第47話拐かし8

「旦那、旦那、藤七郎の旦那。

 何であっしは家来にしてくださらないんですか。

 これでも力だけは誰にも負けません。

 天秤棒を振り回したら、少々の御武家様にだって負けやしません。

 中間や槍持ちにしていただけたら、誠心誠意御仕えします。

 藤七郎の旦那と一緒に、世の中のために働きたいんです。

 どうか家来にしてやってください」


 朝起きてしばらくして、熊吉が長屋にやって来て訴える。

 熊吉がそんな風に思っていたとは、全然気がつかないでいた。

 だが、熊吉の気持ちはうれしいが、我の中間になってもいい事などない。

 あまり働けない浅吉とおいよさんの子沢山家族なら、我が家族全員に食事も御仕着せも与えるから、給金が安くても家臣になる利があるが、他人の二倍は働ける熊吉には利がないのだ。

 我はそう話したのだが、熊吉の気持ちは変わらなかった。


「給金なんて安くても構いません。

 藤七郎の旦那の家来として、世のため人のために働きたいんです。

 中間や槍持ちをしながら下男の仕事もさせてもらいます。

 浅吉さんは身体が弱いから、あっしが力仕事を一手に引く受けさせてもらいます。

 どうかあっしも家臣にしてください」


 確かに熊吉がいてくれれば助かる。

 浅吉にはあまり無理はさせられない。

 おいよさんと一緒に家の事をやらせながら、お使いや細々とした事を任せるくらいだろうが、熊吉ならば本来下男がする力仕事を全て任せられる。

 普通なら特別な手当てを渡してやるべきだが、田沼家や白河松平家の給金にあわせないと、他に藩士から嫌われてしまう。


「分かった。

 熊吉には槍持ちをやってもらおう。

 給金は田沼家と白河松平家にあわせなければいけないから、飯付きの住み込みで年二両しか与えられん。

 それでもいいのか」


「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。

 それで十分でございます」


 さて、熊吉の方はそれで済んだのだが、浅吉とおいよさんにも困ったのだ。


「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」

「うっああああん」

「「「「「かあちゃん、かあちゃん、かあちゃん」」」」」

「「「「「うっああああん」」」」」


 まるで愁嘆場である。

 浅吉はいつまでも礼を言うのを止めないし、おいよさんは泣き崩れるし、子供達までおいよさんに釣られて一斉に泣き出すし、本当に困ってしまった。

 だが、まあ、なんだ。

 ぐずぐずと決断を遅らせた我が悪かったのだ。

 伊之助の御節介が正しかったのだ。


 身体の弱い亭主を持ち、多くの子供を抱えたおいよさんは、気丈に振舞っていても、大きな不安を抱えていたのだろう。

 譜代の中間として浅吉を召し抱えるとなれば、子供達は元服するまで我が面倒を見る事になるから、ようやくおいよさんも安心できたのだろう。

 浅吉になにかあったとしても、少なくとも男の子の一人は、我の中間として仕え続けることができる。

 こんな事なら、もっと早く浅吉を中間にしてやるのであった。


「明和頃の奉公人の給与基準」

住み込み飯付き御仕着せ支給

中間:二両

下男:一両二分から二両

下女:一両一分から二両

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