新設街道視察 2
気を取り直して、幼女を片手に抱いたまま現場の責任者であるというエドガー・オージー氏と挨拶を交わす。
何だか、初めて馴染みのあるアメリカンな名前を聞いた気がする。
プリンスっぽい名前だけど普通に平民のおじいさんである。
白髪の短髪で皺の多い日に焼けた顔は、少しワイルドな造りをしている。そんなに高くない身長の背中はピンと伸びていて、親方という名前が似合いそうな人だ。
仕事着なのか簡素な麻の貫頭衣にパンツ姿で、後ろに数人の部下を連れている。
対する俺は、上質な絹のシャツに碧のクラバット、深い藍のベスト、ベルトは緑と青をメインに複雑に編み込まれた組紐の一等品で、藍のスラックスに汚れ一つない黒の編み上げブーツをはいている。
公務だからかようやく半ズボンは卒業したものの、典型的に貴族のお坊ちゃんなのは一見でわかるだろう。
しかも片手には黄色いふりふりのドレスを着た2歳児を抱いている。
なんだか居心地が悪い気がしてしまうんだけど、この世界ではよくある話なのか大して気にされている様子はない。相手にもされていないのかもしれないが。
建設拠点地にしつらえられた仮事務所の会議室に案内されて移動する。
最小限の機能的な建物には簡素な部屋に椅子と机だけが並んでいて、前世での会議室や学校の空き教室なんかを思わせる。
さすがにパイプ椅子ではないものの、似た造りの木造の椅子に腰を下ろしてルーンディエラを膝に座らせて話し合いを開始した。
「この度ははるばるとお越しいただき恐悦です。
実は、宿場予定地の開墾を終えまして、水場を確保するために井戸を掘っていたのですが、急に山が火を噴くように熱湯が噴きあがりまして。水場どころか、近づくことも出来ぬ有様なのです。
幸いメルーン山に向かっての一帯だけではあるのですが、元々この辺りに住んでいた村の住民たちが山の神の怒りを買い灰熱塊が降るのではないかと強固に反対していまして。
そういう話があると、やはり現場の我々も不安なもので、予定通りこの地に街を築き続けて良いものか迷うものも多くなってしまい、領主様のご意見を伺いたく存じたのです」
ルーンディエラが活動開始しないように宥めるように頭を撫でながら、エドガー親方が重々しく俺にというよりはハライアと叔父に向かって話しているのを聞いて、俺はピンと顔を上げた。
宿場町に、温泉?温泉だよな、それ。
なんて都合がいいんだ。かなり高温らしいが、泉質が悪くなければ温度調整は何とかなるんじゃないかな。加水でも魔法アイテムでも。
「叔父様、温泉はこの国では一般的なものですか?」
まずは叔父へと伺いを立てる。アドニーはこちらを見て、一瞬のちに柔らかい口元の弧を引き上げて目を細めた。その一言で、俺の言いたいことは伝わったらしい。
「なるほどねぇ。アトラントでは温泉は一部の地域に小規模ながらあるらしいけれどね、辺境伯領の領主館には立派な温泉施設があるよ。万病に効くと言われているらしいね」
叔父には温泉の原理だなんだはわからないだろうから、逆に先を促すように俺をギラギラとした目で見つめ返してきた。隣の息子も同じ目をしている。この親子は、実はコピーなんじゃないだろうか。
でもこのすぐ隣の辺境伯領で人が使える温泉があるなら、泉質も期待してよさそうかな。その辺りは詳しく調べないとわからないけど。
「エドガーさん、お湯はたくさん噴出しているのですね?」
ソルアがエドガー親方に尋ねると、不思議そうな顔をした親方は再び渋面をつくって深々と頷いた。
「かなり広範囲の開拓地が、噴きだす湯で池のようになってしまいました」
泉量充実。好条件だ。
マグナが片手を上げ、断りを入れて口を開く。
「僭越ながら私からも。アトラント北西部及びに隣の辺境伯領の伝承上、火山活動と思しき記述が最後に記されていたのはおおよそ五千年くらい前だったでしょうか。この地は再び噴火にみまわれる可能性があるのでしょうか?」
こいつは完全に噴火の原理も温泉の原理も理解していやがるようだ。そしてその質問を投げる先は、何とクロノだ。
えっ、もしかしてクロノが何者か知ってる?そんな、当たり前のように?
クロノはにっこりとほほ笑んで、少しだけ考えを巡らせた。そして何でもないかのようにマグナへと返事をする。
「うーん、少なくてもあと二万年くらいは噴火しないと思う。その先はちょっと不確定かな。噴火しないようにもできるけれども」
「あまり活動性は高くはないということでございますね。二万年同一の場所で同一の文明が栄える事もないでしょう。安全性については問題ないと愚考いたします」
二万年の安全性を問えることなんてこの世の中に一つでもあるだろうか。ある意味他の場所よりも安全性が証明されてしまった。
「それでは、その湯の調査を行って活用できるかを確認するのが大切ですよね」
ソルアがギラギラした目で柔和な笑みを浮かべてエドガー親方と現場の人々を見渡して促す。一刻も早く金の生る木ならぬ金の浮かぶ泉を見たいらしい。
トントンと俺たちのペースで話が進んでゆく。それを見守っているハライアは、まるで我が父の代わりのようである。
俺、大人しくしていなくてよかったんだろうか。公務デビューって名目の、ただの見学くらいの気持ちでいたんだけど。
「ごめんな、ハライア。なんだか妙な事になってる気がする」
苦笑して常識人枠のハライアに一言謝罪すると、ハライアは切れ長の青い瞳を細めて穏やかに微笑みを返してくれた。
領主館のブリザードと呼ばれるような涼やかな顔をしたダンディが微笑むと、途端に厳しい雰囲気が柔らかく変化する。
「旦那様もお坊ちゃまに全てお任せする気だったのでしょうから、お気になさる必要はございません。私が旦那様に言いつかったお役目は、ウリューエルト様を見守り、間違いがあれば正す事、ひとえにそれだけでございます」
渋い笑みで俺の肩をポンと叩いて部屋を後にするダンディの背中を見つめ、俺は驚いて動きを止めた。
父は、初の公務から俺に判断を全委任するつもりだったのか?どれだけ信頼されてるんだよ。
ルーンディエラが不思議そうに俺の頬をつんつんと突っつき、無邪気にきゃっきゃと笑った。
今更だけどこんな風に間抜け面してても仕方ないから、ちょっと気を引き締めてこの仕事を頑張りたいと思う。
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