第2話 決して心折れぬと誓うキシュナウの妖魔帝国軍司令官
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5の月30の日
午前11時10分
キシュナウ・妖魔軍西方第3軍団地下司令部
人類諸国にとって旧東方領であり、かつては中南部の主要都市だった旧キシュナウ市。
現在そこには魔物中心で粛清対象となり送られた軍人が指揮官となっている妖魔軍西方第三軍団の勢力下になっていた。
その数、約二十万。アカツキ達第二方面軍の数を上回る軍勢である。しかもこの西方第三軍団はこれまでの戦いとは違う編成になっていた。
相違点は三つ。
一つは、洗脳を施してある魔物中心とはいえ魔人で構成されている師団が三個あること。約二十万のうち三万人は魔人である。
二つは、先の通り約二十万の大軍勢であること。しかも魔物軍団には魔法が使えるものがこれまでより二割ほど増している。
三つは、装備面。魔人の師団、三個師団の装備は魔法を使える者は杖の他に型落ちとはいえ魔法銃を持っており、魔法を使えない魔人も旧式(ただしこれまでよりはずっと新しい)の銃を持たされていることである。さらにこちらも旧型だがそれなりの数の野砲などが存在していた。
故に西方第三軍団総司令官、二枚の黒翼を持つ壮年の男性魔人レフノロスキー少将はこう思っていた。
「キシュナウにいる我々は今までのようにはいかぬ。やすやすとやられる事は無い」
このように、彼の自信や気概を裏付けるのが三つの理由だった。食糧や物資の補給はやや滞りがあるものの五の月中旬まではほぼ問題なく届けられていたし、出処は伝えられていないが後方からはジトゥーミラで何が起こっていたかの情報も届けられた。
だからこそレフノロスキー少将は備えとしてキシュナウ市郊外に魔物軍団を配置して防御態勢を敷いて柵や塹壕を作り、市内には情報にあって空爆対策として昨年末頃から資材不足もあり深度は浅いが地下壕も掘った。
ここまで対策を講じれば存分に戦えるだろう。と、彼も魔人達も自信を持っていたし、それだから先日敵召喚士偵察飛行隊がバラまいた降伏を促すビラにも一笑に付していた。
「降伏すれば命は保証する。三食すらも保証しよう。だと? はっ! 片腹痛いわ! 何故我々が人間共に降伏なぞせねばならんのか!」
この発言はレフノロスキーが発したものである。彼の自信に満ちた発言によって西方第三軍団の魔人から投降する者は一人もおらず、士気の低下は無かった。
ところが、である。彼らの余裕はとある日を境に一変する。
きっかけは召喚士偵察飛行隊が攻撃飛行隊を伴って強行偵察を行ってからだった。
この時、対空射撃として放った魔法が少数の召喚動物を直撃し消失した――実際はマニュアルに則って大ダメージを負った場合は召喚解除をしただけ。無論、しばらくその召喚動物は回復まで召喚不可能になってしまうが――戦果を彼らは得ており自分達は戦えるぞと意気高らかになっていた。
だが翌日、召喚士攻撃飛行隊と共に現れたのは桜色の髪に漆黒の衣を纏う人形だった。
初めてそれを目にしたのは対空射撃を担当している部隊を指揮する魔人の少佐だった。
「あれが、漆黒の衣を纏う魔神。黒衣の魔神人形か……。情報に比べて随分大きいようだがまあいい。奴が漆黒が出現したぞ、総員最大火力で迎撃しろ! 防御担当は魔法障壁を最大展開だ!」
妖魔帝国軍によってある程度整備されたキシュナウの中でも高い建物から、単眼鏡にて漆黒の衣を纏いし魔神もといエイジスを発見した少佐は的確に命令を飛ばしていく。信号弾が打ち上げられ、キシュナウ市内にいる対空射撃部隊の魔人の兵達に伝わる。
異変は、この信号弾発射から始まった。
「し、漆黒の衣が加速を開始! 推定速度、百二十、百四十、百六十なおも加速!?」
「馬鹿な!? 空を飛ぶだけで厄介極まりないのに時速百六十を超えるだと!?」
