第80話 3 夕暮れから始まる
大原というピッチャーを、三里は見誤っていた。
スピードは速い。しかし三振は防げる。なんとか打つぐらいは出来る。
それは事実だが、アウトカウントは三振以外でも奪えるし、打つということは当てるということではない。
三回のイニングが終わって、栄泉の2-0というリードで試合は進んでいる。
三里は内野を上手く抜いたゴロのヒットが一つと、四球で一人ランナーに出たが、まともなチャンスになっていない。
つまり、打たされていた。
「変化球ですよね?」
二打席目を凡退した星が報告し、国立も確信する。
「ほんの少しだけ沈む、スプリットかな?」
速いと感じたストレートは、それほど全力ではなかったということだ。
遅いストレート、ストレートの速さのスプリット、そしてチェンジアップで抑えられている。
原義的に考えるなら、このスプリットもチェンジアップの一種である。
事前に想定していたものとは違う、コンビネーションを意識した投球だ。
「とりあえず、この裏までが重要だ」
栄泉のこれまでの得点は、四番と五番がその打順に相応しい打棒を見せて、それを後続がホームに帰した。
エースに全てを任せたような守備ではないし、攻撃もかなりしたたかになっている。
エースを中心としたチームではあるが、エース頼みではない。
三回の裏、栄泉の攻撃は三者凡退。
そして四回の表、大原はまたゴロで内野を抜かれることが一度あったが、後続が打てず三里は無得点。
そして四回の裏から、星がマウンドへ登る。
三里のこの継投策は、既に見抜かれている通り、左腕である東橋を最初に投げさせ、その後の星のアンダースローを活かすというのが継投策の根本だ。
左腕の一年に一応ピッチャーの練習をさせているが、まだ練習試合にさえ使うレベルに至っていない。
一応二年にもう一人、そこそこピッチャーをしていた者はいるが、星から代えるほどのものではない。
勝ち進んでいけば使わなければいけなくなるのかもしれないが、とにかく星に全てがかかってしまっている。
そして星も期待に応えてしまう。
とりあえず相手の打順が一巡するまでは、無失点に抑えるのだ。
(ここでもう一枚投手を挟んで、星をいったん休ませたいんだが……)
センターの西も、ストレートの速さだけなら星よりも上である。彼は強肩なのだ。
しかしピッチャーとしての練習はあまりしていない。ボールが真ん中にしかいかないからだ。
それでもワンポイントで使えなくはない。だからこそ投球練習もさせているが、球を散らせて投げるということは出来ないのだ。
(メンタル的にどうにかしたら、投手として使えるかもしれないが……)
後に大学で活躍するほどの選手の常として、国立にも投手経験がある。
スピードに慣れさせるためだけに、バッピをすることさえあるほどだ。
なお単なる球速であれば、部内の誰よりも速い。
だがそんな国立でさえ、高校からは投手として使われていない。
投手がほしい。
守備力は最低限以上にはある。打力も低いが、徐々に出塁率は高まっている。
星が徹底的な打たせて取る投手なだけに、もう一枚特徴のはっきりした投手がほしい。
もちろん東橋が貴重な左だとは、分かってはいるが、それはそれ、これはこれだ。
だが来年の春を待っていては、今年の秋を逃すことになる。
トレードでも出来るプロならともかく、ここから選手を獲得する方法がない。
金に任せて有力選手を転校させるということも出来ない。そもそも三里にそこまでの魅力はないし、
高校野球はなんらかの特別な理由がない限り、選手は転校後一年度分、そのチームでは公式戦に出られない。
つまり現在の二年生が転校してきても、既に夏の大会が終わっている今では、来年の大会に丸々出られないということだ。
(やはり来年の新入生に期待するしかないか。けれでども体育科などがないうちでは、とにかく夏の実績だけをアピールするしかないが)
秋もある程度勝てば、さらに魅力は増すだろうが、とにかく夏のトーナメントで白富東に勝つ方法がない。
結局のところ、目の前のことを一つ一つやっていくしかないのだ。
試合が終わった。
スコアは3-1で栄泉の勝利。しかし試合内容は、大原のピッチングを確かめるようなものである。
彼の現在のスタイルであれば、一点ぐらいは入ってしまう。もちろん公式戦であれば、そこで切り替えるのだろう。
完敗だ。
そして勝敗以上に三里の選手が気にしたのは、この試合でほとんど監督の指示が出なかったことだ。
大原のピッチングのからくりが分かった時などは、打者として優れた技術を持っている国立なら、なんらかの攻略法を授けてくれると思った。
