蟲毒

大澤めぐみ

蟲毒

 誰も笑ってないのにつまらない親父ギャグを連発し続けること以外はとりたてて邪悪な部分のない、しがない町の写真屋さんでしかなかった父親が、行事のたびにカメラマンとして呼ばれていた小学校の運動会でいきなり包丁を振り回して暴れ、児童7人を殺害し、教師1名を含む19人に重傷を負わせた挙句に、衆人環視のもとで思い切りよく頸動脈をスパッと切って盛大に血を噴いて自殺して、めちゃくちゃニュースになるし取材も嫌がらせも嫌がらせみたいな取材もめちゃくちゃくるしで、わたしたち家族は町に住んでいられなくなり、ひとまず母親の実家がある富山に逃れようとコソコソ引っ越しの準備を進める。

 店舗兼住居の自宅の一階部分は写真屋になっていて、店内に鎮座している巨大な機材は高額なのでどうにかして現金化したいのだけど、買ってくれる業者も限られているし、なにしろ大きいのですぐには無理だろうから、ほとぼりが冷めた頃にこっそり戻ってきてどうにかするしかない。もっと気安く現金化できるものはないかと、母と妹と一緒に奥の事務所を物色していると、事務デスクの引き出しの一番下からゴーフルの缶が出てくる。振るとカサカサと紙っぽい音がするから、へそくりじゃないかと期待して開けてみたら、内側にびっしりとお札が貼り付けてあって、雰囲気が禍々しすぎて思わず「ヒッ」と声が出る。

「どうしたの? お姉ちゃん」と、声を潜めて訊いてくる妹に、わたしは「金目のものかと思ったら、なんかヤバイものが出てきたわ」と説明をする。

「なに、ヤバイものって」と、妹が顔を寄せてくる。

「心霊写真かな」と、わたしは答える。

「心霊写真だね」妹も同意する。

 ゴーフルの缶の中にはけっこうな数の写真がガサッと放り込まれていて、そのすべてが心霊写真っぽい。千枚はないかもしれないけど、百枚以上は確実にある。カップルがふたりでピースしている写真の、女の肩のところに誰のだか分からない手が乗っているとか、笑顔の児童が十人ほど写っている写真で、ひとりだけ顔がないとかそういうやつで、言っちゃなんだけど、心霊写真としてはありきたりすぎて写真じたいはそこまで怖くない。それよりも、内側に隙間なくお札が貼られたゴーフルの缶そのもののほうが怖い。

 肩越しにお母さんが覗き込んできて「あ~、ずいぶんと溜め込んでたのね」と、驚きもせずに言う。

「なにこれ? お父さんの趣味とか? 心霊写真集めてたの?」

「いや、集めてたわけじゃないと思うわよ。たんに集まっちゃっただけで。ほら心霊写真って、たまにカメラを持つだけの素人さんだって、ときどき撮れちゃうでしょう? 写真屋なんか毎日写真を撮るんだから、当然、結構なペースで出てくるのよ。でも、そういうのを持ってるとちょっと障りがあるから、あまりよくないのよね」

「障りって?」

「別に大したことじゃないわよ。靴紐が切れるとか、自転車のチェーンが外れるとか、タンスの角に足の小指をぶつけるとか。心霊写真が出るとだいたいそういうのがあるから、ああ、きっとあれの障りだな~って」

 たまたまじゃないの? って気はするけれど、まあそういう細々とした不幸をなにかのせいにしたくなる気持ちは分からなくはない。

「むかしは溜まっちゃったら、お寺に持っていって供養してもらったりしてたんだけどね。供養に出すのもだんだん面倒になってきちゃって、最終的にそんなに溜まったのね」

「なんか、どの写真もずいぶん古そうに見えるけど」

「デジカメになってからは、めっきり撮れなくなったから、心霊写真。それもあって、お父さんも溜めるだけ溜めて、しまいっぱなしで、すっかり忘れてたんじゃないかしら」

 ああ、お父さんっぽいなと思う。お父さんは目につかないところに物を仕舞うと、その存在をすっかり忘れてしまうので、物はぜんぶ見えるところに見えるように並べておかないといけない人だった。根は真面目ではあるのだけど、おっちょこちょいで、どこか抜けているのだ。そんな父が、なぜいきなり小学校で包丁を振り回したのかはわたしたちにも分からない。テレビのワイドショーでは現代社会が生んだ心の闇がどうのこうのみたいな話をしてたけれど、あの呑気なオッサンにそんなものがあったようには思えない。

「ひょっとして、いきなりお父さんの気が狂って包丁を振り回したのって、この心霊写真の障りのせいだったりしない?」と、わたしはお母さんに訊いてみる。

「え? でも、だから、障りっていっても、自転車のタイヤがパンクするとか、エコバッグの底が抜けるとか、そんなのよ? いくらなんでも、とつぜん気が狂って刃物を振り回したりはしないわ」

「でも、それは個々の心霊写真の場合でしょ? これだけ溜め込んだら、それぐらいのパワーになるんじゃない?」

 わたしの推測を、妹が「障りって合体してパワーアップとかするの? キングスライムじゃないんだから」と、鼻で笑う。

「まあ、お父さんは心霊写真の障りで頭がおかしくなっちゃったせいで、いきなり小学校で包丁を振り回して子供を何人も殺したんだって考えたほうが、そりゃわたしたちの気持ちとしては楽になるかもしれないけどさ。でも、それでわたしたち以外の誰かが納得する? お父さんが刃物を振り回して次々と子供を殺すところを、たくさんの人が見てるんだよ。間違いなく、わたしたちのお父さんがやったんだよ。あれを」

