第9章 『春の夜明け作戦』編

第1話 肩透かし戦争

・・1・・

 四の月末。いよいよアルネシア連合王国及びロンドリウム協商連合の二カ国軍による『春の夜明け作戦』が開始された。

 ダボロドロブ方面にはアルヴィン・ノースロード大将率いる第一方面軍十個師団が、キシュナウ及びフメルニャード方面にはマーチス・ヨーク大将率いる第二方面軍(協商連合軍五個師団を含む)十五個師団が行軍。

 驚くべき事に道中では敵の抵抗どころかその存在すらあらず、想定していた日数より早く行軍がされていた。今回からは馬や召喚したゴーレムの他にも物資や拠点構築用資材の輸送に連合王国と協商連合の蒸気トラックが使用されている為、『鉄の暴風作戦』よりもその進捗度合いは早いのである。魔法無線装置の中継ラインも両方面軍共に不測の事態に備えた二ラインの構築を完了していた。

 それ故に一週間が経過した五の月七の日には第一方面軍は既に召喚士偵察飛行隊を用いたダボロドロブの空中観測を終え召喚士攻撃飛行隊を発進。事前段階である空爆を何度か終えており、ダボロドロブより西側六十キーラまで進出。第二方面軍もフメルニャードから北北西百三十キーラまで進出していた。

 以下は七の日以降の、アカツキやマーチスがいる第二方面軍の行軍実績である。


 八の日。フメルニャードから北北西百キーラまで進出。第五次偵察を行うも、やはりフメルニャードに人影無し。アカツキ少将曰く、敵が逃亡した可能性もあるが都市をそのまま放棄とは思えない。地下に篭っている可能性ありか?

 九の日。フメルニャードから北北西七十キーラまで進出。第六次偵察を行う。結果は八の日と同様。あぶり出しも兼ねた攻撃飛行隊を進発させ小規模空爆を行うも、反応無し。

 十の日。フメルニャードから北北西三十五キーラまで到達。第七次偵察でも敵発見出来ず。敵は逃亡した可能性が高いか? 翌日にアカツキ少将召喚武器エイジスによる精密レーダー観測をする事で一致。


 このように第一方面軍が数回に及ぶ空爆を実行し着実に敵へ打撃を与える中、第二方面軍は慎重とも言ってよい頻度で複数空中偵察を行ったものの敵一人として発見することはあらず十一の日の朝を迎える。

 アカツキは敵がいない事に安堵しつつも、どういうつもりなのか訝しんでいた。



・・Φ・・

5の月11の日

午前8時15分

フメルニャードから北三十五キーラ地点

前線拠点・第二方面軍司令部テント付近


 「ノルド少佐、敵の反応はどう?」


 「相変わらずからっきしですね。撃たれる覚悟で上空百メーラ以下の低空偵察もしましたが、ここ数日に活動していた痕跡もありません。部下からも同様の応答がありました」


 「やっぱり戦略的撤退を取った可能性が高いのかな……」


 「キシュナウにいた敵はおよそ一万五千程度だったのでしょう? 十五万を相手にするのは無謀ですから逃げたのも無理はないかと」


 「確かにそうではあるんだけどね……」


 十一の日、朝。キシュナウから北三十五キーラまで到達した第二方面軍は早朝の六時からこの日もキシュナウへの偵察を行った。

 だけど、偵察飛行隊所属のノルド少佐から受けた報告は敵が観測されない。低空飛行しても反撃が無いというもので、第一次偵察と同じ結果だった。

 彼の言うように、妖魔帝国軍捕虜から得た情報をまとめたジトゥーミラ・レポートによればキシュナウには一万から一万五千の敵軍がいたはず。ただ、情報が半年以上前と古いから増加している可能性もあると思っていた。ところが蓋を開けてみれば都市には魔物どころか魔人一人すらいない。妖魔帝国軍によってある程度整備されていた拠点が、だ。

