第8話

 


「裏ダンジョンですか? 聞いたことないですけど」


「おう、後で話す。今は優先順位が違うからな、分かってるだろ?」


「は、はい! すいません」


 五道はその質問に答える前に、やるべきことをやってしまおうと考えた。

 すぐに深い傷を負った探索師を治癒役に回復させ、軽症者は他の探索師たちには物理的な応急処置をするように指示を出す。


 その間にもテンジはすぐに荷物持ちとしての仕事を始めるのであった。


 荷物持ちの仕事は、戦闘終了後にもある。

 水分の分配、タオルの支給、替えの衣服が必要な場合はすぐに荷物から渡す。その他にも、雑務のような仕事はすべて荷物持ちの仕事なのだ。もちろん魔鉱石の回収も行う。

 それを見て、朝霧も手伝おうとテンジの元へ駆け出す。


「ちょっと待て嬢ちゃん」


 その行動を五道は慌てて止める。

 急に駆け出した朝霧の二の腕を掴み、力づくでその場に止めたのだ。

 さすがにただの高校生と探索師では地の力が違い過ぎるので、朝霧にとっては石像に腕を掴まれたような感覚であった。

 朝霧は、テンジと伍堂を交互に見る。


「あっ、でも私……テンジくんの手伝いを」


「嬢ちゃんはこれからこっちのチームに加わってもらう。こういう状況なんだ、理解してほしい」


「で、でもテンジくん一人だと……」


「あいつは大丈夫だ。元々レイドバッグなら一気に四つ持てる男だしな」


「へ?」


「なぁ、大丈夫だよなテンジ!」


「はい! 僕ならまだまだ大丈夫です!」


 テンジは無駄に声の大きい五道の話しが聞こえており、当たり前のように爽やかな笑みで答えた。

 そうなのだ。テンジは持とうと思えばバッグを一度に四つ持てる。だから、これほど有名な五道と一緒に仕事ができるというわけである。

 五道のような優しくてできる人間は、身を粉にして働くテンジのような活き活きとした青年をよく重宝する傾向があった。


 朝霧は少しでもテンジの負担を減らしたくて、このレイドに参加した節があった。

 しかし、突然突き付けられた「これくらい余裕です」発言に、思わず面を食らってしまう。


「……それは本当ですか?」


「あぁ。あいつは自分の固有アビリティを組み合わせれば、四つは一人で持てるぞ。自分では『負け組アビリティですから』なんて謙遜しているが、俺からしたら固有アビリティ持ってるだけで羨ましいんだがな。今の子供の考えはよくわからんよ」


 五道は、忙しなく働くテンジの健気な姿を見て面白そうに笑った。

 テンジは負け組、勝ち組なんて言葉を気にするが、元々固有アビリティを持っていなかった五道にとっては能力があるだけで凄いことだったのだ。

 しかし、そんな大人の考えなどテンジはあまり知らない。


「それは知りませんでした。少し恥ずかしいですね」


「何がだよ、嬢ちゃんの瞳を見てればわかるさ。まぁ、頑張れよ」


「――へ?」


「何だよ、可愛い顔して無自覚かよ」


 そこで質問にいつ答えてくれるのかとソワソワ待っていた右城が、意味ありげな黒い笑みを浮かべて五道の肩にぽんと手を置いた。

 その瞳には、「年寄りは黙ってろ」というような意志を多分に含ませていた。


「正樹さん?」


「なんだよ、おじさんのお節介だよ」


「それがだめなんですよ、分かってますよね?」


「ああ、分かったよ! たっく近頃の若い者の考えはいまいちわかんねぇなぁ。まあ、嬢ちゃんはこれからこのチームに入ってもらうから少し休憩しておけ。それと今の感覚絶対に忘れるなよ。それは嬢ちゃんの武器になる」


「は、はい!」


 朝霧は素直な言葉で褒められたことを心の底から嬉しく思っていた。

 彼女自身、家族からあまり褒められることがなかったからかもしれない。五道のストレートな物言いは、それだけ彼女の心に響いたのであった。


 そこで右城はニコニコとした、まるで子供のような無邪気な瞳で五道を見る。


「それでもういいですよね?」


「ああ、裏ダンジョンの話か。これはあまり知られていないが……どのメインダンジョンにも正規のルートでは絶対に行きつけない裏ダンジョンという場所がある。そこはダンジョン等級の何倍も難易度が高いって話だ。俺自身も聞いた話だ、詳しくは知らないさ」


「誰に聞いたんですか?」


「世界でたった四人しかいない零級探索師の一人だよ、ちょっと昔に縁があってな」


「ほぇ~、さすが正樹さんですわ。スケールがデカすぎる」


「ま、そんな話はどうでもいいさ。もしここが裏ダンジョンならば、助けを待つという選択をした時点で餓死が決定した可能性があるわけだ」


「確かにそうですね。零級探索師レベルじゃないと知らないわけですもんね」


「でも、裏から抜けるのは案外簡単だって話してたぞ。逆に表から裏に入るのは場所を熟知していないと難しいらしい。まぁ、化け物揃いの零級探索師が言う『簡単』という言葉ほど信用できない言葉はないけどな」


