第64話



 突然呼ばれた名前に、テンジは思わずびくりと体を震わせた。

 おそるおそる視線を九条に向けると、そこには綺麗な眉尻を歪ませ、かなり困ったような顔をしていた。


(……もう終わりじゃなかったのか?)


 話の流れ的にもう終わりだろうと完全に気を抜いていた。

 と思ったら、突然の名指しで、それもあの九条団長が話しかけてくれたのだ。他のチャリオットメンバーたちにも、一気に緊張が走ったのが目に見えてわかった。

 他の参加者たちも、驚いたようにテンジを見つめる。


 一体、何事だと。


「ぼ、僕ですか?」


「あぁ……そうだな。私は天城典二に一つ聞きたいことがある。お前は一体、何者なんだ? どこでその力を手に入れた?」


 深く抉ってくるような九条の鋭い質問に、テンジは答えるべき回答を探す。しかしここはあえて無言を貫くことにする。

 テンジの瞳に映る九条の表情から、すでに何かしらを知っているような気がしたのだ。


 ここにいる全員の視線が一点にテンジへと集まり、わずかな静寂がこの場を包む。


 そこで観念したように九条が「はぁ」と小さくため息を吐いた。するとテンジからみて明後日の方向へと視線を向け、苛立つように片足でトントンと地面を踏んだ。

 その方向には暗闇の一本道があり、おそらくこの空間の出口だろうと参加者たちは推測する。


「おい、もういいぞ」


 九条はその一本道に向かって、気配も見えない誰かに呼びかけた。

 そうして間もなく、暗闇の先から二人分の足音がコツコツと鳴り響きわたる。


 そして――テンジも知っている二人がこの場に姿を見せ始めた。

 テンジにとっては命の恩人である傑物と、何かと際どい服装を着る彼女。

 

 その二人の姿がダンジョンの明かりに照らされ、彼らの前に姿をはっきりと現した。


「やぁやぁ、三日ぶりだね! テンジくん!」

「おう、元気そうだな」


 そこから姿を現したのは、白縫千郷と百瀬リオンであった。


 ここにいるほとんどは彼らの素性を知らない。

 しかし、愛佳と累はリオンのことを知っていた数少ない参加者だったため、突然の来訪に驚き、目を大きく見開く。

 同じように、蛇門も二人の姿を見て少し驚いたような顔をしていた。


「リオンさん!? 千郷さん!?」


 テンジは意外な人物がこの場に現れたことで、思わず驚きの声を上げた。


 白縫は、テンジのその顔が見たかったと言わんばかりにニシシと悪戯に笑ってみせた。

 リオンは面倒くさそうに、ぽりぽりと頭を掻きながら歩くだけだった。たぶんここに姿を現す予定はなかったのだろう。予想外の出来事に仕方なく、そんな雰囲気が漂っている。

 そんな二人に邪魔者のような視線を向けていた九条は、改めてここにいる訳もわからない参加者たちに顔を向けた。


「本当は……こいつらをここに連れてくる予定はなかったんだがな。そもそもこいつらは毎年うちの入団試験をただの見世物感覚で見に来るだけのお祭り要員だからな。今年に限って、面倒を起こしやがって……。あぁ、わからない奴には紹介しておこうか。右にいるおっさんが日本で唯一の零級探索師、百瀬リオンだ」


 たったその一言で、参加者たちに緊張が走った。


「おい、誰がおっさんだ! 俺はまだばりばり現役だぞ!」


「……と、だいぶ下ネタを言ってくる害悪なおっさんだな。だが、超強い。ここにいる全員を指先一本でひねりつぶせるほどにはやばい男だから気を付けろ。特に可愛い女性たち、食われるなよ?」


 日本で唯一でもあり、世界でたったの四人しかいない零級探索師。

 謎に包まれていた人物が目の前に現れ、あまつさえ九条団長は零級探索師を弄るようにおっさん呼ばわりしたのだ。

 おのずとリオンを知らなかった参加者たちはぽかんと口を開いていた。


「――で、こっちの巨乳なぴちぴち19歳は白縫千郷。リオンのギルドに唯一所属する、リオンが惚れ込んだ探索師であり、ワールドトップ50ギルド全てからスカウトがあったとか噂に聞く……いわゆる才能の化け物だな。正直、蛇門と同レベルかそれ以上の才能を持つ才女だ」


「どうも~、Eカップ才女で~す」


 白縫は「あははは」と可愛く笑いながら、全員に小さく手を振て挨拶をする。

 そんな白縫に対し、自分と同格かそれ以上だと聞かされた蛇門は、初めて感情を前面に押し出すように圧を放つ。


「どうしたの、蛇門くん? その年で殺気を放つなんて……眠いの?」


「白縫千郷、もう忘れない」


 二人のとんちんかんな会話を、ここにいる誰もが理解することはできなかった。

 そもそも真の天然娘と、口数少ない天才で話が合うわけなかったのだ。


 そこで九条はゴホンッと明らかな咳ばらいをすると、リオンと白縫に集まっていた視線を自分へと集め直した。

 慌てて、ここにいた全員が九条の言葉に耳を傾ける。


「話を戻すぞ。……ここにこいつらを呼んだのは、天城典二の件についてだ」


「あっ、そっか。僕のことでしたね」


 テンジと九条の言葉に、全員が「そういえばそんな話だった」と思い出す。

 それほどまでにリオンと白縫のインパクトが強かったのだ。


 九条はテンジの瞳を力強く見返して、口を開いた。


「もしリオンが介入してこなければ、天城にはうちに入ってほしかった。というか、リオンが名乗りを挙げなければ協賛していたギルド全てが挙手していただろう。お前はそれほどの結果をこの試験で私たちに見せてくれた」


