第97話



 テンジは、ジョージともパインとも別の登頂ルートを探していた。

 スタート地点の森林エリアから数百メートルほど右側に進んでいくと、そこには視界がほどよく開けた、禿げ山のエリアが広がっていた。

 禿げと言っても完全に禿げているわけではなく、間隔を程よく開けて木々が植えられている感じだ。適度に伐採された森をイメージするとわかりやすい。


「まぁ、この辺りなら見通し良くていいかもね。誰かが近づいてきたらすぐにわかるし、千郷ちゃん直伝のハイド技術はクラスの誰にも負ける気はしない」


 テンジはこのルートを辿って、頂上を目指すことに決めた。

 奇襲される可能性が少ないルートを選ぶ行動は、ダンジョンでの探索活動にとって最も重要な選択の一つである。

 幸いにもここは正規のルートではないので、他の生徒たちと鉢合わせる心配も少ないだろう。


(森林エリアの開けた場所にはモンスターが集まりにくいしね。モンスターも少なく、ポイントを狙う生徒もあまり近寄らないルートだ。今の僕にとってみれば、これ以上の道はないよね)


 これは森林エリアと呼ばれる、森のように鬱蒼と緑が続くダンジョン共通の特色だ。

 そういったエリアには奇襲を得意とするモンスターが統計的にも多く、開けた場所よりも深い森の中に潜んで大物食いをしようとするのだ。

 逆に、このような開けた場所に出現するモンスターは奇襲を得意としないので、一対一でも特に戦いやすい。


「適度なペースで順調に進むと……一時間くらいかな?」


 道のない山道ということを考慮しても、それぐらいは時間が掛かるだろうと予測する。

 早速、テンジは目の前の斜面をゆっくりと登り始める。斜面とはいっても、足腰を踏ん張るほどの傾斜ではない。もう少し緩やかなものである。


 と、その時であった。


(あっ……ジンタヲだな)


 視線の先にジンタヲという四足歩行の防御が硬いモンスターを発見した。

 どうやら食事中だったようで、木の割れ目に口を突っ込んでべろべろと樹液を舐めていた。

 体格はさほど大きくはなく、大きめの亀くらいだ。姿はアリクイに似ており、のっそりと歩いては樹液を吸う習性を持つ。

 ただし――探索師を視界に捉えると、途端に猛獣のように狂暴化するらしい。


 その瞳は五等級の特徴である紫色をしている。


「まぁ、ちょうどいいかな。剣士の僕は五等級ばかりを倒してゴールする……最高のシナリオじゃないか」


 ジンタヲを呼び寄せるために、アイアンソードを鞘に納めたままカンカンと近くの木に打ち付けた。

 鈍い音が周囲に木霊すると、不意に目線があう。


「ジオォッ!?」


 ちょっと驚いているようだ。

 目を見開いて驚くジンタヲは、すぐにアイアンソードを構えるテンジの姿を視界の中央に捉えた。その瞬間、ジンタヲの目がこれでもかと血走り、ほんのりと全身から朱色のオーラが湧き出る。


「え? あっ、そういうことなのか。猛獣のように狂暴化するって言うのは、有無を言わせずに怒り状態になることを言っていたのか」


 はじめての発見に、テンジは少し感心していた。

 教科書にモンスターの特徴や習性は載っているのだが、実際に対面してみると、こういった新たな発見があることもしばしばある。

 逆に考えると、教科書を作っている外国人の探索師たちが適当に作っているとも言える。

 それも仕方のないことだろう。彼らの本職はあくまで探索師であって、教科書を作ることではないのだから。


 この学校は良くも悪くも実技主義な面があり、座学には実技ほどの力を入れていない。


「ジオォォォォオッ!」


 ジンタヲが何度か威嚇するように前足で地面を擦る。

 その動作に合わせて、テンジも鞘からアイアンソードを引き抜いた。鞘は邪魔にならないように左手に持ち、いつでも防御で使えるように構える。

 剣を持つ構えは千郷から教えてもらった通りに、切っ先を前に突き出して腰よりも少し下で構えている。


(背の低い四足歩行モンスターには、基本低めの構え。僕は本当にいい師に出会えたよ)


 家で二度寝をしているのであろう千郷に、心の中で感謝をする。

 いつもは本当にだらしなくて、ご飯か、ゲームか、寝ることにしか興味を示さない女性だ。それでも探索師としての才能は本物で、全てが彼女の自己流で形成されている。

 そのどれもが探索師としてのオーソドックスを塗り替えるようなものばかりなのだが、テンジにはその千郷流の戦い方が性に合っている。


 もちろん探索師の師との相性が合う、合わないはたくさんあるだろう。


 その中で相性の合う師と出会い、マンツーマンで教えてもらえることがどれだけ幸せなことなのか、テンジはこの試験を通じて再認識し始める。


「ジオォォォォオッ!」


 ジンタヲが荒々しく鼻息を鳴らしながら、勢いよく猛突進してくる。

 そのモンスターは腹以外の全身が岩石のように硬いことで知られているのだが、それだけしか特徴のないモンスターでもある。


 対処法はいたって簡単だ。


「――よっと」


 衝突する寸前で、テンジは跳び箱でも飛び越えるかのようにジンタヲの攻撃を回避した。

 ジンタヲは勢いを殺すことができずに、そのまま真っすぐ近くの木に衝突する。否、テンジがそこに誘導するような位置取りをしていたのだ。


「ジォ……」


 ほんの一瞬、動きが止まればいい。


 テンジは走ってジンタヲの傍まで近づき、固い甲羅のような皮膚の取っ掛かりを見つけ、そこをわし掴んだ。

 その手にはアイアンソードは握られておらず、近くの地面に刺さっている。


「よっこらせっと!」


 踏ん張るように重たいジンタヲの体を持ち上げ、体をひっくり返すようにドシンッと地面に叩きつけた。

 こうなると、ジンタヲは自力で元の体勢に戻ることはできないのだ。まるで亀のような特徴を持つことから、別称、浦島亀太郎なんて日本では呼ばれたりしているらしい。もちろん悪い意味で。


