第56話
テンジのすぐ目の前の地面に、二つの小さな扉が現れた。
禍々しい紫色をしたその地獄扉は地面と平行に出現しており、すでにひと一人が通れるほどの隙間が開いている。
扉はほんの少し地面に沈み込む形で存在しており、扉の間にはドス赤黒色をした地獄のような油膜が張られている。
そこから小さな鬼が二体、ゆっくりと現れ始めた。
「小鬼くん、小鬼ちゃん。この数の敵を倒せる?」
小鬼たちが完全にこの場に現れると、紫色の地獄扉は煙となって掻き消えていく。
そこでテンジが小鬼たちに語り掛けると、二体は言葉を発さずに頷いた。
「なっ!? 言語を理解しているのか!?」
「えっ? 鬼? 生物の召喚!?」
テンジの背後にいた二人は未知の現象に驚き、言葉に出さずにはいられなかったようだ。
そんな二人に、テンジはそっと笑いかけるように後ろへと振り返った。
「大丈夫、僕の使役している小鬼だから」
「使役だと?」
「まぁ、僕もそこら辺はよくわかっていないんだけどね。……よし、やろうか小鬼たち」
成人男性の半分ほどの身長しかない小鬼が二体に、赤鬼刀を手に持ったテンジ。
ようやく小鬼の戦闘姿が検証できる喜びを噛みしめつつ、テンジはこの状況をどう打開していくのか考えていく。
(まず、なぜニードルマウスたちは攻撃してこない? ……わからないが、何かを待っているような感じがするな、直感だけど)
ニードルマウスたちはテンジたちを囲んでからというもの、何かを待っているように威嚇だけをするだけして、碌に襲ってくることはなかったのだ。
ただ、今にも飛び出しそうな個体が数体いたことから、もう「待て」も限界なんだと気が付いていた。
「行け!」
テンジは早速小鬼たちに、周囲のニードルマウスたちを殲滅していくように指示を出した。
多くを言わずとも理解してくれる小鬼たちは、目にも止まらぬ速さで一気に駆け出す。
そうして、小鬼たちの蹂躙劇が始まった。
「フュイッ!?」
「フュッ……」
「フュェイッ!?」
「……フュッ!?」
次から次へとこの空間にニードルマウスの悲鳴が木霊し始めた。
(よしよし、いいぞ! その調子だ!)
テンジは閻魔の書経験値欄を見つめている。
その数値は小鬼たちが暴れてすぐに勢いよく数値が上昇していき、あっという間に7の経験値が入っていた。
(あと11で、レベルが上がる!)
テンジや水江、立華の目では負えないほどの速さでこのボスエリアを駆け抜ける小鬼たちは、手刀一本で次から次へとニードルマウスたちの首を一刀両断していた。
彼らには、飛び散る血しぶきとニードルマウスたちの悲鳴、微かに視界で捉えられる小鬼たちの残像だけが理解できる現象であった。
(よし、きた!)
そこで――テンジはにやりと口角を上げた。
《種族の経験値が満たされました。天城典二のレベルが上がりました》
《天職の経験値が満たされました。特級天職:獄獣召喚のレベルが上がりました》
もう少しだった経験値が、小鬼たちが暴れまわったことですぐに満たされたのだ。
残り18だった数字がすぐに満たされたことから、やはり四等級になると経験値効率が良くなるのだとテンジは一瞬で確信した。
そして勢いよく顔をあげ、小鬼たちへと声を荒げた言った。
「いいぞ! そのままニードルマウスたちの視線を釘づけにしておけ! こちらには一体も近づけさせるな!」
「おん!」
「おんおん!」
テンジは閻魔の書の変化を確認する時間が欲しかったのだ。
小鬼たちの返事を聞いてすぐに、急いで変化のあったページを探し始める。
ぱらぱらと手に持つことなく閻魔の書を急いで捲っていき、すぐに大きな変化に気が付いた。
――――――――――――――――
【名 前】 天城典二
【年 齢】 16
【レベル】 1/100
【経験値】 6/5000
【H P】 1028(1012+16)
【M P】 1016(1000+16)
【攻撃力】 1096(1080+16)
【防御力】 1043(1027+16)
【速 さ】 1024(1008+16)
【知 力】 1043(1027+16)
【幸 運】 1045(1029+16)
【固 有】 小物浮遊(Lv.6/10)
【経験値】 4/45
【天 職】 獄獣召喚(Lv.1/100)
【スキル】 閻魔の書
【経験値】 6/5000
――――――――――――――――
(ま、まじで!? ステータス数値がおかしいほどに上がってるんだけど……)
これまでのテンジの数値は一番高くて攻撃力の96であった。
しかし、今見るとすべてのステータス数値が1000近くも跳ねあがっていたのだ。
その変化に驚きつつも、体中に力みを入れてみると、今まで感じたことのないレベルで全身に力が漲ってくることに気が付いた。
心なしか、運まで自分に味方してくれるような錯覚さえ感じる。
そして一番の変化は、体中に無色透明の靄のような何かが取り巻いていることであった。
(これ……まじだぞ。おかしいほどに体が軽く感じるし、力が漲ってくる! そもそも小鬼のステータスの4倍って……これ、僕が戦った方が早いんじゃないだろうか?)
