退出するのを眺めながら、ため息をつく。


「またあの姉様が何かしたのだろうか?」


 そう呟くと、椅子に深々と座り背もたれに体重をかけ、天を仰いだ。




 セリーヌ・ヴァインシュタイン公爵令嬢。


 まあ今では父バーンから家督を継ぎ自分が公爵となっているわけだから、前公爵の令嬢と言うべきか。


 ルークの姉、セリーヌはある意味この国では特別な存在であったのだ。


「子供の頃は良かったのだけどな」


 そう吐き出すように呟いたルークは、テーブルの上の報告書の束を手に取って思案する。




 山が三つ消しとんだだの、森が禿げただの。


 遺跡の場所だけは無事だったのが救いか、それともそれも必然か。


 茫然自失の状態で発見された勇者ノワールとサンジェルマン侯爵家のレイア嬢、か。


 ふむ。


 やはり姉様は生きていたのだな。


 そう。


 ニヒルな笑みを浮かべ、ルーク・ヴァインシュタイン公爵は手に持った報告書を破り捨てた。






 ☆☆☆




 あれはまだルークが物心ついたばかりの頃。


 父も母も姉様を腫れ物のように扱っていたのが不思議だった。


 可憐なそのふわふわの金髪が好きで。


 小鳥のような声が好きで。


 そして、自分を見て微笑んでくれるその笑みが、大好きだった。



 四つ年上の姉様はまるで天使のようなその笑みを浮かべルークにそう囁いてくれた。


「ルーク、ルーク、かわいい子。大好きですよ」


 と。


 自分だけに向けられるその好意が嬉しくて。幸せだった。そう、あの時までは。


 あの、飼い猫のデュークが鳥に襲われ大怪我を負ったあの時の出来事が。


 忘れることの出来ないあの事件が。


 ルークの頭の中に渦巻いて……。







 ☆☆☆





 コンコン


 扉を叩く音。


「宰相閣下、イクシア殿をお連れ致しました」


 過去の回想に浸っていたルーク、その声に意識を取り戻すと、


「入れ」


 と一言だけ声を放ち椅子に座り直した。




 白い髪、白い長い髭。


 白銀のローブに身を包むその大魔導師イクシア。


 その彼はゆっくりと部屋に入ると、ルークを見て言った。


「宰相閣下、貴方もやはりそうお考えですかな」


 モノクルをきゅっと左手で支えこちらを覗き見るイクシア。


 ああ、こやつのこの何もかもを見透かしたような顔。気に入らないな。


 そう思いつつも自分よりも遥かに年齢を重ねたこの大魔導師に表向きの敬意を払って見せつつルーク。


「さすがイクシア殿。何もかもお見通しなのですね」


 そう、笑みをこぼしてみせた。


「ラギレス様はどうやらまた次元を超えられた様子ですな。魔王の気が消失したのも彼の方のお力ゆえでしょう」


 何? 姉様は既に居ないのか? 


「姉上はまたこの世界より去ってしまわれたというのか?」


「ええ。また次におかえりになるのを待たねばなりません」


「そう、か。して、あの娘、レイア嬢だが……」


「ラギレス様が依代に使っていらしたのは間違い無いでしょう。彼女の魔力紋は完全にラギレス様の色に染まっておりますからな。しかし、現在は若干のカケラを残すのみかと」


「なるほど……」



 聖女ラギレス。


 女神ラギレス。


 彼女をそう呼び崇めてきた張本人がこの大魔導師イクシアであった。


 齢既に千を越すこの国の宝にして最高位の魔導師であるイクシア卿。


 筆頭公爵であり宰相を司るルーク・ヴァインシュタインであっても、彼の言には異を唱えるのは難しい。


 国家の行末に於いてもイクシアのアドバイスや予言に頼る始末である。



 その彼がラギレスを女神だと称えるのだ。


 セリーヌ・ヴァインシュタインの真名、「ラギレス」


 彼女こそがこの世界の女神であるのだと。



 であるなら。


 それを信じるしかないじゃないか。


 そう、ルークは思うのだ。

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