 無防備に腹を空に向けているジンタヲを見下ろす。


「これで、怒り状態にならないならペットとしても可愛がられるんだろうなぁ」


 物好きの中でも、本当にごく一部の趣味だが。

 世界には大人しくて可愛いモンスターをペットのように愛でる愛好家もいるらしい。

 そういう人たちは高額のお金を払って、探索師に無傷かつ優しく保護してくるように依頼するのだとか。

 このジンタヲも、亀のように可愛いので怒り状態にさえならなければ高額で売り買いされるのだろうと、テンジは思う。


「でも、今回は僕の点数稼ぎに付き合ってもらうよ」


 地面に突き刺さっていたアイアンソードを再び手に取り、テンジは剣の切っ先を冷酷にジンタヲの腹に突き刺した。

 アイアンソードはさほどの業物ではないので、剣を伝って直接肉を斬った感触が手に伝わってくる。

 切れ味が鈍いとこういった弊害もでるので、アイアンソードは人気がないのである。とはいっても、最も安いダンジョン産の武器として有名なので、愛用している探索師も意外に多いのが現状だ。


「ジォォ……ォォ……」


 ジンタヲは何度か苦しみ悶えていたが、その内ぱたりと動かなくなる。そして体の端から魔鉱石化が始まるのであった。

 テンジは「ふぅ」と疲れた息を吐きながら、魔鉱石化が終わるまでの時間を近くの木陰で待つことにした。


 剣は適当に木に立てかけ、ごつごつとした木に背中を預けて地面に座る。


 少し肌寒いと感じる風がふわりと髪を靡かせ、ざわざわと心地よい木の葉の擦れる音が聞こえてくる。

 どこからか小川の流れる涼しい音も聞こえてきて、空を見上げれば日差しがほどよい太陽がある。もちろんこの太陽は偽物で、ダンジョン内に充満しているMP原子が作り出した虚像にすぎない。それでもここにいるテンジは本物と錯覚しているのだから、それは本物と言っていいだろう。


「気持ちいなぁ……ちょっと寒いけど」


 やっぱり上着を一枚持ってくれば良かった、と後悔し始めるテンジであった。

 そうして待つこと二分ほどで、ジンタヲの体が拳大ほどの魔鉱石へと変化したので、テンジはそれを支給されたベルトポーチに入れ、座りながらグッと背伸びをする。


「――よし」


 気合いを入れ直して、立てかけてあったアイアンソードの柄を握った。

 その時であった、遠くから微かに人の会話が聞こえてくる。


「えっ? まじ?」


「うん、そう書いてあったんだ。この地図の通りの場所に向かって、ある物を回収してくることって。そうしたら採点に大幅な加点が入るらしい」


「へ~、私とは全然違うんだね。私の役は『世話好き村娘』だし、ちょうどいいかもね。一緒にその回収仕事やろうか」


「いいの? やったぁ! チェウォンと一緒なら、私も安心して『運び屋』としての役割を全うできそうだぁ」


 その二人の仲良しで特徴的な声を聞いて、テンジはホッと安堵の溜息を溢した。


 彼女らは韓国から一緒に留学をしてきた仲良しな親友同士であり、テンジのことを視界に入れないようにしている五人のうちの二人である。

 テンジ自身も二人には苦い思い出もなく、普通に普段から「可愛いなぁ」と思う対象であった。それも隣国出身という共通点があったからなのかもしれない。


(それにしても『世話好き村娘』と『運び屋』か。意外とイロニカさんの言っていた役もバラエティに富んでいるのかもしれないな)


 テンジは多くても14の役があると考えていた。

 その内の三つ、『平民』と『世話好き娘』、『運び屋』が判明してしめしめと思う。


(でも、まだ誰がブラック探索師としての役割を言い渡されているのかわからないのが、少し怖いな。もし僕が狙われたら……どうしよう)


 冬喜やパインの事前情報から推測するに、平穏な役ばかりではなく、過激な役も少なからず存在するはずだとテンジは考えていた。

 その内、ブラック探索師を一人は入れているはずなのだ。


 もし、もしだ。

 テンジがその役を持つ生徒から狙われた場合、普通ならば負けるはずがない。

 だけどテンジは五等級の剣士として名が通っているため、その事態が起こった時にどう対処すればいいのかわからなくなっていた。


「いや、リィメイ学長がわざわざ僕を狙わせる試験を用意するわけがないか。考えすぎかもね」


 考えすぎていたと反省しつつ、テンジはふぅと溜息を吐く。

 そこで再び、彼女ら――韓国アイドルのように綺麗なソン・チェウォンと、清楚で純朴そうな可愛らしさを持つユ・ミナ――の会話が聞こえてくる。


「でも、何を運ぶんだろうね」


「さぁ? とりあえず地図の場所に行ってみて、現物を見てから考えてみようよ」


「そうだね、そうしよっか」


 二人はそう言うと、テンジの存在に気付く素振りすら見せずに、この場を立ち去っていくのであった。

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