「間もなく市街に到達! 北西部区域に侵入します!」
部下からの観測報告に少佐が驚愕するのも無理はない。召喚士偵察飛行隊の召喚動物の速度ですら飛行している時点で捕捉しづらいというのに、それを軽々と上回るスピードでエイジスが迫ってきたのである。
北西部区域からは早くも対空射撃が行われるがまるで先読みしているかのように乱数機動でエイジスは回避し、そして少佐達は驚くべき光景を目の当たりにする。
「なんだ、アレは……」
「綺麗だ……」
少佐が唖然とし、場からすれば不謹慎な言葉を口にしたとある部下が目撃したのは空高くに浮かぶ推定二百の光り輝く魔法陣。半分は緑白く、半分は赤かった。
発せられたのは、風属性の後に火属性の魔法。妖魔帝国で信仰される魔神の瞳が如くまるで一人一人の位置すら把握しているような正確無比な攻撃が北西部区域を襲い、一瞬で沈黙した。生き残っている者も火達磨であった。
「ちょ、長距離魔法攻撃に移行しろ! 誘導術式も付与! 撃ち落とさないと殺されるぞ!」
「りょ、了解!」
「対空総攻撃の信号弾出します!」
我に返った少佐は目の前で起きた恐怖に対して任務というより生き残る為の命令を下す。彼の目から見たら中級魔法以上を百どころか二百も放つような者など悪魔より悪魔らしい存在だ。殺らねば殺られると悟った部下達も冷静さを保とうとしながらエイジスに対して攻撃を行う。
「そんな! 当たらないなんて?!」
「誘導術式が逸れるだと!?」
「は、早すぎる! これではとても追えません!」
「推定時速二百をオーバー! 未知の領域です!」
「二百だとぉ!? まだ加速しているのか!?」
「北部区域沈黙! ああぁ! 北東部も!」
「ふざけるなふざけるなふざけるな! 全力で応射しろ! 撃ち落とせる自信が無い奴は障壁構築に回れ!」
この世界に生きる人類やエルフドワーフにとっても、魔人達にとっても未経験の領域である時速二百キーラ。魔法攻撃は速さに対応出来ず逸れるばかり。アカツキの前世ならば予測位置を割り出して攻撃するという手法もあるが、この世界にそのような技術を持つ者はいない。
エイジスは魔人からの目線であれば嘲笑うかのようにいとも容易く回避し、そうして少佐のいる中央区域に迫ってきた。
「ひ、ひっ! 黒衣が猛烈な速度で接近! 距離三千!」
「ちぃ! 魔法障壁全周展開!!」
「了解っ!」
しかし現実は無情である。
数秒後にそこにあったのは北西部区域や北部区域等と同じ光景。破壊された建造物と消し炭になった死体だけであった。
結局報告に比べて大きかったエイジスによって対空射撃部隊は潰滅。直後に襲来した召喚士攻撃飛行隊によって空爆に晒された。
緊急で地下壕に避難したレフノロスキー少将は、空襲後の惨状を目の当たりにして頭を抱える。
「本国から与えられた情報とまるで話が違うではないか……。大きさすら、違うとは……」
「対空担当部隊は潰滅しました……。今回の空襲を受けて無防備になってしまい……、再編成が必要な水準です……」
「やはり、本国にとって我々はその程度の存在なのか……。そうなのか……」
「少将閣下……」
「……すまん。今すぐ魔法が秀でた者、特に追尾術式を使いこなせる者や数を撃てる者を選抜しろ。でなければ魔神人形に一方的に焼かれ切られる」
「はっ」
意気消沈していた少将はなんとか立ち直り、副官へ指示を出す。この日を最後に、レフノロスキー少将は一日の大部分を地下司令部で過ごす事になる。
翌日、エイジスは襲来しなかったものの対空体制が非常に薄い魔物軍団に対しての爆撃があった。市街にはあまり爆撃が無かったものの面より点で投下されてる気がしてならないレフノロスキー少将は寒気を感じる。
