115.嘆願二

「なんだなんだ、そうも慌てて。」

「あの……実は成瀬様に早急にお願いしたいことが!」

「ふむ?」


 軽く首を捻って不思議そうな表情を見せる成瀬に向かい、その場で桔梗ききょうは頭を深く下げて、今日起きたことの顛末を告げた。


 まずは成瀬の暗殺を企てていた者達が、街の外れの寺にたむろしているのを見つけたこと。

 そこへふでが乗り込んでいったこと。

 そうして不逞者は全てふでが斬り捨てたは良かったが、彼女が手傷を負ってしまったこと。

 そして、何故か見計らったように剣華けんか組がやってきて、斬り合いが始まったこと。


 そこまで話したところで、桔梗ききょうは下げていた頭を一層に低くして、泥となった地面へと額をつけんばかりの勢いで願い込む。


「なにとぞ成瀬様に、ふで殿を助けていただきたく……。」

 必死な口調で頼み込む桔梗ききょうに対して、成瀬はどこか呑気な様子でふむっと顎を掌で一撫でした。


「と言うことは、唐傘からかさ陣伍じんごは無事に討ち果たせたということか。なるほど、なるほど……。」

 何故か悠長な調子で言う成瀬の口ぶりに、幾分に焦れる思いを抱きながら、それでも桔梗ききょうはひしと頭を下げ続ける。


ふで殿はしかと役目をはたしてくださいました。なので何卒ふで殿を助けていただけ――」

「それで偶然にも悪党どもを斬り終えた直後に剣華けんか組が現れたと……ふむ。」

「はい。ですので、ふで殿への助勢を、なにとぞ……。」

「ふむ。」


 何とも呑気な成瀬の相槌あいづちであった。


 それが余りにも緊張感の無い声であったために、思わず桔梗ききょうは地面を見つめていた目を見開いてしまう。今にもふでが死ぬやも知れぬという状況に、あまりにもな態度ではないかと、桔梗ききょうは無礼を承知ながら顔を上げようとした。


 丁度その瞬間、成瀬が勿体ぶった様子で口を開いた。


桔梗ききょうよ。顔を上げよ。」

「えっ?」


 一瞬、自分の心持が見透かされたかのように思えて、桔梗ききょうは体中に冷や汗が出るのを感じた。


「どうした。顔を上げよ。」

「は、はいっ。」


 慌てて桔梗ききょうは顔を上げると、たまさか成瀬の顔が視界に入った。薄暗いために顔には影がかかり、細やかな表情は読み取れなかったが、それでもどこか穏やかに感じられて、錯覚かもしれないが笑んでいるようにすら見えた。


「いや、お主らは良くやってくれた。」

 どこか機嫌の良さそうに聞こえる成瀬の言葉に、桔梗ききょうはどこか光明を見た心持で顔を明るくする。


「あの、では、ふで殿を助けに――。」

「万事、計画の通りだ。」

「……え?」


 ほくそ笑んで言う成瀬の言葉の意味が分からずに、桔梗ききょうは顔を見上げながらきょとんとしてしまっていた。

 その瞬間であった。


みしり――

 と、左胸の下部で、骨がきしむ音がした。


 桔梗ききょうの脇腹に思い切りに、足の先がり込んでいた。

 それは虎丸とらまるの足であった。

 虎丸とらまるの足が目にも見えぬ速さで伸びて、桔梗ききょうの脇腹へと思い切りに突き刺さっていた。


「ぐぶっ!?」

 突然腹部へと襲ってきた衝撃に、桔梗ききょうは悶絶して体を思い切りに、くの字へと折れ曲げる。


 ただ桔梗ききょうが捻じれるほどに苦悶の表情を浮かべたのは、それが激痛が襲ってきたからだけではなかった。腹を抑えながら、桔梗ききょうは腹の奥底から急激にせり上がってくる気持ち悪さに耐えられず、目を見開いて喉奥からごぽっと胃の内容物を溢れ出させる。口の中に吐瀉物としゃぶつが充満し、胃液と消化しかかった昼食のえた匂いが鼻孔の奥に立ち上ってきて、一層に桔梗ききょうの下腹部に不快感を増させ、すぐに口内だけでは収めきれなくなって、そのまま唇の狭間からこぼれるように嘔吐おうとしてしまっていた。


