第4章 マジョルカ編(下)

第114話


 ――数か月前。



 日本のギルド【Chariot】のSチームに所属する探索師数人の元に、とある依頼メールが届いていた。

 チャリオットのSチームともなると、全員が氷山の一角である『一級探索師』の資格を持つ猛者たちであり、毎年アメリカから発行される ”ワールドシーカー電報ランキングトップ1000” に選ばれている本物の強者たちだ。


 その内の一人、稲垣炎は相変わらずの太々しい表情でメールを開いた。

 いや、単に感情表現に乏しいだけなのだが、その事実を知る知り合いは割と少ない。太々しい奴、と思われても仕方のないことだった。



――――――――――――――――――――

送信者 : イロニカ・モンモン(マジョルカ・エスクエーラ副校長)

宛先  : 日本上位探索師(稲垣炎、黒鵜秋十、九条霧英……)

件名  : マジョルカダンジョン内で巨大黒繭発生に伴い、応援要請

本文  :


 世界各国の英雄・上位探索師 へ

 はじめまして。私はマジョルカ・エスクエーラのウルスラ=リィメイの元で働いております、一級探索師のイロニカ・モンモンと申します。


 早速ですが、本題へ。

 数週間前、私の師である零級探索師ウルスラ=リィメイがマジョルカダンジョンの第75階層にて、直径100mを優に超える前代未聞の黒繭を発見いたしました。

 独自に調査を行ったところ、すでに黒繭因子発生から三年は経過していると分析結果が出ました。もうすでにおわかりでしょうが、三年以上もの孵化期間を要する黒繭は史上初の発見となります。

 世界でも最長の孵化期間で約8か月間。その時に生まれたのは零等級モンスター『石化の魔女ストーン・ワンダー・ゼロ』でした。当時はクロアチア国内に多大な被害が発生し、混乱したのも記憶に新しいです。

 そこでマジョルカアイランド共和国では、正式に世界各国の優れた探索師の皆様に応援の要請を行うことに決定いたしました。

 報酬、待遇、期間などの詳しい内容については、添付の資料をご覧いただけると幸いです。


 ご興味を持って参加していただけるようでしたら、下記の連絡先に一方いただきますよう、お願い申し上げます。

 それでは快い返事をお待ちしております。

――――――――――――――――――――



「……スペイン……いや、今はマジョルカアイランド共和国か」


 炎は懐かしい思い出を記憶から引っ張り出し、お世話になったウルスラ=リィメイの太々しく冷淡な顔を思い浮かべる。

 師弟で性格が似るとはよく言ったものだ。炎は、リィメイと同じように太々しい表情をしているのだから。まぁ、それも今となっては過去の話だ。


 黒繭の発生に伴う、世界各国からの応援要請はそんなに珍しいことではない。

 そもそも黒繭の出現場所については、世界のどこだろうと生まれる可能性を秘めているため、探索師の人材に乏しい国からの応援要請は頻繁にメールでやってくる。特にダンジョン大国なんて呼ばれる日本の上位探索師には月に何通も要請が届くのだから、彼らが日々忙しなく働いているのも当たり前の光景であった。それに九条団長は人使いが荒いことでも知られている。

 中でも緊急を要する場合は、直接電話されることもしばしば。


 だが、今回の要請はただ事ではないようだ。


「あのリィメイが直々に要請するほどのことか。……忙しいが、仕方ない」


 炎はここ最近、忙しすぎて寝不足な日々が続いていたのだが、恩師であるリィメイの頼みというのならば引き受けないわけにもいかなかった。

 例え遠い異国の島国だろうと、弟子は師の誘いを断れない。それこそ山のように仕事が積み重なっていたとしてもだ。


「また……あの厄災が現れると、そう考えているのか」


 ほんの七年前の出来事だ。

 クロアチア国内に黒繭が発生し、その繭は約8ヵ月もの間ゆっくりと確実に成長を続けた。

 残念なことに一級探索師レベルの冷凍能力では凍らせることはできず、成長による排熱だけで蒸発させられてしまうのだから、国は見ているほか何もできなかった。そうして孵化の兆候が現れ始めると、事前に契約を済ませていた世界各国の上位探索師たちを招集し、生まれるインスタントモンスター討伐に向かった。


 そして討伐作戦開始から――。


 わずか三十分で前線の探索師たちは、跡形もなく全滅した。


 そのモンスターは世界でも五例目に数えられる赤紫色の瞳を持つモンスターであった。

 鑑定師による判定で、その正式名称を『石化の魔女ストーン・ワンダー・ゼロ』と断定する。

 本体に近づくだけで体が石化してしまい、その石化能力には治癒役の治癒能力は一切通じなかった。回復不能ということだ。さらに数多の子飼いである石のデーモンゴーレムを生み出し、クロアチア国内で子供や老人問わず、虐殺を始めた。