「……僕がですか?」


「そうだ。それほどお前の才能は常軌を逸していた。まだお前が覚醒してから一か月ほどだと聞いている、それもその間一度もダンジョンに潜った形跡がない。それだと言うのに……すでにお前のその強さは三級探索師のそれを超えている」


 テンジはごくりと息を飲み込む。


 それと同時に、近くにいた愛佳と累の「は?」という声が虚しく響き渡った。

 二人はテンジが五等級天職の《剣士》に覚醒したと聞いていた。しかし九条は今「三級探索師のそれを超えている」とはっきり明言したのだ。そう、あの九条がだ。

 彼女が嘘を吐くわけもなく、それよりか彼女の選眼は日本でも有数のものであると知られている。


 だからこそ、二人が虚を突かれたように驚くのも無理はなかった。


「――と、ここでリオンが待ったをかけたのですよ!」


 そこで助け舟でも出すかのように、陽気な白縫の声がこの空間に響き渡った。

 九条は「もう少し待て」と小さく呟き、フライングした白縫の双丘を揉みしだこうと背後から近寄り制御しようとする。しかし、するりと白縫は回避して、話を続ける。


「え~、いいじゃないですか! それと何度も揉もうとしないでよ、霧英ちゃん。今日だけで四回目だよ?」


「揉みたくなる胸を持つ千郷が悪いんだ。それと少し待て、お前らが割って入ると話がこじれるからな。……要するにだ、天城。お前にはいくつもの選択肢があって、うちにはいるも、他のギルドにはいるもいい。こんなちんけな小規模ギルドよりもだな、うちの方が給料も……」


 九条がそこまで言いかけたその時、白縫が慌てて九条の口元を背後から強制的に塞ぎにかかり、「はいはい!」と元気よく挙手をした。

 むーむーと叫びながら、九条は白縫を睨む。


「テンジくんは千郷がいただきます! 私のものになって!」


「ダメだ。テンジはうちの【暇人】で育てる」


 そこにまさかのリオンが介入し、俺のものだと言い張ったのだ。

 お互いの不干渉を謳っていたリオンがテンジを欲しいと言ったことに、テンジは矛盾を感じながらも意図を探り始める。

 正直、これほどの実力者で有名人が自分の保有権を争うように、言い合っている。この状況に恐れ多い気持ちを感じつつ、ゆっくりと思考を巡らせていた。


 今の自分の立場を。

 彼らが何を欲しているのか。

 自分はどう行動するべきなのか。


 そうしてテンジの中では、とある希望に辿り着いた。


「い~や~だ~、テンジくんは私が育てるの! 【暇人】じゃなくて、私個人で育てるの! リオンはいつもみたいにだらだらゲームしてればいいの! 育てるったら、育てるの!」


「居候が何を言ってやがる。千郷にテンジが制御できるわけないだろう、二級風情が」


「できるったらできるもん! 絶対にテンジくんも加齢臭のするリオンよりも、若くてぴちぴちな私と一緒にいたいって言うもん! だよね? テンジくん!」


「か、加齢臭だと!? 九条! 俺ってそんな匂いするのか!? これでも匂いにはだいぶ気を使って……」


「お、おい……二人とも一旦黙れ。みんなが呆気に取られているだろうが」


 九条は制御の効かない二人の後頭部を躊躇なくパシッと叩き、呆れたように溜息を吐くのであった。

 その言葉を聞いて、状況をようやく理解する二人であった。傍から見ると家族喧嘩のように見えなくもないが、零級探索師という枕詞が付くだけで、それは異常な事態なのだと考えてしまう。


「あ、あの……」


 そこでようやく、テンジがこの状況を収束させるべく口を開く。

 このままだとまずいと思ったのだ。

 自分の主張を聞いてくれなさそうなこの状況を変えるべく、大きな声で主張を言い放つ。


「あ、あの! 僕はまだどこのギルドに入るとか何も決めてないですから! お話は嬉しいんですけどね! ありがとうございます!!」


 突然叫び出したテンジに、ここにいる全員が思わずびくりと体を震わせた。

 九条はここだと言わんばかりににやりと腹黒い笑みを浮かべ、テンジへと語り掛けた。


「では、天城典二に聞く。お前が今一番欲している物はなんだ? それを与えられる者が、天城典二が高校を卒業するまでの二年間を独占するってのはどうだ?」


 九条の唐突な提案に、この場はシンと静まり返る。

 完全に会話に置いてきぼりにされていた他の者たちは、目の前の異様な状況にただただぽかんと口を開くほかなかった。


 そこでポケットに手を突っ込みながら考えこんでいたリオンが顔を徐に上げた。


「ふむ、いいだろう。俺は乗るぞ」


「はいはい! 私がなんでもあげちゃいます! ドーナッツ一年分でも、家でも何でも!」


 九条の一方的な提案ではあったが、テンジも「悪くないかも」と内心で思っていた。


 そもそもテンジは自分の天職を検証するために何が何でも欲しいものがあったのだ。もしそれが……その権利が手に入ると言うのならば、これ以上の流れもないと考える。

 自分で手に入れるのは困難、というか絶対に不可能だ。


 だけどここにいる日本屈指の上位探索師の誰かならば、もしかしたらテンジが望むそれを与えられるかもしれない。

 その可能性を十分に秘めた三人だった。


 テンジが最も欲しい権利、それは世界で最も我儘な要求だった。



「マジョルカ・エスクエーラへの留学権利が欲しいです!」

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