第34話 巨乳化クエスト
「ラシンカ。別名を“羽刺し鳥”。
ツアムが歩きながらクエスト詳細の記された用紙を眺めて言った。雨が降りやんだのは夕闇が迫る時刻になったときだ。ラシンカのクエストを受注した一行は、雨が上がったところで、クエストの舞台となるワンガホの西の村、ノーイスへと出発した。
ツアムの問いに答えたのは、上機嫌なスキーネだ。
「ええ、そうよ。ポピルが言うには科学的根拠は解明されていないらしいわ。言ってみれば民間伝説の類になるのかしらね」
それだけ言うと、スキーネは再びズムよく歩き出した。耳を澄ますと鼻歌まで聞こえてくる。ツアムは用紙を折りたたんでポケットに入れると、ため息をついた。
「まあ危険度は低いと考えて間違いないようだが。報酬が低くて弾代も出ないのは痛いところだな」
「僕だけでも
ツアムの横を歩いていたナナトが無邪気に言うと、スキーネが憮然とした表情で振り返った。
「駄目よ。ナナトも申請書を見たでしょう? ラシンカを討伐したら、その六割もクエスト発注者へ納めなきゃならないよ? 十羽討伐したら六羽。五十羽討伐したら三十羽。できるだけたくさんのお肉を得るためには少しでも人手が必要なの。今度好きなクエストを選んでいいから今回だけは協力してよね」
「任せてくれ!」
「空を飛べない鳥なんて俺の銃を使えば瞬く間に討伐できるだろう! もしかすると向こう一年は鶏肉ばかり晩餐になるかもしれないが、それぐらいの量が獲れることを期待しててくれ!」
しかし、スキーネは答えることなくプイっと前を向き直ってしまう。ツアムが流し目でポピルを見た。
「一体何を言って怒らせたんだ?」
「それがさっぱりわからないから困っているんだ…」
ポピルは肩を落とした。
ノーイスの村に辿り着いたときには、すっかり日が暮れてしまっていた。村の家々に灯された灯かりの数からして三百人前後は暮らす村だろう。しかし五人が思わず佇んだのは、村から五百メートルは離れたところにある巨大な樹だ。
月光に照らされたその広葉樹は、小さな山とさえ呼べるほど突出した高さで、北風によって木の葉が揺れるだけで、海岸に打ち寄せるさざ波を彷彿とさせる音が山間にこだましていく。仰ぎ見るその頂はあたかも夜空そのものを支えているかのようで、英霊が鎮座し、下界を見下ろしている神秘的な威厳を放っていた。
「おっきいなあ。こんな大きな木は初めて見た」
ナナトが感嘆の声を上げると、隣でポピルも頷いた。
「ああ、俺もだ。俺の村なら
「二百メートルは超えてますね」
そう感想を漏らしたのはルッカだ。
五人は何度も巨樹を見ながら村へと進み、喧騒が外まで聞こえてくる宿屋へと入った。
「おや、客かい?」
宿の台座に座っていたのは太い腹をした頭髪の薄い五十代の男だった。
「悪いが満室だよ。今日のところは野宿してくんな」
「ええ、そんな」
スキーネの頼る目を向けられても、男はうるさい蚊でも払うように手をブンブンと振った。
「あんたらも明日“羽刺し鳥”討伐のクエストに参加するギルダーなんだろ? 知っての通り、このクエストが解禁されるのは一年の一度。今年は明日だけなんだ。おかげさまでこの村の宿屋はどこもギルダーで一杯さ。今夜ばかりは鼠一匹泊める余裕もありゃしねえ。食事だけでよけりゃ、一人三千リティでテントまで運んでやんぜ。どうする?」
台座の前にいたスキーネとルッカがツアムを振り返った。
「仕方ない。今夜はあの巨大な樹の下にテントを張るから、そこへ…」
「やめときな」
ツアムの言葉を遮って、一人の男が横手の階段から降りてきた。黒い皮ズボンに草染めのシャツ、ベストを羽織った格好で、頭にはテンガロンハットを被っている。
「あの巨大樹は今やラシンカの巣になってる。やつらちょうど繁殖期で気が荒れてるから、あの下にテントでも張ろうものなら明日の朝には全身がハリネズミの死体になってるぜ」
言いながら、男はツアムの横まで歩いてきて台座に寄り掛かった。堀の深い顔をした背の高い男だ。
「俺はザッカー。あんたらと同じギルダーだ。明日の解禁日に木の上に巣くう鳥を討伐しにここへやってきた。おたくら今晩泊まりたいんだろう? 部屋が欲しけりゃ、一部屋分けてやってもいいぜ。俺のチームはこの宿屋で三部屋借りているからな」
「ほんと!」
途端にスキーネの目が輝いたが、ツアムが冷静な口調で質問した。
「申し出はありがたいが、親切にしてもらえる理由を聞かせてもらえないか?」
ザッカーはククッと笑う。
「理由は二つ。まず美女を野宿させるのは男として気が引けるってのが一点。もう一つは、明日のクエストに関して取り引きをしたいってのが理由だ」
「取り引き?」
「あの巨大樹でラシンカを狩るのは地上から百メートル以下に限定してもらいたい」
ザッカーは不思議そうな表情浮かべるスキーネたちを見て説明した。
「ラシンカは普段山間部に生息しているんだが、繁殖時期になるとオスがより高い位置へと上り始める。求愛行動の一種だ。力が強く、体の大きいほどオスほどより高いところへ上り、あとからやってきたメスとつがいになって天敵の少ない樹上で営巣する。やつらが今あの巨大な樹を縄張りにしているのはそういうわけだ」
ザッカーが寄り掛かっていた台座から体を離した。
「俺たちは二日前からこの村に入って巨大樹を観察してたんだが、いま樹の上にいるラシンカはおおよそ五百匹と見ている。俺のチームだけで全て討伐するのは不可能。そこで俺たちは百メートル以下の鳥は無視し、初っ端から樹の最高部へ向かうつもりだ。むろんライバルは少なければ少ないほどいい」
「百メートル以上の樹にいる大物には手を出すなと?」
「その通りだ。悪い話ではないと思うが」
「一つ聞いてもいいか?」
「何でも」
「もし明日、あんたたちがラシンカに怪我を負わされて退散する羽目になったらどうする?」
一瞬、呆気にとられた表情をしたザッカーは、すぐにクククッと笑い出した。
「そうだな。もしそんな事態が起こったときは約束を
「乗ったよ」
ツアムは微笑みながら手を差し出した。握手だと思ったザッカーも手を伸ばすが、ツアムは寸前でクイと手の平を上に向けてみせた。
「鍵だよ。部屋の鍵」
「くく。度胸のある美女だな。鍵はここにない。仲間の荷物を移すから十五分ほどしてから上がって来てくれ。部屋の番号は二十二号室だ。待っている間、宿代を払っておけばいい」
それだけ言うと、ザッカーは背を翻して階段へ向かった。その後ろからツアムが声をかける。
「なんだ。宿代は出してくれないのか」
「甘えるな」
ザッカーは振り向きもせずに答えた。
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