 近づけない、目を見てもいけない、数で圧倒する波状攻撃。


 その日、クロアチア並び周辺国家は壊滅しようとしていた。


 そこでクロアチア大統領、および周辺国家の大統領たちが英断をした。



 ――金などどうでもいい。国と私の私財全部を使ってでも、零級探索師たちを搔き集めろ。



 この残虐なモンスターには、例え英雄探索師の勲章を持つ一級探索師を百人集めたところで、彼らでは敵わないと判断したのだ。

 当時、零級探索師を招聘するにはそれこそ国の財政を傾かせてしまうほどの、膨大な金額が必要だった。だからこそ、事前の準備で彼らに話を通さなかったのだ。


 そうして――。


 その日、世界中から六人の彼らが集まった。


 世界探索師協会から正式に『零級探索師』と認められているのは、純粋な戦闘天職を持つ四人だけだが、その他にも世界には二人の零等級天職を所持する探索師が存在した。

 そんな彼らが史上初めて、一同に会してモンスターの討伐に赴いたのだ。


 彼らは援護は不要と言い、彼らたったの六人だけで、クロアチア国内で三日三晩の激しい戦闘を繰り広げ、その災厄を終息へと導いた。


 この出来事は歴史や探索師に関する教科書にも詳しく記載されており、『プーラの悲劇』として知られている。

 同時に、世界に存在する六人の探索師たちは、プーラの英雄として歴史に名を刻んだ。


 それ以降、一部の零級探索師は自らメディアにこんなことを語ったという。



 ――悲劇が起こる前に俺を頼れ。金など腐るほどある。その前に懸命な判断を。



 その日から零級探索師を緊急招集する際の値段は、比較的安くなったのだとか。とはいっても、それが適用されるのは一部の零級探索師だけであり、全員がそうではない。


「いや、あの厄災以上の混乱が訪れる可能性……か」


 そんなプーラの悲劇よりも、マジョルカではさらに悲劇が起こる可能性があるとリィメイは考えているのだろうと炎は推測する。

 あれで8ヵ月なのだ。今回の要請は規模が違う。


「すでに三年も経過しているうえに、いまだに孵化の兆候は見られていない。また歴史に刻まれる争いが始まる」


 悪い予感がしていた。


 黒繭は孵化までの時間と強さが比例すると知られている。

 正確には比例というよりも多少の幅値が存在するのだが、おおよそそんな感じなのだ。

 孵化までの期間が長ければ長いほど、より強力なインスタントモンスターが生まれる。

 これは日本の大学に勤める協会認定の研究者、若木賢三の研究結果によって正式に証明された事実である。覆しようのない、事実なのだ。


「……念のため、新たな遺書を作っておくか」


 今回の要請では死ぬ覚悟が必要だ、そう炎は考えた。

 それほどの重大な任務であるとすぐに自覚し、もしものために日付の新しい遺書を書き足すことにした。


 こうして、日本からは数多くの上位探索師たちがマジョルカに応援に向かうことになった。

 とはいっても、一体いつ孵化が始まるのかの予想は立っていない状況はまだ続く。


 そこでマジョルカアイランド共和国は、一か月間という滞在期間をそれぞれの国に要請した。

 契約期間は必ずマジョルカにいること、その後は帰国しても構わない。しかし孵化した際には、すぐに招集に応じてほしいと。

 最初は日本、次に韓国、アメリカなど――常に英雄・上位級の探索師を複数国内に常駐させる決断をしたのだ。


 実際にこれを実行するには、それこそ国が傾くほどの膨大な資金が必要になる。


 こうして着実に準備が整っていた。


 そんな事実を――テンジはまだ知らない。



 † † †



 ――そして現在へ。


 

 ここはマジョルカダンジョン第75階層。


 そこには黒繭を朝から晩まで警戒する女性、ウルスラ=リィメイの姿があった。

 リィメイは黒繭を発見してからずっと、ダンジョン攻略を一度ストップし、こうして仕事の合間を縫って成長の様子を観察していたのだ。いや、監視と言った方がいいか。

 彼女があまり学校に姿を見せないのも、これが原因だった。


 第75階層ともなると、相当な実力者しか立ち入ることはできない。

 それこそ一級探索師でも到達できるか、できないか、という難しいラインが存在する。


「もう少しかしら……胎動間隔がちょっと速くなったわね」


 ドクドクと繭の周りに絡まる毛細血管が、脈動をほんの少し加速させたのだ。

 その様子を見て、リィメイは緊張感を高ぶらせる。


「リィメイ学長」


「あら、イロニカじゃない。こんなところに珍しいわね」


「そろそろ5年生の実技演習テストが始まるお時間ですので、お迎えに参りました」


「もうそんな時間だったのね。考え事してたら、老人はあっという間に時間を感じてしまうわ」


「では、行きましょう」


「そうね」


 リィメイは普通の老婆のように腰を曲げながらゆっくりと腰を上げた。

 そうして近くにある転移ゲートから、試験会場になる第55階層へと向かった。




 史上最大レベルの黒繭孵化まで、もう数週間と猶予はなかった。

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