第66話若党坂田力太郎熊吉13
「銀次郎兄上、祝言はどうされますか」
「いや、まあ、今更この歳で祝言というのも少々照れくさい」
我の言葉に銀次郎兄上が照れておられる。
横に並んで座っている、銀次郎兄上の妻おはなさんも嬉しそうだ。
抱かれている赤子以外の二人の幼子も、行儀よくしている。
こんな日が来る事を信じて、車殿が行儀作法を学ばせてくれていたそうだ。
有難い話である。
「なに言ってんですか、銀次郎様。
銀次郎様は兎も角、奥方は白無垢を着て祝言をあげたいに決まっているじゃないですか、ねえ、おいよさん」
「ええ、そうですとも、殿様、何とかなりませんか」
伊之助が何時ものように口出ししてくる。
何時もとてもいい機会に絶妙な助言をしてくれる。
我のような無骨者では気付くことができない事や、武士の体面を考えてできない事が多いのだが、伊之助は時にそれを打ち破ってくれる。
今回だけはおいよさんも伊之助の肩を持つし、おはなさんも二人の言葉を聞いて、ほんの少しだが嬉しさを表情に現した。
「とんでもございません、私のような生まれの者のために、そのような事をしてもらうのは、恐れ多い事でございます」
おはなさんが慌てて遠慮する。
だが、あのように、押し殺した表情に思わず浮かぶ喜びの表情をみてしまったら、祝言はあげてやらねばならん。
「遠慮は無用じゃ。
おはな姉上を家臣の養女にしてくださった、御用人三浦六左衛門殿への面目もあるのだから、ここは素直に皆の好意を受けられよ」
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」
おはなさんが涙ぐんで喜んでいる。
うむ、我の心のありようが面白い。
好き嫌いなのか、身分による差別の心があるのか、建前上口にする言葉と、心の中で思う言葉が違う。
おはなさんを姉として敬う気にはなれない。
そう考えると、非人の娘と分かっているおはなさんを、陪臣とはいえ養女にしてもよいと言ってくださる、御老中の懐に深さに感服する。
それからは話が早かった。
我の家臣だけでなく、本家の南町奉行所同心家の兄上一家、養女にしてくれた三浦六左衛門殿の若党、陸田瀬五郎夫婦も来たが、正直がっかりだった。
陸田瀬五郎夫婦には、おはなさんを明らかに下に見る様子があった。
身分にとらわれないと思われた田沼家でも、陪臣にまでは開明的な考えが行き渡っていないようだった。
まあ、いい。
どうせ体裁を整えるためだけに借りた武家の籍だ。
体裁を整えるだけの付き合いをすればいい。
それよりも、今は婚礼のために整えられた食事を楽しむ事だ。
特に一個二十文もする卵をふんだんに使った、卵ふわふわ、貝焼き、茶碗焼き、麸の焼玉子が楽しみである。
「藤七郎立見家」
立見藤七郎宗丹:当主
立見銀次郎隆行:若党・表小姓・白河松平家武芸指南代稽古・三両三人扶持
立見虎次郎直正:若党・表小姓・古河土井家武芸指南代稽古・三両一人扶持
坂田力太郎熊吉:若党・表小姓・三両一人扶持
浅吉 :中間・二両
伊之助 :中間・二両
おはな :腰元・銀次郎の妻・三人の子持ち・二両一人扶持
おいよ :下女・浅吉の妻・六人の子持ち・二両
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