襲撃 2
まずは襲撃現場の様子を確認しようと、望遠視の魔法を発動しようとしたところ、次の瞬間にはティリ山脈の麓にある稲作地帯に飛ばされていた。
少し冷静を欠いているリドルの仕業だろう。
しかし、慌てるのもわかる。
収穫の日を心待ちに数えていた水を落とした田から炎が上がり、高く揺らめく焦げ臭い黒い煙、チリチリと舞い上がる火の粉が風に乗って緑に茂るティリ山脈までも広がって行きそうな勢いだ。
稲がパチパチと弾ける小さな破裂音。
ここ一年、多くの人たちと話し合い汗を流して一緒に作ってきたものが、無に帰そうとしている。
これには温厚な方である俺も、無性に腹が立った。
燃え上がる炎を鎮火するために、範囲を絞って全力で風魔法で燃える田を囲い、その中を真空にする。
水魔法を選択したならある程度の水蒸気爆発は免れず、周囲の稲も道連れになってしまうだろうから、魔力消費は高くても風魔法を選択した。
周囲から閉ざされたような空間で、炎は勢いを弱めてゆく。空気が遮断されているから、魔法で区切られたその一帯だけが現実感が薄く、音も聞こえず、煙も上らずに、周囲に漂うのは焦げ臭い残り香と立ち込めた熱さだけだった。
さわりと小さく風が稲を揺らす音が聞こえる。鎮火は上手くいったようで、ひとまずは大炎上は免れた。
「そこ、そこと、そこも。逃げられると思っているの?」
いつになく冷たいリドルの声が静かな一帯に響いた。
空中に佇むリドルの前で、数人の男たちが空中に釣り上げられて手足をバタつかせている。
彼女の金の瞳はすけるような透明な光を輝かせ、ひどく冷めた表情はいつか見た威厳を覗かせている。
釣られた男たちの顔色が青い。手足の動きも鈍くなってきて、ひたすら顔を歪めながら首を押さえている。これ、ちょっとマズいんじゃないか?
「阿呆ですか、死にますよ」
顔色一つ変えずにやれやれと呆れた溜め息をついたマグナに諭されて、リドルはてへぺろして空中をくるくる舞った。
いや、可愛くないからな?めっちゃ恐ろしかったからな今!?
床に放り出されて尻餅をついた男たちは、言葉を発する事もできずに肩を喘がせて酸素を取り込んでいる。
この哀れな姿を見ると、まだ燻っている怒りもぶっつけにくい。
俺は深く溜め息をついた。
「こういう時って、どうしたらいいんだ?捕縛して領主館に連れていくのか、近くの騎士の頓所に置いていくのがいいのか…。でも、結局は取り調べたりするのは領主だよな」
後処理に入ろうと頭を切り替えた時に、目の前が光った。
何がおきたのか理解した時には、周囲を囲う光の壁が跳ね返した衝撃波が辺りの木や土を削り、轟音を響かせて土埃を上げていた。
ほんの少しだけ眉根を寄せたマグナが、苦しそうに息を荒らげながらも片手を挙げている男を睨んでいる。
だが、それだけで終わりではなかったようだ。
次の瞬間には、空を覆うように炎の塊がいくつも現れて、黄金の稲畑へと降り注ごうとする。
今しがた見た、努力や苦労を無かったことにしようと田を焼く炎。再び腹立たしく憤怒が募って、思わず俺は炎の下へと走っていた。
何をどうしようと考えた訳じゃない。だけど、どうにもできないとは考えてなかった。
燃え広がる前に火の元を鎮火、初期消火は防火訓練で習う消火の基本だ。
火の元を消すには消火器、いやこの規模なら消火栓でも足りないかもしれないが、あの火種さえ消してしまえば俺たちの米は守れる。
今年も美味しく米飯をいただくんだからな!!
そう思って両手を空へと付き出す。
空中を埋めつくし、熱風を漂わせていた炎は、呆気なくその姿を揺るがせてふうっと消えた。
………えっ?消えた?
