43.狸爺三 - 試し一
途端と老人は先ほどまでの人の良い隠居と言った雰囲気をなくし、一層に皺が濃くなり急激に老いが深まったようにすら見えた。
狼狽えた様子でしきりに何度も額を掻いては溜息を漏らすと、ぎりぃっと老人は大仰にも歯ぎしりを鳴らす。
一体何が書かれていたのか、見る見ると変化していく老人の態度に、
何度目かの溜息を吐き捨てた後、ようやく老人は紙を畳んで自分の胸元へと納めた。
落ち着かぬ様子で
「そうだな、いや……ううむ……どうするべきか、どうか……いや……まあよい。おい、
「はい、何でしょうか?」
慌てて
「うむ。一仕事を終えて早々ではあるのだが、頼みたいことがある。もう一働きする気はあるか?」
「はっ、はい。この
何が何やら分からなかったが、
「そうか……うむ。よし。」
目の前の人間が自分に素直に従うことに、多少の自信を取り戻したのか、
「あの……一つ確認したいのですが、それは今お渡ししました文に関わることなのでしょうか?」
「うむ、それは、そうなの……だがな……。」
何か言葉を詰まらせた様子で、老人は眼球だけを動かして、ちらりと
はたと、
「こちらの
そうして、煙を吐き出すとともに、ゆるりと
「いや、
「ほう。腕前、でございますか?」
二人の会話にも我関せずと茶を啜って味を楽しんでいた
突然老人がそんなことを言い出した
「ど、どうして急にそのようなことを……?
「いやなに、貰った文の内容に関することなのだが……。事と次第によっては、そちらの
「頼み事は兎も角、私が腕前を見せるのは構いませんがね。」
椀を畳へと置いて
すぐに襖が開いて、廊下から二人を部屋に案内した眼鏡の家令が顔を覗かせる。
「いかがいたしましたか?」
「おう。
「虎丸を……?」
老人の言葉に家令の男は僅かに目を丸くした後、「承知いたしました」と何とも恭しい態度で頷いた。
* * *
十三
老人の屋敷の庭は、とにかく広く、枝ぶりの長い木々や丸っこく形を切り揃えられた低木も生えてはいたが、縁側から降りたすぐには、一面に粒子の細やかな砂地で出来た真っ平らな地面が広がっており、武術をするのにはもってこいの環境であるように見えた。
庭に生える木々の間からは、蝉の鳴く煩わしい声が響いてきたが、広いこともあってか、どちらかと言えば町中にあるとは感じられぬほどに静やかでもあった。
更に見回してみると、庭の一角には、巻き藁やら弓を試すための的すらも置いてあるのが分かる。
遠くへと目をやってみれば、一応に名家の庭なのだろうと感じさせるような、池やら、灯篭やら、と見るために設えられた景色も見られるには見られたが、少なくとも
「一応は武家なものだからな。槍や棒を振り回しても困らんようには作ってある。もっとも儂はやっとうの類はとうに引退してしまったがな。」
縁側に腰を落ち着けると、老人はゆるりと煙管を吹かせた。
自慢の庭でもあるのか、その表情はどこか得意げですらあった。
その視線に気が付いたのか
それを
「はてさて、全く何の因果でしょうかねえ。」
軽く言ちながら吐息を漏らすと、
先ほどまで空を覆っていたらしき大きな灰色雲の塊が、ゆっくりと形を変えながら北へと流れていき、隠れていた太陽が顔を出した。その日差しを一瞬遮って空を西から東に向かって、一羽の燕がひらりと身を返しながら飛び去っていく。既に中天からは幾分か傾いた日差しは、庭の木々に背の低い影を作っていく。
体を動かすにあたって暖かくなるのは結構だったが、汗が噴き出すまでには終わらせてしまいたいものだと、空を眺めていた視線を
砂地の上に足を滑らせて、踏み心地を確認すると、
「しかし、私を試そうと言うのは構いませんがねえ。試すなどと言いましても、私は加減など出来る性質ではございませんよ。後でやりすぎなどと言われても困りますからね。」
ははっと、老人は軽く鼻で笑う。
その言葉には、
「構わんよ。うちの者も怪我には慣れておる。まあ先ずは、お主の方が無事であれば話であろうがな。」
にまりと笑って言った老人の言葉を聞いて、その傍らに居た
「そんな荒っぽいことになるのですか?あの
「心配か?お主が言うには大した腕なのだろう?」
問われて
それでも、不安な心持が勝ったのか、躊躇いがちに口を開く。
「そうですが……、心配は心配になりましょう。」
「まあ、試すだけだ、死ぬことはなるまい。おい、虎丸。」
老人に名を呼ばれて縁側へと控えていた男が一人、庭へと足を下ろした。
虎丸と呼ばれたその男は庭へと降り立つと、平らな砂地の上をゆっくりと歩き、
その虎丸と言う男は特段に偉丈夫と言った背格好でもなかった。
ただ、奇妙なほどに腕が長かった。
だらりと下ろした腕の先は、そのまま膝に触れられそうなほどに長く見える。
その細長い腕には、一本の長い棒が握られていた。
細く長く、そして先端を布地で包んだ、訓練用の模擬槍であった。
虎丸が少し膝を曲げて、
「
「何でも扱えますが、そうですね。差し当たっては刀などをいただければ。」
「そうか、では木刀を使いなさい。」
老人は縁側へと控えていた眼鏡の家令に指示を出して、
家令の手から木刀を受け取ると、その刀身をじいっと眺めたかと思うと、不意に虚空に向かって一度腕を振って見せる。
木刀が空を滑り、ふっと風を切る音が鳴った。
「まあ、宜しいでしょう。悪くありません。」
言いながら
対峙する虎丸も、棒の先を
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