第55話 劇場ホール

「なんだ、結局最後は死ぬのか」


 真剣にスキーネの話を聞いていたポピルだったがつまらなそうに呟いた。やれやれと態度で示しながらスキーネがため息をつく。


「わかってないわねえ、ポピル。お互い深く愛し合いながらも傷つけ合い、共に天国へと旅立ってしまうから心揺さぶれるんじゃない」


「じゃあクインリーは、その主人公のルシーデ役なんだね?」


 ナナトが聞くと、部屋の中でうろうろしていたルッカが「その通り」と立ち止まった。


「“ルシーデの旅”におけるクインリー・カースティの評判は我が国ヴァンドリアにも聞こえています。圧巻はラストのフィルシャンを抱きしめながら叫ぶシーン。親の死に目にも涙を見せなかった豪傑な男が赤ん坊のように泣いたとか、すでに十回も観ている評論家でさえ毎度息が止まるほどだとか」


 ひとしきり喋った後、再びルッカは歩き出した。心ここにあらずというのが見ているだけで伝わってくる。スキーネがカップに口をつけてティーを一口飲み、膝の上にカップを置いて何気なく言った。


「もともと“ルシーデの旅”は、三百年前に作られた古典劇で、初めて上演された日から国境を越え、大小さまざまな劇団が演じてきた名作なの。なかでもクインリー演じるこの劇団こそが、歴代随一の完成度として知られているわ。他にはそう、“召使いヲービー”と“天国の底”もルシーデの旅と同じ作者が書いたものと言われてて、これら三大古典劇は演劇界では知らぬものはいない傑作として有名よ」


「僕、一つも知らなかった」


 ナナトが素直に感嘆してから尋ねる。


「そんな凄い物語、どんな人が書いたの?」


「実はね…作者不明なのよ」


「え?」


「びっくりでしょう? 同じ時代、同じ劇団から上演され、舞台原本も同じ文体であることから同一人物が書いたことまではわかっているんだけど、どういうわけか劇団によって作者はずっと秘匿され続けていたの。時が経つにつれて当時を知る人が少なくなり、結局作者が不明のまま今もこうして語り継がれているわけ」


 スキーネの隣に座っていたツアムが口を開いた。


「三大古典劇の作者を見つけることと、獣人がいかにして発生したのかについての謎を解くことは、ギルド最古のクエストと言われている。どちらにしても発見した者は大陸中に名が知れ渡るだろうな」


 そのとき、客間のドアがノックされ、バエントと一人のスタッフが入ってきた。スタッフはおもむろに丸められた羊皮紙を開き、テーブルの上に置いてツアムの前に差し出す。


「失礼。ギルド承認の契約書の写しを持ってきた。中身を確認してほしい」


 バエントに促されてツアムは契約書を流し読み、頷いてみせる。


「不備はない。契約成立だ」


「では早速仕事に取り掛かってもらおう。私に付いてきてくれ。まずは君たちをクインリーに紹介しよう」


 先頭を歩くバエントに続き、ナナトたちが劇場内を進んでいく。五人が横に並べるほどの広い廊下を歩いている途中、複数の作業員が天井に装飾をほどこしているとこへ出くわした。バエントが歩きながら説明する。


「新劇場の外観はほぼ仕上がっているんだが、内装にまだ仕事が残っていてね。上演日に間に合うよう最後の仕上げに取り掛かってもらっている」


 緊張した面持ちで髪を撫でていたルッカが、バエントのすぐ後ろに駆け寄って尋ねた。


「あ、あの…クインリー様は今、休憩中なんですか?」


「いや、舞台に上がっている。稽古中だ。むろん客は一人もいない」


「ええ?」


 途端にルッカが慌てだした。


「そんな…大事な稽古中に我々がいきなり入り込んでいいですか?」


「構わない」


 バエントはルッカを振り返った。


「本番の日だって何が起こるかわからないんだ。客が突然席を立ってトイレに行くかもしれないし、大事なセリフを喋っている最中にくしゃみをするかもしれない。そんな事態も想定して稽古を積んでいる。我々が劇場へ姿を見せたことで自分の台詞を忘れてしまうような俳優は、舞台の上にはいない」


 しばらく場内を歩いて、バエントは華麗な装飾が施された大きな扉の前まで着き、ナナトたちを見た。


「この先が劇場ホールだ。本来ならば演劇関係者以外の立ち入りを禁じているんだが、舞台俳優たちにとっても突発的なアクシデントに動じない訓練になるので今回に限り入場を許可する。中に入ったらひとまず私が席まで案内するから、稽古中はそこで座って見ていてくれ。休憩時になったら楽屋まで連れて行こう。準備はいいかね?」


 そう言って、バエントはドアの取っ手に手をかけた。耳を澄ますと中からくぐもった喋り声が聞こえてくる。俳優が台詞を読みあげているんだろう。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 上ずった声でルッカが止めると、胸に手を置いて深呼吸を始めた。スキーネがルッカの背中に手を当てる。


「ルッカ。あなたが舞台に上がるわけじゃないのよ?」


「わかってます。わかってますとも…。はい、大丈夫です。申し訳ありません」


 バエントが劇場ホールのドアを開けたと同時に、くぐもっていた声が明瞭になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る