第132話 雨

 馬車の内部で金貨を磨きながらくつろいでいたモネアは、屋根に無数の小さな音が叩くのを耳にした。どうやら小雨が降ってきたらしい。好都合だとモネアは思った。雨は馬車のわだちを消してくれる。街を出れば自分たちを尾行することはまず不可能だろう。


 計画は首尾よくいった。

 

 アトラマスで戦争を仕掛けている自分たちがよもや対岸の国と裏でコンタクトを取っているとは誰にも予想できまい。壮大なる計画の布石はすで打たれた。今回の目的は単なる顔合わせだ。ダーチャの反応も想定通り。いやもう少し手強いと予想していただけに拍子抜けだった。唯一の誤算は奴隷の数が三人しか残らなかったことだが、この程度なら許容範囲といえる。失った損をはるかに上回る得が今回の旅にはあった。


「モネア様! 吊り橋の前に誰かが居ます!」


 馬車の外から部下の大声が届き、モネアは金貨から顔を上げた。馬車が走り出したからの時間を考えるに、すでに街は出ている頃合いだろう。気になったモネアは扉を開け、走行中の馬車から身を乗り出した。


 降り注ぐ雨滴が眼鏡に当たる。馬車は来たとき旅と同じ陣形を取って走っていた。先頭を走るのは奴隷が乗った馬たちだ。もちろん奴隷たちは逃げ出さないよう手枷を嵌め、三人とも一本のロープで首輪に繋げている。馬車を取り囲むようにして六人の部下、そして一人の御者が馬車の手綱を握っていた。


 モネアは眼鏡の奥の目を細めて道の先を見る。百メートルほど先。幅三十メートルを超す大きな吊り橋の前で一人の若者が大の字に手足を開いて道の真ん中に立っていた。左手にはライフルらしきものが握られている。


「止まれっ!」


 雨に打たれながらポピルが馬車に聞こえるよう大声を上げた。そして視認する。馬車の中から身を乗り出してこちらを見ている男の顔を。見間違えるはずもない。懸賞首の似顔絵は夢に出てくるほど毎日見続けたのだ。盾使いのモネア。


 ポピルまでの距離が残り七十メートルとなったとき、モネアは肩をすくめながら横を走る部下に告げた。


「私には何も見えませんが?」


 そう言うと、馬車内に戻り扉を閉める。部下たちで対処しろという命令だ。察した部下はライフルの銃口をポピルに向けた。


「どけっ! 小僧!」


 ポピルは意に介さなかった。正面から向かってくる馬車に据銃きょじゅうし、チャージ・クラスプと呼ばれる留め金を下ろしながらレバーアクションを二回作動させる。薬莢が二つ空中に跳ね上がった。威力はチャージ3だ。馬車が四十メートルに迫ったところでポピルは引き金を引いた。


 バーーーン!


 耳を聾する轟音を残して放たれた弾は、戦闘を走る奴隷たちの馬の間を縫い、馬車の片輪に直撃した。驚いた馬のいななきが雨空の中に吸い込まれる。銃撃を受けた車輪は大破し、馬車はふらつきながらポピルに向かってきた。ポピルはすぐさま横の森の中へと跳び込み、モネアたちの一団が通り過ぎていくのを横目で見る。


 バランスを崩した馬車はしばらくガタつきながら走行していたものの、ポピルの横を通る直前でついに横転し、引き馬に地面の上を引きずられた。御者は振り落とされ、馬車は泥を被りながら大地を削るように十メートルほど進んで、止まった。

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