ハルと神様 1

 リドルが仲間に加わってしばらく。


 アトラントののどかで長い秋は実り多く、暑くはないが暖かい気候は過ごしやすい。村は穀物や果実の刈り入れで大忙しで、老人から小さな子供まで収穫に勤しんでいる。小さな村でちらほらと、慎ましやかな祭りが行われたりもする。

 アトラントの恵みの秋は、いい季節だ。


 俺は立派に育った魔法植物の研究をしている。

 何よりも魔法植物に詳しい妖精のリドルにいろいろ教えてもらいつつ、効率の良い水や土、肥料としての魔力の与えかた、株の増やしかたなんかを活用し、広大な領主館の門の外、広場の四分の一くらいを魔法植物畑にしてしまった。


 ……リドルに乗せられてうまいこと使われた気がしてならない。


 リドルは今までになかった魔法植物の錬成方だとか、知られていなかった効能だとか、激レア植物の栽培法に至るまで、本当に役に立つ知識を提供してくれるんだけど、上手に自分の要望も織り混ぜてきてるのはなかなかに気が抜けない。


 育てた魔法植物は、根を切らなければ生き続ける。特別に根を使う高級魔法薬もあるけど、リドルがひどく嫌がるから、増えすぎた株を間引く時しか作らない。

 あとは、プチ家庭菜園のハーブみたいに葉や茎をちぎって使い、なくなった所からまた芽や葉が出て育つ感じだ。


 作った魔法薬は、いくつかのストックを残して、ソルアの実家であるカドマ商会のお得意様限定で販売してもらっている。

 まだ研究中だから、出どころを知られて量産するはめになりたくないんだ。



 そうやって着々と空き地を占めていった魔法植物畑は、人目につきやすくなり、俺の友人たちも立ち寄るようになった。

 ユーリは妖精と魔法植物の関係が気になるようでリドルと話し込み、ハルは新しい魔法の世界に目を輝かせた。

 マグナは古代からの魔法植物の資料との対比を始め、ソルアは金のなる木、ならぬ草を前に新たな販売経路に思いを馳せている。

 そんな皆をにこにこ眺めながら、クロノは尋ねられたことに返事をしている。

 相変わらずの我が友人たちである。ブレない。



 ハルが魔法植物へ興味津々だったから、俺たちは日程を合わせて二人でティリ山脈の原生地を見にいった。


 そこは相変わらず、何もしなくてもキラキラと生い茂った草が光っている。

 うちの魔法植物畑と似た感じで、同じ植物は横に並んで群生し、たくさんのリボンを転がしたみたいに、時々交わり、時々絡んで、地面の上を遥か遠くまで緑に染めていっている。


 ハルはこの光景に目を見張り、ぴょんと飛びはねてこちらを振り向く。最近更に落ち着いてきて、礼儀正しく振る舞いが優雅なハルにしてはめずらしい。


「リュー、すごいです!こんなにたくさん、ずっとずっとあちらまで!」


 言葉を弾ませて、興奮した様子でハルは魔法植物の絨毯を眺めて歩く。

 うちにない種類を見つけると俺に説明をねだり、珍しい種類の群生地を見つけてははしゃぎ、気がつけば、俺たちはずいぶんと遠く、普段は余り立ち入らない山の奥まで歩み行ってしまっていた。



 俺は知っていたんだ。


 この山は、人が踏み入れないくらい森の奥の僻地。魔法植物が群生するくらい、自然の魔力があふれていて、人ではなく魔の領域だと。


 いつの間にか、慣れきって、忘れていた。

 この世界の生活になれて、色々なことを知り、わかっている風に勘違いして、忘れてしまっていたんだ。

 この世界には、魔物がいる。生命はいつだって保証されていない。



 ざわりと強い風が舞い上がる。舞い上がった草や木の葉が視界を掠めて目が痛い。

 それでも目を凝らさずにはいられない不穏な危機感に、何とか見上げた先にいたのは、圧倒的な存在感を持つ羽のはえた獣だった。


 鷲のように骨張った小さな顔の眼光は鋭く、伸びた首の先には獅子のように筋肉質な肢体に鋭い鉤爪、ネズミのように細くメタリックな色合いの尻尾は、揺れる度に空を切る音を立てて木々をなぎ倒している。

 大きさは、十メートル四方くらいだろうか。少し距離があるのにほんの数歩で詰め寄られそうに見える。

 木々の枝の少し上くらいから此方を睨む、その身体を維持する羽ばたきの風圧だけで、気を抜けば転がってしまいそうだった。


 慌てて少し前にいるハルに向かって走る。ハルは踏ん張るのに精一杯で動けない。


 だいぶ前にハルと出掛けるようになって、最初はいつも手を繋いで歩いた。

 自分の力で守れる自信なんかなかったから、何かあればすぐに一緒に逃げ帰れるように。


 今、ハルが手の届かない距離にいることを、俺は悔やんだ。慣れと惰性が、こんな危機を招くなんて。


 魔物が首を竦めるように前に傾け、羽ばたく翼を高く持ち上げる。上昇から下降へ変わった羽ばたきの空力に、勢いよく魔物の身体が俺の前にいるハルへ向かって滑るように降りて行く。


 ――――間に合わない。


 祈るように、渾身の力で地を蹴ってハルへと手を差しのべながら走る。

 たったこれだけの距離なのに、ちっぽけなこの身体では、あの巨大な魔物のスピードには叶わない。


 いくら魔法を覚えても、身体を鍛えても、剣や体術を習っても。


 貴族の子供の趣味の範疇なんて、たかが知れたもので、俺は戦う術を知らない。

 大切なものを、助ける術をもっていない。


 こんなときなのに、……こんなときだから、自分の無力を思い知った。

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