第138話
「冬喜くん、千郷ちゃん、お待たせ」
「それじゃあ行こっか」
「れっつごー」
演習場が未だにざわついていた中――テンジは早々に飛鳥の対人訓練を見届け、すぐに演習場をあとにしていた。
冬喜ととある約束をしていて、それが運悪く今日という日だったのだ。先方も忙しい人で、今日ようやくその人と会えるのだから、テンジが慌てて演習場をあとにしたのも無理なかった。
元々今日は講義を途中で抜け出す予定だったので、演習場に行く前にはパインにあとの飛鳥の世話は任せたいとお願いしていたのだ。
テンジは心の中で飛鳥に「ごめんね」と謝りつつ、足早に集合場所へと来ていた。
少し浮かれ気味なテンジに、冬喜と千郷はニヤニヤしながら話しかけてきた。
「ようやく会えるね、テンジ」
「そうだね~。なんだかんだ忙しいからね」
「楽しみだなぁ~、どんな人なんだろう」
「「超変人マッドサイエンティスト」」
「それは前に聞いたって」
何度聞いても同じ答えしか返してこない二人に、テンジは思わずくすくすと笑ってしまう。
冬喜と千郷もあきらかに意図的な隠し方をしており、今から会いに行く人物について深く教えてくれなかったのだ。
まるで当日のお楽しみだと言わんばかりにニヤニヤしながら、テンジの反応を弄んでいる様子だ。
「そういえばこっちの校舎は入学以来に来たかも」
「まぁ、ここは教師用の研究室か四、五年生しか使わないからね。一年生には無縁な場所だし」
「でも冬喜くんは良く来るんでしょ?」
「そうだね……割と来る方かも?」
冬喜は今から会う人物とは割と頻繁に会っているらしい。
それも冬喜という天才に何かを期待してのことなのだろう。テンジも冬喜を通して、今回は会う約束を取り付けることができたのだ。
普段から忙しい人のため、冬喜の仲介無しではアポを取るのも難しい人らしい。それほどの人物に自分の天職に関する分析を依頼できるということに、テンジはドキドキしていた。
三人は何気ない会話をしつつ、別棟校舎の奥にあるとある研究室の前に辿り着いていた。
そこにはいくつもの研究室が立ち並んでおり、世界から選ばれた選りすぐりの研究者たちが日々忙しなく研究をしているらしい。
研究費もマジョルカの国から潤沢に分配されており、その待遇は協会のお抱え研究者と比べても劣らないほどの環境なんだとか。
ここには単純にその才能を見込まれて招聘された研究者や、協会からマジョルカに鞍替えした研究者も数多く在籍しているらしい。そして、今回会う研究者もマジョルカに鞍替えした日本人の研究者だ。
「ここだよ」
そこで冬喜は立ち止まり、いかにも研究室らしい扉を指さした。
テンジはごくりと息を飲み込む。それを見て冬喜がコンコンと扉をノックした。
「は~い」
「冬喜だよ。テンジと千郷ちゃんを連れてきたよ~」
「入っていいやんやん!」
扉越しに陽気な女性の声が聞こえてくると、冬喜は躊躇なくガチャッと扉を押し開いていく。
テンジは待ちに待ったこの時に唾を飲み込む。
そして、扉の隙間から見えてきた一人の女性の姿を見た。
その研究室は超変人マッドサイエンティストという言葉からは想像できないほどには綺麗に整頓されていて、見慣れない機材や書類が壁際の机に置いてある。
壁や天井は白と木目を意識されており、意外と落ち着いた雰囲気を感じた。ただ、所々に可愛らしぬいぐるみが置かれており、可愛い女性らしさを感じる。
そんな研究室の一番奥、こちらに向かって座るように白衣を着た一人の女性がいた。
「やぁやぁ! なるほど、少年がテンジくんか! テンジって呼んでいい? 私のことは久志羅ちゃんでも、ムイちゃんでもいいやん」
想像の斜め上を行く彼女――
一言で表すならば、少し時代遅れなギャルなのだ。
色白できめ細やかな肌を大胆に見せる服装をしており、胸元、太もも、綺麗なくびれたお腹も隠そうとしていない。ちょっと目のやり場に困ってしまう。
髪色も金髪を中央分けで揃えており、化粧もばっちり濃い目で統一されている。
そして聞いていた情報と違ったのが、見た目の年齢がテンジや冬喜とそう変わらないという点であった。
(あれ? 冬喜くんに聞いた話だと……確か第一期ダンジョン時代から前線で活躍していた探索師だったよね? でも……)
テンジは困惑を隠しきれずに、こてんと首を傾げていた。
その様子を見ていた久志羅は当たり前のようにニシシと明るい笑みを浮かべ、こっちにおいでと手招きをしてきた。
三人は徐に前に進み始め、テンジが最後に入ると扉を閉ざした。
その研究室らしい研究室に入ると、冬喜と千郷には定位置があるのか、各々好きな場所に背中を預けたり座ったりしていく。
テンジもどうしようかと悩んでいた時、久志羅が再び手招きをしてきた。その誘導に従うように、テンジはギャルである久志羅へと近づいていく。
すぐ目の前に立つと、
「ふむふむ、これは良い体やん。冬喜くんとは違って、筋肉は一般程度には付きやすい体質のようだね」
久志羅は遠慮などまるで気にせず、テンジのあらゆる部位をねっとりと触り始めたのだ。
びくりと最初は体を震わせたテンジであったが、その触れ方には少しもエッチな要素がないことに気が付き、すぐに身を任せ始めた。
そうして一通り「ふむふむ」と言いながら触るのを止めた久志羅は、パソコンにカタカタと何かを打ち込み始めた。
どうやらこちらが何かを言うまでもなく、色々と始めてくれているらしい。
「テンジくん」
「はい」
「天職発現したのはいつかな?」
「ちょうど半年ほど前です」
「もっと正確にわかる?」
「確か……六月の上旬頃だったと思います。すいません、それ以上に詳しいことは今はわかりません。ダンジョンでは意識を失っていた時間もあったので。あとで確認すれば分かると――」
「うん、それぐらいわかれば十分やん」
元日本人で、現在はマジョルカ人として天職研究の最前線に住まう久志羅ムイという研究者の質問攻めが始まった。
本来は彼女に依頼をすると、数百万円から数千万単位という金額が動くことになるらしい。しかし、冬喜と千郷の推薦もあって、今回は無料でやってくれることになった。
いや、ちょっと違うか。久志羅自身もテンジに興味を示したので、これが実現したのだ。
久志羅は溜まっていた仕事を手際よく片付けていき、今日という日を彼女も待ちわびていた。
そして――。
テンジは僅かな望みを賭けて、彼女に天職の分析を正式に依頼したのだ。
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