 十五万の二カ国軍に対抗するには余りにも数が足りないから戦略的撤退を選択した可能性は高い。でも、まさか拠点を焼き払わずに逃げるとは僕は思わなかった。


 「ノルド少佐、ありがとう。君含めて部下達の担当区域からも下げて戻させていいよ」


 「了解しました。なんと言いますか、数日間も飛ばし損でしたね」


 「まあねえ……」


 僕はノルド少佐に偵察飛行隊を戻させるように言うと、司令部テントへ向かう。


 「提案。ワタクシの探知圏内に入りましたからこの後に探知をしましょうマスター」


 「昨日決定した通りにやるしかないね。僅かな可能性でしか無いけれど、実は広大な地下道が作られててそこに潜んでいたなんてあっても困るし」


 「推測。マスターの考える可能性は一パルセント以下と思われます」


 「だろうね。数日間も地下に籠ったとしても、水の確保に外へ出るはずだから。それすら無いとなるとなあ」


 「肯定。ワタクシと違い、人も魔人も魔物も食料の他水分の摂取は必要不可欠です」


 「考えすぎも良くないってかー……」


 僕は頬をかきながら苦笑いをする。参謀として敵軍の取る行動を予測するのが仕事だけど、今回は慎重になり過ぎているのかもしれない。

 アカツキ少将は心配性だなあとまで言われているけれど、それが悪い意味で言われていないのは今までの実績のお陰。とはいえ、ここまでになると流石に僕も敵を警戒し過ぎたかなと反省している。

 テントの近くまで行くと、別の仕事を頼んでいたリイナと合流する。彼女がどうだった? と聞くと僕は首を横に振るとリイナは苦笑いをして。


 「師団長達が言うようにきっと敵そのものがいないのよ。旦那様もそう思ってはいるでしょうけれど」


 「何度も偵察した結果がこれだとね。予測に反してキシュナウは無傷で手に入れられると思うよ」


 「いい事じゃない。使わずに済んだ武器弾薬に資材を丸々転用出来るのだもの」


 「輸送量を少し絞るか、次に備えて貯蓄させておこうかなと考えているよ。何せ、この作戦は行軍距離も長いから」


 「ええ。強いて心配するなら場の空気かしら。まるで内地にいるような緩み方だもの」


 「フメルニャードはそうはいかなくなるけどね。でも、兵達の精神的負担を考えればむしろ

 この状況は悪くないかな」


 司令部テントにまで向かう途中にいた兵達の表情は和やかなものだ。朝食を済ませて談笑している者が多く、ここは駐屯地なんじゃないかと錯覚するくらいには穏やか。僕達に気付くと笑顔で敬礼してきて、僕とリイナも微笑んで答礼する。

 テントに着くと警護の兵士も周りと同じ様子で、僕達は中に入った。


 「マーチス大将閣下、ラットン中将閣下。お待たせ致しました」


 「お前直々に偵察飛行隊からの報告を聞きに行っていたそうだな。ご苦労だった」


 「アカツキ少将は真面目じゃの。儂なぞもう二杯も紅茶を飲んでしもうたわ。報告はどうじゃった?」


 中にいたマーチス侯爵は朝食を終えて紅茶を飲んでいたようで、顔つきは緩やか。ラットン中将も街の喫茶店にいるおじいさんのような雰囲気だった。ここにいる参謀や通信要員達も食後に一服しているという様子だ。


 「昨日と変わらず、敵は発見出来ず。キシュナウはもぬけの殻かと」


 「そうか。妙な話ではあるが、無血で手に入るなら願ったり叶ったりだな」


 「儂が妖魔の将ならば相手に負担を与えるためにキシュナウを焼き払って焼け野原にしてから撤退するのじゃが、敵はそれすらせんとはの。これで食糧まで残されておったら間抜けじゃぞ」