しかし国立は選手に任せた。
実際に星を先頭に、とにかく粘っていくバッティングで、なんとか一点は返した。
だが終盤に大原が全力のストレートを解禁すると、またもヒットが出なくなった。
スピードに目が慣れる前に、試合が終わっていた。
「今日は本格派のピッチャーの技巧を見せてもらって、大変に勉強になりました」
「いや、そちらの選手も素晴らしかった。中盤からなんとか塁に出ようとしていたのは、選手たちの考えですよね? そういうチームは強くなりますよ」
お互いに学ぶところはあった。
そして国立は確信する。
やはりどうあがいても、白富東には勝てない。
栄泉や、トーチバ相手ならば、かなり運の要素もあるが、どうにか勝ちを奪うことは出来そうだ。
しかし白富東は無理だ。
あそこの投手陣を見れば分かる。
本格派で150km近い速球を持つ、緩急の取れる変化球を持つエース。
どうやっても打てそうになり変化球を持ち、制球力と球種に優れた裏エース。
サウスポーの本格派で、ムービングを使う未完の大器。
やはり左でクセ球のスライダーばかりを投げる外国人。
そして単純に東橋より優れた一年生。
打撃陣はそれにも匹敵する極悪さだ。
打率は五割どころか七割を超え、その半分以上は長打、しかも盗塁を平気で決める強打者。
打率五割を超えてホームを踏む回数の多い先頭打者。
他にもホームランを打てるバッターは多く、かといって大味なわけではない。
守備も飛びぬけている。外野の右中間は鉄壁過ぎるし、ショートの守備力は打力を考えても脅威的だ。
これらをちゃんと捕手が統制しているのだから、隙がない。
唯一の弱点かもしれない部分は、監督が野球の戦術のタイミングに不慣れなことだろう。しかしそれも野球IQの高い選手たちが、積極的に埋めている。
三里が勝っているところは一つだ。
それは逆説的だが、恵まれない環境にあるということだ。
白富東も本来なら公立校であるため、どうしても設備などの支援体制が私立に比べて弱い。
しかしあそこは監督が私財で勝手に、環境を良くしてしまっている。
普通に考えれば、恵まれた環境というのはいいことだ。しかし大人が全てを準備してしまうのは、生徒たちの創意工夫を育む邪魔となる。
逆境が人間を成長させる。
踏まれてそこから立ち上がれたなら、選手たちは急成長するだろう。
学校に戻った三里の選手は、学校の視聴覚室でミーティングを行った。
国立は初回からの展開を、ずっと自分なりの解釈を交えながらも、分析し対処法を話していく。
「というわけで、やりようによっては勝てたかもしれない試合だった」
「はい、監督。それならどうして監督の指示はなかったんでしょう」
すぐに質問してくるのは西である。星はこういう時、一歩遅い。自分で考えるからだ。
その星の様子を見てから、国立は口を開いた。
「そうだね。私は夏の大会の後、厳しく行くと言ったけれど、それは単に練習を厳しくするということじゃない」
確かにそうだ。もちろんその内容は高度なものになっているが、むしろ練習時間は減っているような気さえする。
練習なのかどうか分からない、色々なトレーニングは増えているが。
「厳しくというのは、心の面でも厳しいということだ。たとえば今日の試合のようなせっかくの練習試合では、皆が自分で攻略法を考えられるように、口を挟まなかった」
三里の選手は皆、練習を嫌々やっている者はいない。
そこからさらに先へ考えて、一つ一つの解決を自分で成し遂げてほしいのだ。
「それに私も、あらゆる場面で正確な判断が出来るとは限らない。もちろん皆より経験は多いから、誰かが気付いたことに正解を返せることは可能かもしれない。しかしそのためには、誰かがまず気付いてくれないとダメなんだ」
甲子園に一番行きたいのは、選手ではなく監督だと言う人もいる。
いい選手がいれば目指してみたい。それはアマチュア野球の指導者としては、偽らざる本心である。
白富東のような強豪がいるのは、確かにそれだけを見れば不運である。
しかし星のような皆が背中を追っていきたくなる選手がいるのは、幸運以外の何者でもない。
「監督、今から練習したいです」
その星が発言した。
「ふむ、なんの練習かな?」
「バッティングフォーム! 大原君の少し沈む球を意識しすぎてるから、修正したいです!」
おお、確かに、と声が上がる。
国立は内心で喜ぶが、今日は予定がある。
「残念だけど、今日はこれから私も用事があってね。各自家で、素振りをしてほしい。漫然と回数をこなすのではなく、普段の自分のバッティングフォームを思い出して、ど真ん中を打つように」
