第49話拐かし10

「旦那、藤七郎の旦那。

 弥吉と無頼の者共が動きました。

 直ぐに来てください」


 田沼家の中屋敷で、田沼家の世子大和守様に居合術を教えている時に、伊之助が飛び込んできた。

 度胸のある伊之助らしく、大和守様に御教えしている場でも、怯む事なく平気で入ってくる。


「大和守様、申し訳ありません。

 以前御話しさせていただいた、拐かしが起きたようでございます。

 本日はこれで失礼させていただきます」


「気にするな。

 折角助けた娘が、臆病者の慰み者にされるなど、耐えられることではない。

 早々に行ってやるがよい」


 大和守様が九寸五分(二十八・五センチ)の殿中差を鞘に納めながら、鷹揚に答えてくださる。

 我が大和守様に御教えしているのは、殿中で不意に襲われた時の対処法だ。

 普段の大和守様には、多くの近習が護りについている。

 もし大和守様に危険が及ぶとすれば、千代田の御城の中だけだ。


 現実の問題として、大名が襲われるのは千代田の御城が多いのだ。

 吉良上野介が浅野内匠頭に殿中松の廊下で襲われたのは有名な話だが、他にも殿中で襲われた大名は多い。


 寛永年間には、御城を警備するはずの小姓組内で刃傷沙汰があり、楢村孫九郎が木造三左衛門と鈴木宗右衛門を襲った。

 二人は逃げたが、止めに入った二人うち一人が斬り殺されている。

 逃げた二人は士道不覚悟で改易処分を受けている。

 もし警備の者に襲われたら、逃げれば改易処分になってしまうので、殿中差で大刀と戦わねばならない。


 貞享年間には、若年寄の稲葉正休が、大老の堀田正俊を本丸表御殿で殺害し、その後で周りの者達に滅多刺しにされている。

 御老中田沼様も、誰かに恨まれて襲われる可能性を考えておいた方がいい。


 正徳年間には、小普請奉行を務める多賀高国と川口権平が、殿中詰部屋で争い同士討ちになっている。


 享保年間には、長府藩の世継である毛利師就が、当時馬鹿で有名だった信濃松本藩主の水野忠恒に斬り付けられるも、鞘で刀を打ち払って無事だった。

 これを考えれば、御役に付いていない大和守様でも、何時千代田の御城に登城して襲われるか分からない。


 延享年間では、旗本の板倉勝該が、大広間脇の厠付近で肥後熊本藩主の細川宗孝を背後から刺殺している。

 これが家紋を間違えて襲われたというのだから、それほどの善人であろと人格者であろうと、襲われる可能性があるのだ。


 色々な事を考えて、大和守様には、小姓番士や書院番士に大刀で襲われた時でも、殿中差で立ち向かえる技を教えている。

 逃げては士道不覚悟で御家断絶になってしまう。

 立ち向かい生き延びなければいけない。

 その為に殿中差の居合術と、特別製に創らせた鋼入り殿中差の鞘で、二刀流で大刀に対抗する技を覚えてもらわなければいけないのだ。

 我が考えた、十手術と居合術と小太刀術を融合させた技を、大和守様に伝授する。


『立見藤七郎の扶持』

相良田沼家武芸指南役:三十人扶持(百五十俵)物頭格

白河松平家武芸指南役:三十人扶持(百五十俵)物頭格

古河土井家武芸指南役:十人扶持(五十俵)馬廻格

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