 「流石に食糧は後退に必要ですから無いとは思いますが、資材が浮いたのはこちらにとって得になりますね」


 「時間も浮いたとも言うな。今もスケジュールを前倒しにしようかとラットン中将と話し合っていた所だったのだ」


 「万全の体制を整えて肩透かしを食らったとも言っておりましたのお。マーチス大将閣下」


 「まったくだ。振り上げた拳は使われずに下げたともな」


 ははは、と笑い合うマーチス大将とラットン中将。

 ジトゥーミラでは北方戦線の妖魔軍が糞尿作戦を用いたからとその線も警戒していたけれど、低空偵察ではそれすらも無いときた。恐らく、撤退の手法は現場指揮官によってまちまちで統一されておらず一任されているのだろう。そうなると、キシュナウの敵軍指揮官は臆病者だったのかもしれない。十五万に対して一万五千でどうにかしろっていうのも土台無理な話だけどさ。援軍すら出してもらえなかったのかもしれないし、その余裕がないのかもしれない。


 「アカツキ少将。今日はこれからどうするのじゃ?」


 「テントを片付けて十時には移動を始めますから昼頃にはエイジスの精密探知を行います。いないとは思いますが、地下に潜られていた場合無警戒でキシュナウに入った時に面倒ですから。ただ、エイジスの推測では敵が地下にいる可能性は一パルセント以下とのこと」


 「自動人形の優秀な学習機能による結果なら信用に足るものじゃの」


 「アカツキ少将、杞憂だと思うが一応やってくれ」


 「了解しました。――話は変わりますが、法国軍の方はどうですか? 昨日までの情報は受け取っていますが、何か変化などはあありましたでしょうか。そろそろ今日の朝の定時報告が入っているかと思いまして」


 「それなら受け取っているはずだ。法国からの情報担当はタリス参謀だったな」


 「はっ。自分が定時報告分を既に見ております」


 「タリス参謀、どうだった?」


 タリス参謀は階級が中佐。第二方面軍で法国から受け取った情報を元に妖魔軍の動きを分析している担当に就いている男性軍人だ。

 法国は既にフメルニャードから南西にあるチェラノラフィツィを占領しており、そっち経由で魔法無線装置を介して情報共有が一昨日に開始されている。


 「本日の定期報告では、法国軍は妖魔軍拠点のブカレシタへ向けて進軍を開始。ブカレシタから南西のソフィーでは間もなく会戦が始まるとの事。神のご加護を授かりし我らは順調に領地回復運動を続けているとの事です」


 「引き続き法国軍の調子もいいみたいだね。これまでの損害は一万程度。だけど法国軍全体は大規模徴兵によって招集されたのも含めて、開戦以来からさらに追加で送った十八万の大軍勢だからあまり痛くはない。兵の士気は神の御名の下に動いているという心が強いから高い。そこだけ聞けば悪くないね」


 「オレらが協商連合と会談していた頃から始めているからそろそろ五ヶ月か。妖魔軍は押され続けているようだな。奴らの士気は地の底だろう」


 「法国軍は儂ら協商連合からすれば羨ましい程に魔法能力者が充実しておるからの。ただ、妖魔軍は魔物中心の時代遅れな編成じゃし、当たり前の展開と言えるがの」


 「あえて言うなら気がかりなのはその点です。ジトゥーミラ・レポートでは近代化軍が後方に控えているはずですからこれが出てこられると戦況が悪化する可能性がある事。あとは……、法国軍の補給線がそろそろ伸びきってしまい攻勢限界が生じるのではないかと」


 「マスターの予測に肯定。五ヶ月間で法国軍はソフィーの南にあるユーザラビア半島の左半分をも占領。広大な戦線を展開している法国軍の物資補給ラインには相当な負担が生じていても不思議ではありません」


 僕の発言とエイジスの予想に、同じ懸念をしていたのかマーチス侯爵とラットン中将は頷く。


 「いくら領土回復運動とはいえ手を広げすぎている感は否めないな……。防衛線も薄くなっている箇所もあるだろう」


 「法国軍総指揮官のマルコ中将も気苦労が耐えんじゃろな。快進撃の成果に伴って前線にいる最中でさらに大将へと昇進。十八万を一手に預かって攻勢を行っておるが、このやり方はあやつのやり方ではない。恐らくは調子づいておる法皇を始めとした法国上層部の命令じゃろて。戦争については得意ではない者が過剰介入するのも考えものじゃの」


