45.試し三
老人の思いつめた形相が
ぎりっと老人の奥歯が擦れあい、鈍い音を響かせた。
「まさかな……いや、しかし……。あの垂れた目尻と、泣き黒子と言う特徴は、聞いていた噂に合致してしまうか……。」
「あの……
「むしろ隠密のお主が知らんのか?……いや、関わりがなければ知らんのも無理はないか。」
「えっと……?」
ふうっと老人は吐息を漏らして口を開く。
「良いか。妃妖と言うのはな、とある暗殺屋の通り名よ。」
「あ……暗殺屋……ですか?」
うむっと小さく唸ると、落ち着かぬ手つきで煙管を吸い込んで、僅かに気持ちを落ち着かせながら老人は頷く。
「暗殺と形容するのが増しな方か……。そやつに関して言えば、ただの人斬りと言ってしまった方が適切かもしれん……。例えばな、こういう話がある。とある大名が一つの城を攻めあぐねて、その妃妖とやらへと暗殺の依頼をしたのだ。あの邪魔な城の主を殺してほしいと。」
「そんなの無茶な話じゃないですか……。一国の軍で攻めても倒せぬのに、それを暗殺しろなどと……。」
「そうさな。実際、大名からすれば数多の
「それが
「さあて……な。そう話をしてきた奴の言葉を聞いた時、そんな与太話などと儂は信じなかったが。話をしてきた奴の顔は真剣そのもので、他にも妃妖の話をした者達は『妃妖の噂は全て本当だと思っておけ』と真面目に言っておったよ。……今は多少は信じる気にもなってきた。」
それは
老人から伝え聞く、その妃妖とやらがしたことは到底正気の沙汰に思えなかったが、それは数日一緒に過ごしてきた
「あやつが本当に妃妖なのかどうなのか……。」
顎へと手を当てて、訝しげに睨みを付ける老人の目先には、木刀を肩へと担ぎながら縁側へと歩み寄ってくる、
とんとんと、肩を木刀の背で叩きながら、
「もう試しとやらは宜しいのですか?」
ぎりっと老人は奥歯を噛みしめる音が周囲へと響いた。
傍らで
この家の者の指を弾き飛ばしておいて、無遠慮な言葉を口にする
ただ、老人は何も苦言を言うこともなく、苦々しそうな表情を浮かべながらも、
「ああ……試そうとした儂が悪かった。お主の強さは良く分かった……。」
「いえ、悪いことなど何もありませぬ。むしろ私としては、強き者と試合えて楽しうございましたよ。」
軽く言って
ふるふると震える手で、老人は煙草盆にのせていた煙管を掴むと、一服ばかり煙を吸い込んで、僅かに気持ちを落ち着けていく。
「……虎丸は強かったか?」
「ええ。道中で襲うて来た輩よりは、ずっと。」
苦々しそうに問うた老人の態度を余り気にも留めぬ様子で答えると、
「木刀ありがとうございました。もう試しとうことがないと言うなら、お返ししておきましょう。」
「あ、ああ……。」
切っ先に血の塗れた木刀を眼前に差し出されて、老人は僅かに狼狽しながらも、それを受け取った。
木刀を手放した
ただ、見られていることに気が付いた彼女は彼女で、むしろふわっと柔和な笑顔を返してきて、
老人は渋い表情を浮かべながら、手に取った木刀を見つめると、それを近くで控えていた家令の男へと渡し、そのまま
「それで
「ああ。そう言えば私の腕を試して、その上で何やら頼みたいことがあると仰っておりましたね。試しと言うのは合格だったのでしょうか。」
くっと老人は喉を鳴らして眉を顰める。
頬に一筋の汗を垂らして、酷く緊張した表情を見せていた。
「あんなものを見せられては、認めざるをえん……。色々と言いたいことはあるが、ただ、お主の腕を見込んで一つ頼みたいことがある。」
「お伺いするだけは、お伺いいたしましょう。なんですか?」
「うむ……あ、いや、他人にはあまり聞かれたくない話故な、一旦部屋の中へと入ってもらっても良いか。」
そう言って老人は立ち上がると、部屋の方へと向けて顎で入る様にと指し示した。
「そうでございますか。」
頭を一つ掻くと、
老人と
部屋の中へと入って、壁側の席へと腰を下ろした老人は、
「さてはて……まず
老人の尋ねる言葉を聞きながら、
その中身がもう残り少ないのを確認して、
「いいえ。まずもって興味がありません。なので
言われて、やはりと言うべきか、老人は見事に顔を渋らせてしまう。
「むぅ……いや、そうか。だが、まあ、とりあえず聞いてもらいたい。儂はな、この名古屋のある尾張藩で家老の役を務める成瀬と言う者だ。」
「ほうほう、ご家老様でございましたか。それはそれは。」
「……お主の言いようは、一々にどこか
「そうでございますか?」
「まあ、良い……。先ほど言うた、お主に頼みたいと言うことは、お主らが届けれてくれた文の内容に関わることでな。」
老人は胸元から文を取り出すと、その中身を見つめて落ち着かぬ態度で煙管を吸い込む。
はあっと、大仰なため息とともに、
「ここには儂を暗殺する計画が書かれておる。」
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