第35話仇討ち7

「この御長屋を使って頂きたい」


「ありがとうございます、六左衛門殿」

「「ありがとうございます」」


 話は我が思っていた事よりも大きく違ってきた。

 御老中が長屋に帰ることを禁じられたのだ。

 御老中の話では、土井家と松平家が刺客を放つ可能性があるという。

 だから長屋には戻らず、田沼家の長屋に住むように言われた。

 田沼家の用人を務められている三浦六左衛門庄司殿が、田沼家上屋敷の空いている表長屋に案内してくれた。


 正直驚いた。

 江戸詰の独身軽輩用の長屋を与えられると思っていたのだが、それなりの役付きが与えられる表長屋を貸してもらえた。

 間口と奥行が三間で九坪、半坪の入口土間から入ると炉付の二坪半の板の間があり、畳敷きの六畳二間が一階である。

 天井は低いが、階段箪笥を使って登る板の間の九坪屋根裏部屋がついている。

 更に裏には二坪の炊事場と一坪の土間が、下屋造りでついていた。


 とても有り難い事なのだが、問題があった。

 長屋に残してきた人達への伝言だった。

 本当なら我が戻りたいのだが、藤野姉弟だけをここに残す訳にはいかない。

 そこで屋敷の中間にお使いを頼むことにした。

 矢立を取り出して懐紙に手短に事情を書いた。


「これを長屋に届けてくれ」


 我は中間に一匁銀小粒を握らせた。

 田沼家の基準を破ることになるかもしれないが、我は余所者だから大目にみてもらうしかない。

 田沼家の中間からすれば、我のためにやる仕事は余計な事なのだ。

 幾ら田沼家であろうと、中間の質がいいとは限らない。

 藤野姉弟のためにも、余計な恨み嫉みは買わない方がいい。


 作り付けの階段箪笥はあるが、他に家具らしい家具はない。

 生水を飲むのは武芸者として不心得だから、炉に火を起こして沸かしておこう。

 だがその為には、水は上水井戸から汲んでこなければいかない。

 晩飯の用意がどうなっているのか分からないから、勝手にご飯を炊くわけにはいかないから、用意がなければ食べに出なければいけない。

 などと考ええたいたら、三浦六左衛門殿が三組の布団と着替えを用意してくれた。


「六左衛門共、晩飯を食べに出た方がよいのだろうか。

 それとも藩士の方々と一緒に食事をさせてもらった方がいいのだろうか」


「藤七郎殿なら藩士達と一緒に食べられても平気でしょうが、藤野家の方々は藩士たちと一緒では気の休まることがないでしょう。

 箱膳を運ばせますから、ここで三人食べて頂くつもりです」


「ご配慮感謝の言葉もありません」


 そうは言ったものの、藩士の食事は質素なものだ。

 月に四度魚がつけばましな方で、普通は野菜の煮物と漬物に御飯だ。

 今日の晩飯も、大根と人参の煮しめに沢庵だけの惣菜に、同じ大根と人参の入った味噌汁だけだった。

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