 「オレは陛下が聡明な御方であって本当に良かったと思っている。この作戦については現場指揮官に判断を任せる。困った事があれば何なりと申せ。と言われているからな。安心して戦えるというものだ」


 「エルフォード陛下らしい発言ですな。名君か暗君かの差がよう出ておりまする」


 「我が連合王国が名君によって支えられていると実感しているよラットン中将。貴国の大統領も実に良き指導者だ」


 「とんでもない。連合王国が軍の通過権から鉄道使用権まで認めて下さったからじゃ」


 なんともまあマルコ大将にとっては可哀想な話だ。法国指導者の法皇が戦争について詳しいのならともかく、素人に近い。にも関わらず戦況が良いのをいいことにそれいけさらにゆけと言われているのだから、現場を預かっているマルコ大将にとっては無理難題を言われているようなものだろう。

 法国軍からの定期報告は、「妖魔軍恐るるにあらず」「快進撃を我が軍は続けている」「神の御旗の下に、敗北は考えられない」とかなり調子のいい発言が届いていて、心配した僕は自分の名義で「物資弾薬の補給に問題は無いか?」と送ったけれど「英雄閣下の心配ご無用。問題なし」と言われてしまえばそれまでだ。これ以上は過干渉になるからね。

 今は勝利に次ぐ勝利を重ねているからいいけれど、果たして法国が攻勢限界を迎えた時に妖魔軍がどう出るか。そして、妖魔軍に反撃された時に法国軍が耐えられるかどうか。僕にせよマーチス侯爵にせよ、そしてラットン中将にせよ憂慮しているのはこの点だった。


 「予定より早く我々は侵攻しています。法国軍に万が一があって戦線が崩壊してしまったとなれば悪夢ですから、フメルニャード攻略も前倒しして行った方がいいでしょうね。幸い、キシュナウで使用する予定だった弾薬はまるごと残っていますから」


 「うむ、進軍速度を早めるとするか。その為にはまずキシュナウを占領だ」


 「はっ」


 今後の方針を再確認し、僕達は移動を再開する。

 そして昼にはキシュナウから北二十キーラまで到達して僕はリイナと共に軍の最前方に展開している地点まで出向く。予定通りエイジスによる精密探知を行う為だ。ここならキシュナウの郊外まで含めた部分を探知出来るからね。


 「エイジス、探知をお願い」


 「サー、マスター」


 エイジスがそう言うと、僕の視界には前世で言うところのARのようにレーダー観測の様子が映し出される。


 「魔力感知式レーダー観測を開始。測定完了まで約一分。精密探知完了まで約三分」


 「ゆっくりでいいよ。慌てず丁寧にね」


 「了解しましたマスター」


 エイジスの探知によって、地表より下部も含めたキシュナウ市内の様子が観測されていく。敵を示す赤い点は一つも現れず、地下にも敵はいないようだった。


 「――探知完了。敵の存在皆無」


 「やっぱりかー。マーチス侯爵に、敵はおらず。キシュナウへ進軍再開を提言って報告しておいて」


 「はっ!」


 僕は通信要員に伝え、すぐにマーチス侯爵からは進軍再開が命じられる。

 結局キシュナウ市へは兵を一人も失う事無く手に入った。

 妖魔軍は一体、何を考えているんだろう……。



・・Φ・・

 アカツキ達が体験したキシュナウ市無血入場は後の教科書や史書に、『肩透かし戦争』と呼ばれるようになる。

『春の夜明け作戦』の始まりはまさになんとも肩透かしだった。の一言に尽きる流れであった。

 しかし、妖魔軍は着々と反攻の準備を整えていたのである。

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