 そんなドライなことを言っていたドライな妹も、同級生やご近所さんの壮絶なイジメに遭い引っ越しを待たずにお父さんと同様に思い切りよく頸動脈をスパッと切って自殺する。これはいよいよまずいと思ったわたしは、お母さんに場所を訊いて、むかし心霊写真を供養してもらっていたお寺にゴーフルの缶を持ちこむ。

「これはたしかに、うちの寺の札ですね」

 応対してくれたお坊さんが、ゴーフルの缶を開けて中を確認してそう言う。

「わたしも初めて拝見しましたので、おそらく写真の供養をしていたのはわたしの先代だと思います」

 言われてみれば、お坊さんはわりと若い。若いといっても四十代か五十代くらいだとは思うけど、うちのお父さんが心霊写真の供養をお願いしていたのは、この人の父親ということだろうか。

「じゃあ、供養はできないということですか?」

「いえ。やりかたは分かりますので、やってみましょう」

 ミニチュアの祭壇みたいなのを用意して火を焚き、お経をあげながら一葉ずつ写真を炎に投げ込んでいくお坊さんを、わたしは後ろで正座して見守る。昼間だというのに、お堂の中はなんだか暗い。天井付近の暗がりで、写真を燃やした黒い煙が集まってだんだん形を作り、あちこちから腕とか首とかが何本も何個も飛び出した化け物になっていき、わたしは「ヒッ!」と悲鳴を上げる。お坊さんはわたしに背を向けて一心不乱にお経を読んでいるので、やっぱりお坊さんはこんな化け物にはびっくりしないんだなと感心していたら、たんに目を閉じていて気付いてなかっただけみたいで、かなり遅れて「ワッ!」と叫んで飛び退く。

 まだ火に投げ込んでいない写真も勝手に燃え上がり、煙はどんどん濃くなって、飛び出した腕や首の本数がどんどん増えていき、デザインを盛大にミスった千手観音のようになる。

「ヒエッ!」と、パニクッたお坊さんが無様に畳を這って逃げてきてわたしにぶつかり、わたしを守らなければ! ということを思い出したのか、キリッとした表情を取り戻して、わたしを背後に庇いつつ、また一心不乱にお経を読む。黒い煙の化物は、お坊さんとわたしを捕まえようとたくさんの腕を伸ばしてくるけれど、お坊さんのほんの数十センチくらいのところにバリアかなにかがあるようで、腕はそれ以上はこちらに来れない。やがてすべての写真が燃え尽き、煙も徐々に薄らいで、形を保っていられなくなった黒い煙の化物は消え去る。お坊さんは汗ぐっしょりで「はあ……よかった……よかった……」と呟く。

 すこし落ち着いてから、改めて向かい合ってお坊さんの説明を受ける。

「おそらく、ひとつひとつは取るに足らない心霊写真の障りでしかないものが、お札の力であの狭いゴーフルの缶の中に閉じ込められ、お互いに食らい合い融合して強力になったのでしょう。わたしも、あんなにはっきりと魔を見たのは初めてのことですが、なんとか祓うことができたようです」

「お坊さんでも、いままで見たことないくらいに強力なものだったのですか」

「いえ、というか、わたしは今まで本当の心霊体験というのをしたことがありませんでした。幽霊も見えませんし、怪奇現象にも遭遇しません。正直に申し上げれば、わたし自身は幽霊や死後の世界というものを信じていたわけではないのです。ただ、死者を丁重に弔うことが、生きているみなさまの心の平安に寄与するのであれば、それくらいの嘘は方便であろうと思っていました」

 そりゃそうだ。お坊さんだって現代の日本でちゃんと近代的な科学教育を受けているのだ。基本的な科学的知見を保持したうえで、神や仏や死後の世界をマジで信じることなど難しい。こうして、実際に目にしでもしない限りは。

「仏を心から信じてはいませんでしたが、先代の言いつけはすべて守り、真面目に修行を重ねてきたおかげで、なんとか対応ができました。おかげで、これからはより一層、修行に身が入りそうです。なにしろ、冗談抜きの本気で、あんなヤバイものから人々を守らねばならないのですからね」

 そう語っていたお坊さんも、それから毎晩、黒い化け物に襲われて頭がおかしくなり、一週間も経たずに首を掻き切って自殺する。どうやら、あれはもう元となった心霊写真も必要としないくらい確固とした存在となっているらしい。

 うちのお父さんがズボラとうっかりで生み出してしまったヤバイ化け物はまだまだ絶好調なようで、お寺を引き継いだ新しい住職が近くに高所なんかない境内の真ん中で墜落死しているのが発見されるのに一か月も掛からなかったが、富山に引っ越したわたしはもうなにも見ないし聞かないし気にしない。あとはお母さんしか残っていないし、わたしはこれ以上なにも奪われたくないので、黒くてデカい意味の分からない化け物からは遠く離れて、二度と関わり合いにはならない。

 触らぬ神に祟りなしだ。

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蟲毒 大澤めぐみ @kinky12x08

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