私立と違って監督者の少ない公立は、こういうところでも不利な面がある。
しかし勝てない理由を探すぐらいなら、勝てる方法を考える方がいい。
「今の時期はいかに体力を無駄にせず、技術を高めていくかだ。無理はしないように。特にキャプテンはね」
真っ赤になって俯いた星へ、皆が明るい笑みを送った。
夕暮れから国立の仕事が始まる。
教員としての時間は使えない。まだ教師として二年目の国立は、本来ならもっと教師として学ぶべきものがあるのだ。
それでもここまで優先的に時間を使えるのは、校長以下の職員たちの協力による。
自分は恵まれている、と思いつつ、国立は約束の場所へ向かった。
同じ千葉県ではあるが、相手は忙しい立場である。
駅近の店で待ち合わせをすれば、わずかに時間に遅れてやってきたのは、40絡みの人物。
「悪い。待たせたかな」
「いいえ。お忙しいところをすみません」
待ち合わせの相手は、大田鉄也。
在京球団大京レックスのスカウトマンであり、白富東の頭脳、大田仁の父である。
年は離れているが、同じ大学の先輩後輩ではある。
国立が相談に乗ってもらいたかったことは、二つ。
正確には一つであるのだが、その中でも一つは鉄也の意見がほしい。
「チームの強化方法ねえ……」
プロ球団の敏腕スカウトである鉄也は、強化と言えば当然ドラフト候補の発掘を思いつく。
しかしそれは三年から五年を見越した、長期的な強化法だ。
国立の言う前提条件である、秋までにという時間のなさが致命的だ。
「プロならまあトレードを考えるんだろうけど……」
予選で敵対するであろう相手の監督でも、鉄也には国立の力になってやろうというつもりがある。
打算であるが、善意もある。
「昔マンガで、養子縁組を利用してスラッガーを獲得したのがあったよな」
「さすがにそれは……。うちは公立校ですし、普通に転校してきてくれるならありがたいですが」
「だよなあ」
プロのやっている練習メニューを教える程度なら、鉄也は全く問題ない。
だが選手を転校させるなどということは、さすがに不可能である。
ならばもう一方。
「アンダースローを教えられる人ねえ」
「はい」
そう、星の投球の幅を広げてやりたい。
星のアンダースローは、国立と二人三脚で編み出したものだ。
前提条件として星の足腰が強固であったことが挙げられる。
だがその知識はあくまで、本やネットから引用した知識でしかない。
国立は打者としてアンダースローと対戦したこともあるので、その経験から打ちにくいアンダースローを教えることは出来る。
しかし実際にやってみて、問題がある練習であったら困る。
指導者は疑問に適切に応えてくれるが、ネットや本ではそうはいかない。
「とりあえずこれが今の練習風景と、今日の試合を編集したものです」
「ん、分かった。ただあまり期待するなよ?」
「出来ることは全部やるつもりです」
「よし。それで、こっちの条件はどうなんだ?」
「星君と西君の進路、ですよね?」
そう、これが鉄也の打算である。
「さすがに二人とも、プロで通用する素質はないと思いますが」
さすがにそこは現実的な国立である。
「だけど二人とも、大学ではレギュラーが狙える可能性がある。それにまだ伸びる」
限界は見えているが、そこに到達するのはまだまだ先である」
鉄也はプロのスカウトなので、当然ながらプロで通用する素材を見出すのが仕事である。
しかしつながりの中には大学野球もあり、大学へそこそこ有望な選手を紹介するのも、プロで通用する選手を送り出してもらう見返りとしている。
いずれはプロで通用することになるかもしれないが、高校レベルではまだその域に達していない選手を、大学で育ててもらう場合もある。
そういったしがらみの中で、星と西には商品価値があるのだ。
「けれど、帝都じゃないんですね」
「今は俺の肘を潰したやつが政権握ってるからな。まあもう一年も続かないとは思うけど」
鉄也の息子であるジンは、帝都大学を志望している。
まだ先のことであるので放置しているが、その時にも帝都の状況が今と変わらないなら、その環境を教えるつもりだ。
指導者と環境で、選手はいくらでも変わるのだ。
「まあお互い、仕事をしようや。全ての野球選手とファンのために」
いささか辛辣なことを言う鉄也だが、この言葉には真実味が含まれているように感じた。
「全ての野球選手とファンのために」
国立も復唱して、グラスを合わせた。
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