第4話

4.

〇月☆日

今日ちょっとした事件が起こった。


ロッジから山を下る道をしばらく下りていくと、小さな山村がある。そこには食料品店や雑貨屋等今後お世話になりそうな店が並んでいるが、今日の目的はそこではない。村の顔役に遅ればせながら引っ越しの挨拶に行ったのだ。山村というのは得てして閉鎖的だ。この挨拶で失敗し悪印象を万が一にでも持たれたら、その後の生活はぐっとやりにくくなる。決して失敗できない、大事な顔合わせだった。


そこで事件が起こった。


我ながら立板に水とばかりに自分の偽の経歴と、このロッジに引っ越してきたわけを語り、いざ娘役のアンドロイドの紹介に話を移そうとしたとき、それ以上話を進めることができなくなった。

我ながら間抜けなことだが、俺は、自分の経歴のカバーストーリーと自分の偽名はしっかり把握していたものの、アンドロイドの偽名を考え忘れていたのだ。とっさにアンドロイドの偽名をその場で決められれば良かったのだが、俺は軍務一筋40年で娑婆のことなぞ何も知らない。

つまり娘の偽名を全く思いつけなかったのだ。いくら自分が情報部出身ではないとはいえ、決してあってはならないミスだった。


娘の話になったとたん露骨に目線をさまよわせ始める俺。一向に俺の口からは娘の名前が出てこない。そんな俺に村の衆の不信の目が向けられ始め、ついにはその不信の念が爆発しそうになったその時。


基本的に俺が説明をするから合図をするまで一切しゃべるなと命令しておいたアンドロイドが口を開いた。


そこから語られるのは自身の偽名『アリア』と、「父」が今自身の名前を呼ぶのを躊躇した理由。その内容について詳しく語るのは俺自身の名誉のため気が引けるが、かつて円満だった家族、不幸な行き違いからバラバラになる家族、引き裂かれる父と娘、やり直しの機会を求めて娘との同居を決めるも、いまだ娘と向き合えぬ父という、聞いたもの誰もが涙するような見事な物語だった。


当初は不信の目を向けていた村の衆も話が進むにつれ誰もが涙をこぼす。猜疑心の塊のような顔をしていた顔役も、物語が進むにつれ男泣きになき、しまいには俺の肩をがっしりと掴み「君はまだやり直せる、娘さんとしっかり向き合いなさい」と熱く語りだす始末だった。


それに応じ「アリア」と呼びかける俺。涙ながらに「お父さん」と俺の首に手を回すアンドロイド。とどろくやんやの大喝采。この儀式をもって、俺たちは村の一員として認められた。


村からの帰り道。俺はアンドロイドに問いかけた。先ほどのカバーストーリーは中将から預かっていたのか、預かっていたならなぜ自分にあらかじめ伝えなかったのかと。


アンドロイドはそれを否定した。先ほどのカバーストーリーはすべて自分で考えたのだと。例の話をして以来、必死に読んで聞いた小説やラジオ、オペラやミュージカルを基としてと。


「何かいけなかったでしょうか」とかけられる言葉に思わずアンドロイドの目を見た。そこにいつものような無機質な目はなかった。その月夜に輝く目は、自分は又失敗したのではないかと、失敗を叱られるのを恐れながらこちらを伺う子犬のような目で。


この時、俺は初めてこのアンドロイドにも心があるのではないかと思った。


おれは『アリア』の頭をなでながら言った。「いや、お前はよくやっている。今回は助かった」と。


その時アリアが微笑んだように見えたのは、俺の目の錯覚だろうか。


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