第109話 交渉

「ベネアードとかいったな…お前たちの頭領。俺もこの世界でいろんな奴を見てきたが…お前らみたいな馬鹿は初めてだぜ」


 不意に、モネアの背後で衣擦れの音がしたかと思うと、三人の男が柱の陰から現れた。その手にはリボルバー拳銃が握りしめられている。


 ダーチャが悪辣あくらつな笑みを浮かべた。


「お前の首には賞金が懸けられているんだぜ、盾使いのモネアさん。一人が一生を遊んで暮らすには十分な額がな。お前はこの部屋には来なかった。その箱の金と懸けられた賞金はありがたく頂くぜ」


 三人の男たちが等間隔を空けて横並びでモネアに近付いてくる。モネアは少しも狼狽した様子を見せず、面倒そうに小さいため息をついた。勝ち誇ったダーチャがさらに煽ってくる。


「そんな小さな盾で全身を守れるのかい? モネアさん?」


「ええ。問題ありません」


 モネアは言下に、籠手のように装備していた盾を右手に持ち直してから思い切り振り下げた。


 すると五十センチ四方のしかなかった盾が、胸から下を隠せるほど長く伸びる。


 手品を見せられたかのように呆気に取られ立ち止まった三人の部下を尻目に、モネアはダーチャに向かって薄笑いを浮かべた。


 ダーチャの全身を悪寒が貫く。


「お前ら! いいから撃…」


 突如、モネアは盾を使って自分の全身を守りながら部屋の中央にある長机の上に飛び乗った。そして盾で背後にいる三人の目を隠しながら、自分たちが持ってきた箱の中へ手を突っ込み、金貨をかき分けて銃を取り出すと、盾の陰から三人へ銃口を向ける。


 ダン!


 一発の銃声が部屋にこだました。途端に、ダーチャの三人の部下が糸の切れた人形のように倒れ込む。ダーチャは思わず机に両手をついて立ち上がった。


 馬鹿な! 銃声は一度しか鳴っていないのになぜ三人が同時に倒れる!


 モネアが盾を構えたまま銃を持っていた手をぶら下げる。


「ダックフットピストル…」


 ダーチャの口から思わず声が出た。モネアの手に握りしめられていた拳銃は、銃口が四本取り付けられていて、その様はアヒルの足のように放射線状に広がっている。一回の発射で同時に四方向へ弾が飛ぶ奇銃だ。


「うう…う…」


 倒れた部下のうち、ダーチャから見て右端の男がうめき声を上げた。


「おや? 仕留め損ないましたか。十分に距離を引き付けたつもりでしたが」


 モネアはそう言うと、ダックフットピストルを盾の裏側にぶら下げ、生き残った一人のもとへ歩み寄り、近くに落ちていた男の拳銃を拾って銃口を頭へ向けた。


「よせ!」


「いいえ。やめません」


 ダン!


 モネアは躊躇いなく引き金を引き、倒れて苦しんでいた男は今度こそ事切れた。


 モネアは部下の銃を手に持ったまま、今度はダーチャに近付いてくる。歩きながら、モネアは長く伸びた盾を二回大きく振った。一回目の振りで盾は腰の位置までの短く収納され、二回目の振りで元の小さな盾に収まる。


 ダーチャの顔から血の気が引いた。


 自身は武器を持っておらず、ここは逃げ場所がない。一応、背後にはバルコニーに通じるガラス戸があるが、あいにくここは三階だ。もともとこの場でこの男を殺すつもりだったので、他の部下は部屋から遠ざけている。今しがたの銃声も、部下がモネアを撃ったものだと思っていることだろう。


 殺される…!


 思わず後ずさりしたダーチャは、椅子に膝の裏が当たって強制的に座る形になった。モネアが仕事机の前に立ち止まる。薄ら笑いを浮かべて。


「我らが頭領の方針はいたってシンプルです。自分たちに協力する有用な者には褒美を、歯向かう者には死を。もしヴァンドリアが我らの手中に落ちれば、あなたがたにも相応の恩恵がもたらされるはずです。最後にもう一度だけ聞きましょう。あなたは協力と死、どちらを選ぶのですか?」


 ダーチャはモネアの手に握りしめられている拳銃を見た。もはや選択肢はイエスしかない。問題はどういう言い方をするか、だ。モネアの暗殺に失敗し、銃で脅されてやむなく承諾したことが部下にバレれば、自分の権威は間違いなく失墜する。この裏社会で面子を失うのは凋落の始まりだ。幼少の頃から知恵と度胸で組織内を立ち回り、幾度となく勢力の隆盛を目にしてきたダーチャは、言葉選びに脳漿のうしょうを絞った。


「き、気が早えんじゃねえのか? お前たちは今アトラマスと戦争中だろう? ヴァンドリアへ攻め入るのは何年先の話だ?」


 ダーチャにとっては苦し紛れの問いだった。謝罪はしてはならない。こちらの不始末は後日に大きな貸しを作ることで忘れさせる。そして命乞いもしてはならない。相手に自分の立場が上だと認識させてめられると、今後の取引ではこちらが苦汁をめることになる。


「ふむ。それもそうですね」


 会話の主導権を握るための糸口を探す時間稼ぎのつもりで放った言葉だったが、意外なことにモネアはあっさりと納得した様子を見せ、拳銃を盾の裏に回収した。


「しばらくの間は新聞によく目を通しておいてください。今日は失礼しますが、期間を置いてまた来ましょう」


 それだけ言うと、モネアは踵を返して部屋の入口へと向かった。あまりの突然な展開に拍子抜けしたダーチャだが、命が助かったことに安堵して冷や汗を拭く。


「あ、そうそう」


 モネアは急に立ち止まり、ダーチャを振り返った。再びダーチャの心臓が早鐘を打つ。


「正当防衛とはいえ、部下を殺して申し訳なかったですね。これはそのお詫びです」


 モネアはコートのポケットから三枚の銅貨を取り出すと、長机の上の金貨の入った箱の中に上から落として入れ、ダーチャに向かって笑いを浮かべた。


「一人、一リティです。どうです、相応の価値でしょう?」

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