 びちゃびちゃと泥の上に吐瀉物としゃぶつを撒き散らしながら、低くうめいて桔梗ききょうは道の上へと倒れ込む。体が地面へとぶつかった拍子に、水気をおびた土が跳ね上がり、成瀬の足元まで飛び散った。


「あ゛……あぅっ……。」

 激痛にのた打ち回りながら、桔梗ききょうは自らの股の間に熱く滴る物を感じていた。そこでようやく桔梗ききょうは自らが小水まで漏らしてしまっていることに気が付いた。


「何だ、汚いな。」

 腹をけり上げた虎丸とらまるが地面に伏せる桔梗ききょうを見下しながら、地面に広がる吐瀉物と、桔梗ききょうの股間から染み出ていく小水を眺めながら、侮蔑するようにそう言った。その言葉に強い羞恥しゅうちを感じながらも、桔梗ききょうは自らの体を思うように動かせず、痛みにのた打ち回って体を泥にまみれさせることしかできずにいた。


 苦しさでひうひうと喉を鳴らしながら。なぜこんなことをするのかと、桔梗ききょうは泥の上で何とか顔を動かして成瀬に向かって視線を向ける。

 そうして見上げてみた成瀬の顔は、奇妙に愉悦ゆえつに満ちた何とも歪んだ表情を浮かべていた。弧月こげつの様にまなじりを下げた目の中に浮かんだ瞳は、虚めいた暗闇をたたえていて、何処に焦点を向けているのかすら分からず、そして彼の口元は頬を裂いたかと思うほどに深くたわんでいた。その歪な表情に桔梗ききょうは息を飲んで、苦しみながら声を上げる。


「な……成瀬……さま……?」

 体の力を振り絞ってうめくように桔梗ききょうが問いかけると、成瀬は歪な笑みのままに桔梗ききょうを見下して、くくくと小さく肩を揺らした。


「良くやってくれたのう。いやはや、お主らは良くやってくれたよ。剣華けんか組が妃妖ひようと斬り合うのも含めて、何ともまあ上手くいってくれたものだ。」

 にいっと一層に喜色の映えた笑みを成瀬は浮かべる。



「な、なに……を……。」

 未だに激痛を感じる腹部を抑えながら、桔梗ききょうは困惑の表情を浮かべて呻くように問うと、成瀬はそんな彼女を侮蔑ぶべつするように、じろりと視線を見ろさせた。



「未だ分からんのか?阿呆か、馬鹿か。それとも痛みで頭が回らんのか?」


 呆れたとでも言うかのような成瀬の言葉に、桔梗ききょうは僅かに視線を落とす。桔梗ききょうも成瀬が何を言いたいのかは心の底では理解していた。理解はしていたが、その答えを認識してしまうと言うことに頭が拒否反応を示していた。


 それを知っているのか知らぬのか、成瀬は加虐かぎゃく的な表情を色濃くして、何とも自慢げにそのことを口の端に乗せる。


剣華けんか組に妃妖ひようを襲わせたのは儂がはかったことよ。そのために家令にお主をつけさせておったが、存外に上手く行ったものだ。例え妃妖ひようとは言えども手傷を負っておるような有様なら、奴らに襲われて生き延びることはできまいて。いやはや。」


 口を掌で覆いながら、それでも笑みを噛み殺せぬと言った様子で、くふふふと肩を震わしながら成瀬はほくそ笑んでいた。


 そうして一頻ひとしきり笑いを零れさせた後、ぴたりと動きを止めて途端に冷酷な視線を桔梗ききょうへと振り向ける。



「あとは、お主を始末するだけよ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る