翌々日、この日もエイジスは来なかった。偵察飛行隊が中心だが彼は悟る。対空体制にどれくらい綻びが生じているかを観察しているのだ。この日も爆撃があった。狙われたのは兵舎。期間はともかく限られた資材では地下全てに兵が収容出来ず、そもそも自らが駐屯していた地域だけに寝食の場は元からのを使っている。そこを連日の偵察の結果と対空体制が弱まったのを狙ってやられたのだ。
偵察と爆撃、そしてエイジスの再襲来がある内にあれだけ意気旺盛だった妖魔軍は寝不足と精神的摩耗で士気は低下。
そのような時、二十六の日の夕方に追い討ちをかけたのは、空襲後に投下されたビラだった。数は二種類。
数は少ないもののそれは写真であり誰かの直筆メッセージが書かれたものと、前回と同じタイプだが文言以外も違っておりこちらは多数撒かれたビラ。
一つ目の絵はレフノロスキー少将や副官、参謀などなら一度は見た事がある顔で、筆跡も覚えのあるものだった。
その写真はとある女性と数人の男性が笑顔で食事を摂っている場面だった。そして、メッセージはこうだった。
『私達は三食のご飯と暖かい寝床を用意されて過ごしています。粛清と処刑の恐怖に脅かされる必要もありません。人間達は私達の想像より、ずっと悪くない人達です』
「こ、ここ、これは……、ダロノワ大佐達で……、しかもこの字は彼女のじゃないか……」
「帝都ですら滅多に見られず、上流貴族くらいしか撮られた事のない写真です……。数は回収した分を含めてかなり少ないですが……」
「ビラの方はなんと書いてあった……」
「士官用と士官以下用の二つがありまして、士官用には『どうして恐怖政治を強行し、君達を不当な扱いをする皇帝に従うのか? 家族を奪われたのにまだ皇帝が始めた身勝手な戦争に付き合うのか? 君達は皇帝の為に死ねるか? 投降すれば命と衣食住を保障しよう』でして、士官以下用には文字が読めない者のためにも絵も絡めて分かりやすく温かい飯と布団が保障される、と……」
「卑劣な人間共め……。だが、効果は抜群だろうさ……。絵ならともかく、国内でも有名なダロノワ大佐の写真にメッセージ付きなど説得力がありすぎる……。空を支配しているからとこのような手を思いついくとは、クソ共め……」
吐き捨てるように言うレフノロスキー少将。
連合王国と協商連合の二カ国軍は空からビラを撒く、いわゆる前世で言うプロパガンダを用いて心理戦を行ってきたのだ。提案したのはアカツキと参謀本部。
敵の心をくじき味方の損害を減らす為のものなのだが、レフノロスキー少将の言う通りその効果と影響は大きかった。
翌日、二十七の日に妖魔軍を定時点呼をやれる範囲でしていたが昨日より数が減っていたのである。後に詳細な数が判明するのだがこの日だけで士官クラスが二百二十八名、下士官以下が千二百六名が投降した。
本格的な戦闘に入る前に仲間が降伏した衝撃は大きく士気の低下に拍車をかける。
だがレフノロスキー少将も黙っている訳では無い。やむを得ずだが恐怖と相互監視でこれ以上の投降者をなんとか防いだ。無論、極わずかは抜け出されてしまったが。
そうして30の日。ジトゥーミラを再現したかのような、至る所から黒煙が上がり建物が多数崩壊している光景がキシュナウには広がっていた。
だが、ジトゥーミラの時と同じく指揮官に諦観の表情は無かった。レフノロスキー少将はやつれた顔でクマが深く刻まれているが、瞳はぎらついている。
何故ならば、南に控えている味方やある作戦の為に何としてでもこのキシュナウに一日でも長く二カ国軍を留めておかねばならないのだから。
この責務を果たせば、許されると一縷の希望を信じて。
地下司令部にいるレフノロスキー少将は、ついに二カ国軍と魔物軍団が郊外で戦いを始めたという伝令を受けると、誰にも聞こえない程度の声音でこう言った。
「かかってこい、人間共……。このキシュナウという泥沼に貴様等を引きずり込んでやる。タダで済むと、思うなよ……」
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