小鬼のステータスは200から300の間で変動している。
その小鬼ですら四等級のニードルマウスたちを圧倒して倒し続けているのだ、その4倍のステータス値を手に入れた今のテンジならば――。
そう思った時だった。
「フュイッ!」
「フフュィッ!」
「フェイッ!」
ニードルマウスのいくつかの群れが小鬼には敵わないと判断したのか、本体であるテンジたち目掛けて走り出したのだ。
テンジは遅く感じる世界の中、その様子をゆっくりと眺めていた。
(あれ? ネズミ型モンスターってこんなに遅い生き物だったか? ……いや、僕の見えている世界が遅くなったのかな?)
ステータス値が急上昇したことで、テンジは自分の体の制御があまりできていなかった。視界すら、少し違和感を覚えるほどであった。
そこで、慣れるためにも何度か体に力を入れて、抜いて、入れてを繰り返して具合を確かめる。
「――うん、行けそうだ」
「お、おい! テンジ! あ……あれを呼び戻せ!」
迫ってきたニードルマウスたちに恐怖していた水江が、慌ててテンジの肩に掴みかかった。
ようやく手にした希望なのに、ここで手放すわけにはいかなく水江も必死だったのだ。
そんな水江に、テンジは驚くほどの冷静な表情をして振り返った。
「大丈夫だよ。どうやら賭けには勝ったようだ」
テンジは体から力を抜き、そっと水江の手を肩から振りほどいた。
今まで見たこともないテンジの姿に動揺しつつも、自信に満ちて冷静な彼の言葉を信じた水江は、その場から一歩後ずさった。
周囲には今にも飛び針の中距離攻撃を仕掛けようと迫ってくる、鬼の形相をしたニードルマウスたちがいた。
思わず、立華はその場に座り込み頭を抱え込んだ。
水江も恐怖で顔を強張らせながら、テンジの後ろ姿という最後の希望をただ見つめていた。
刹那、テンジの姿が消えた。
「テンジ!?」
水江は反射的に、唯一の望みだったテンジの名前を叫んでいた。
しかし、その返答は思わぬ方向――水江のすぐ背後――から聞こえることとなった。
「あぁ、そういうことか。案外、大雑把な調整は簡単だな。細かい練習はもう少し必要そうだな。……それで水江くん、どうした?」
その時にはすでに、近づいたニードルマウスたちは死んでいた。
テンジの言葉とほぼ同じタイミングで、近くまで襲い掛かってきていたニードルマウスたちの首がずるりと滑り落ち始める。
瞬きするほどの一瞬の出来事だった。
テンジの姿が消え――気が付けば周りのニードルマウスたちはすでに首を断ち切られた後だったのだ。
その事実に気が付いた水江は、思わずその場で尻もちを着く。
「う、嘘だろ……」
「何が? それより立てる?」
水江は声のした方へと振り向いた。
そこには大量の血を刀に付着させ、悠然と立ち尽くすテンジの姿があった。
その姿はやはり水江の知るおどおどとして、へらへら笑うテンジではなく、強さと自信に満ち溢れた本物の探索師の姿に見えた。
不思議だった。はじめて福山の戦いを見たあの時よりも、水江は鳥肌が止まらなくなっていたのだから。
テンジという学生の存在感の変わりように、思わずごくりと唾を飲み込む。
「あ、あぁ……すまない」
「いいよいいよ。それじゃあ、僕もあっちに混ざってくる」
テンジは笑って手を差し出すと、水江もそれに応じて手を掴んでくれた。そのまま引っ張り上げて、水江を立たせてあげると、テンジはそう言い残してニードルマウスの群れの中へと駆けだした。
最初は体に力を入れずにゆっくりと走り出す。
そんなテンジの姿を見て、カモが来たと勘違いしたニードルマウスたちが必死の形相でテンジへと襲い掛かった。
その瞬間を見計らって、テンジは体にグッと力を籠める。
(やっぱりだ。世界が遅くなってるんじゃなくて、僕が速くなってるんだ。見ている視界、走る速さ、何もかもがニードルマウスよりも僕の方が勝っているんだ。……これが上級探索師の見ている世界なのかな? 少し気分がいいな)
テンジは目の前のニードルマウスをゆっくりと観察しながら、そんなことを考えていた。
まるで子供のお遊びでも見ているかのような世界の中で、テンジは赤鬼刀を無造作に横なぎに振るった。
「フュィッ!?」
「フュッ……」
それだけで周囲のニードルマウスの頭がぽとりと落ちていく。
赤鬼刀で首を斬った感触すら手には伝わってこず、ただただ空気を裂くようにテンジは赤鬼刀を振り続けた。
その形相はまさに『鬼』そのものであった。
それからというもの、テンジは虫と戯れているかのように斬って斬って……斬りまくった。
水江と立華に近づこうと走り出した個体を優先的に殺す。そして小鬼くんと小鬼ちゃんの二体と連携を取りながら、指示を出しながら、周囲の四等級モンスター、ニードルマウスを一方的に殺し続けるのであった。
そんな『
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