「それもそうですよ。全く参考になりません」


 五道と右城は小さく笑ったのであった。


 その後、怪我人の治療を終えた彼らは再び進み始める。

 まだ見えぬ出口を求めて。



 † † †



 ――日本探索師協会(JSA)、災害対策部署。


 部屋の個室で鳴り響く一本の電話。

 彼女は「休日出勤してまで働いているというのに、誰が電話を掛けてきたんだよ」なんて思いながらも、スマホを手に取り部下からの電話を取った。


『あっ、麻美子まみこ部長!』

「なんだね、こんな朝っぱらから。それも私は今日、休日だぞ」

『そんなことよりも大変です!』

「何が大変なんだね、サイレンも鳴っていないし平和そのものじゃないか。黒繭くろまゆも出てないない、空は快晴、ランチ日和。これ以上の休日出勤もないではないか」

『違います、メインダンジョンですよ!』

「メインダンジョンがどうした? 横浜か? 御茶ノ水か? それとも……」

『御茶ノ水ダンジョンです! そこで構造変革が起こりました!』

「――は? 今なんと言った?」

『構造変革ですよ! 御茶ノ水ダンジョンは定型ダンジョンじゃなくて、不定型ダンジョンだったんです!』

「……なぜ23年越しにそんなことが判明するのだ。はぁ、今日は休日だって言うのに」

『それとですね!』

「まだ何かあるのかね、水橋みずはしくん!」

『現在、御茶ノ水ダンジョンにいる中規模以上のレイドは全部で三つ。その内、一つに探索高校の生徒が三人もいるんです! これやばいですよ! 麻美子部長の首がやばい! 僕が昇格しちゃいます!』

「……生徒が巻き込まれた?」

『そうです! 幸いにもレイドにはあのチャリオットの五道正樹がいるので、大事には至らないと思いますが……万が一の可能性もあります。その時はまじで麻美子部長の首がやばいですよ。僕は部長になりたくないので、首にならないでください!』

「私情を駄々洩れにするな! 夜は私の酒に付き合ってもらおうか」

『え~、それは嫌ですよ~。僕、年下が好きなんです、特に女子大生が大好物です』

「水橋くんの好みなど聞いてないわ。はぁ、仕方がない。仕事をするか」

『頑張ってください! ……あっ、冷たい麺! 辛さ増しで! あとメンマも追加トッピングでお願いします!』


 まさかのつけ麺屋から電話しているとは思ってもいなかった春芽はるめ麻美子まみこは、そっと電話を切ったのであった。

 そこでソファで昼寝していたことを思い出し、ふぅと小さくため息を吐いてから立ち上がる。そのまま大きな窓ガラス張りの壁へと向かい、高層ビルから見える街の景色を眺めた。


「よし、仕事をやるか」


 春芽は機敏に起き上がり、自分のデスクへと座る。

 そのままパソコンで日本探索師協会のホームページを開くと、社員専用のログインページを開いた。

 そこの検索画面から御茶ノ水ダンジョンに現在進行形で入っている探索師たちの申請用紙を調べ上げ、一通り目を通すと、スマホに『クソ野郎』と登録された番号へと電話を掛けた。


「よう、百瀬ももせ

『ん? なんだ、麻美子か。どうした? 俺の体が恋しくなったか?』

「違うよ、緊急出動要請だ」

『嫌なこった』

「御茶ノ水ダンジョンで構造変革が起きた。日本探索師高校の生徒が三人巻き込まれている」

『そんなの知らないよ。高校生が出しゃばったのが悪いんだ、自業自得だ、自業自得』

「……相変わらず強情なだよ。私の尻が恋しくはないか? 答えてくれたらいくらでも付き合ってあげるんだけどな」

『ふん、聞こうじゃないか』

「遭難レイドは三つ。今調べた感じ……あぁ、二つはもう死んでるかもな。それほど強い探索師が同行していない。残り一つは……君も知っている五道くんが取り仕切っているようだね」

『ほぅ、五道も昔から運の悪い男だ。前も中国で構造変革にあったって話を居酒屋であいつから聞いたことがあるな。まぁ、あいつならどうにかするだろ。俺の行く必要性がなくなったな』

「いや、ちょっと待ってくれ。今、新しい情報が入った。どうやら御茶ノ水ダンジョンの等級が三つ格上げされるらしい」

『三つだと? 定型から不定型への変更なら二つだろ』

「どうやら同時にモンスターアルゴリズムの変化も起きたようだ。主力モンスターが四等級から三等級に格上げだ」

『ちっ、そりゃあさすがに五道も苦戦するな。仕方ないか、あとで存分に付き合えよ、麻美子』

「ああ、いくらでも付き合うさ」


 そこでぶつりと電話が途切れた。

 麻美子部長はふぅと息を吐きつつも、もう一人応援を呼んでおこうかと思い、再び電話を取るのであった。

 今度は『親バカ』と登録された人物であった。


「あー、もしもしえんくん?」

『麻美子か、どうした?』

「君の弟が御茶ノ水ダンジョンで構造変革に巻き込まれてね。助けてくれないかな?」

『……今、なんと言った?』

「御茶ノ水ダンジョンが定型から不定型に変わったんだよ。それにモンスターの等級も一段階上がったらしい」

『……わかった、すぐに仲間を連れていく』


 稲垣炎にしては慌てるように電話を切ったことに麻美子は驚いていた。

 それと思いのほか素直に要請を受けてくれたことについても、不思議に思っていた。

 思わぬ状況に動揺しながら、暗くなったスマホの画面を眺める春芽であったが、ふと春芽の目に一人の学生の名前が止まった。


 チャリオットの提出した申請用紙の参加者名簿の中に、「稲垣累」という学生を見つけたのだ。


「あぁ、そう言うこと。相変わらず親バカだねぇ、炎くんも」


 春芽は一人呟きながら、事態の収束を見守ることにしたのであった。

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