激しく魔力を消耗した訳でもなく、むしろ漲っているような気もする。
炎を打ち出した男は目を見開いて、苦しげに息をつきながらばたりと倒れた。死に物狂いであれだけの魔法を打ち出して、魔力切れを起こしたのかもしれない。
他の襲撃者たちは、震えてじりじりと後ずさってすらいる。さすがにこれ以上の追撃はなさそうだ。
「……さすがでございますね。貴方がどれだけ非常識な偉業をなされようとも、私はもう驚かないつもりでおりましたが」
マグナが愉快そうに喉をくつくつと鳴らした。絶好調に機嫌が良さそうだ。
「これでは、無理をなさった事を咎めようにも叶いません。どうせ彼がいるのですから、どんな無理にも危険はないのでしょうがね」
マグナが佇んでいたクロノに視線を向けると、クロノは答える変わりににっこりと笑った。
一方、リドルはというとわたわたと慌てたようである。俺の周りを忙しなく飛び回り、引きつった愛想笑いを向けてくる。
「あっはは?ご主人様、ボクを消しちゃわないでね?ボクとってもいいこだよ?」
まあ後で色々と説教はするけどな。
解決ムードの最中で、がさりと葉擦れの音が響いた。少し離れた木の上から、身軽な少年が飛び降りて来たのだ。
マグナは片眉を上げて意外そうに少年を見やる。リドルも予想外のようで、興味深そうに少年を見つめている。
どうやら二人とも、いや、クロノを入れたら三人か。
俺以外の全員がこの少年の存在には気づいていたようだ。
これを修行が足りないと取るのか、ここにいる面子を考えれば当然と思うのかは微妙なところだ。
「貴方は襲撃者とは別口なのではないかと考えておりましたが、いったいどのようなおつもりなのでしょうか?」
気負う様子がなく両手を挙げながらこちらに近付いてきた少年に、マグナが問いかける。
表情のない鋭い視線には、幾分の威嚇が込められているのが明らかだ。少年はへらへらとした笑みでそれを受け流す。
簡単な旅装。しかしよく見れば、どこか違和感がある。
顔つきは10代半ばくらいだろうか、黒に近い茶の肩上までの髪に、微笑みの形がついたような細い紫に近い青の瞳。
背はあまり高くなく、身軽さそのままに細身である。
俺の視線に気づいてか、少年は不自然にブカブカのベストを脱いで投げ捨てる。
ずっしりと重みを示す音に交じり、金属の打ち合う甲高い音が響いた。
流れるような手付きで腰布をほどいて地面に落とすと、ためらいなくズボンも脱ぎ捨てた。
なんのストリップかと思ったものの、脱ぎ捨てられたズボンの下にはナイフがくくりつけられた短パン。
放り投げたズボンからも金属音が鳴り響いた。
いやいやどれだけ武器持ってるんだよ!?
「僕のこと、雇ってくれないかなあって思ってさ。僕は今中央のとある貴族に雇われて間諜としてここにきたんだけどね、僕のお願い聞いてくれるなら、一生君に忠誠を誓うよ」
胡散臭いことこの上ない話である。思わず眉根を寄せると、彼は軽やかに笑った。
「この状況でこんな相手に勝てるなんて思ってないし、信頼を得るためには自分から全て白状した方が得かなあって思っただけだよ。警戒しないで」
だけど絶対自分の窮地だと思ってもなさそうだろ。警戒するに決まっている。
マグナが視線で促すと、リドルがひらひらと飛んで少年の頭へと止まった。
少年は抗わずにへらへらとした読めない笑みを浮かべている。抵抗するつもりは全くないらしい。
「ほーん、なーるほどー。ねえねえご主人様、ボクこの子お勧めだよっ。首輪、これに囚われてるだけで、害意はないみたい。間諜や工作員としても優秀みたいだし、良いものも持ってるし、優良物件!」
少年の情報を探り終えたリドルが、俺の前に飛んできて空中をくるくる飛びまわる。なんだか妙に機嫌がよさそうで逆に不安だ。
頼みの綱にクロノを見ると、にっこりとした笑顔で頷いた。
「彼は悪い子ではないよ。欠片も持ってるしね」
クロノの少年を見る目は優しい。欠片がなんだかわからないし不審で仕方ないけど、取り敢えずここは彼を拾っておくべき場面らしい。
「………どうしたらいいんだ?」
少年に語りかけると、彼はようやく少し表情を覗かせて、見開いた瞳をキラキラと輝かせた。
「さっきの魔法みたいに、これを消して欲しいんだ。うっかりこんなもの付けられて、僕は奴隷で操り人形。こんな人生を過ごすのはまっぴらなんだ。君なら僕を助けてくれる」
シャツの襟を開けて、少年は首を晒した。
そこにあるチョーカー、むしろ本当に首輪のような冷たい金属の輪からは、確かに何らかの魔法の気配を感じる。
外すといっても、どうしたらいいんだ?全く見当はつかないんだけど。
「さっきしたみたいに、消えろって願って」
少年の声がやけに頭の中にすんなりと入ってきて、俺はその声に意識を重ねた。
その瞬間、がさりと音を立てて彼の首にがっちりと巻き付いていた金属は、砂となっていた。
「ありがとう、ご主人様。僕はこれでやっと人間に戻れる。
ご主人様みたいに
キラキラした瞳が、少年らしく輝いている。その視線は俺に敬服の意を伝えている。
俺が一番、何が何だかわかっていないのだけど。
「僕はサーフィリアス、元冒険者で長いこと間諜、密偵、暗殺辺りをしてきた。必ずご主人様の役に立ってみせるから、これからよろしくね」
こうして意図せずに、俺の仲間にはちょっと物騒な経歴の少年が加わることになったのだった。
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