第63話 理想の投手
直史の投球練習に合わせて、またブラバンが演奏をする。
アップテンポなこの曲は、やはりイリヤが編曲したドラグナーである。
なお提供元はやはり手塚であり――イリヤはどうして自分が生まれるよりはるか前のアニメにそんなに詳しいのか、不思議に思ったものだ。
「スパロボ」
手塚は説明してくれたが、あまり日本のゲームに詳しくないイリヤにはいまいち通じなかった。しかし80年代から90年代のアニメ曲は、かなり彼女の琴線に触れた。
本編を見て絶望するまでがワンセットである。
なお手塚に紹介された歴代アニメのOPを見た結果、イリヤはさらにもう一曲、応援用に編曲した。
ブラバンの皆は、死んだように喜んだ。
丁度一曲が終わったところで投球練習も終了。
ブラバンはマナーどおりに演奏停止。
先頭打者の堀に対して、今度は大阪光陰からの大声援と大演奏。
だが80年代と90年代のアニメOPに勝てるものなどない!(個人的な意見です
(春からどれだけ進化してる?)
正統派の一番バッターとして、今日の相手ピッチャーの様子を探る。特に直史は変化球ピッチャーだから、それは重要なことだ。
初球は――。
(カーブか!)
大阪光陰の一年投手真田も、カーブをシニア時代は決め球にしていた。
それだけでは通用しないと監督が考えたのは、このカーブをセンバツで見たからだ。
相変わらずの変化量で、相変わらずのスピード。これは遅くてよく曲がる方だ。
左の堀にとっては、外から内に入ってくるので打ちやすいはずなのだが、そもそも落差がありすぎてタイミングが合わない。
次は定跡なら速い球を内に入れてくるはずだが。
速い球は来た。ストレートだ。
カットするつもりで振っていったが、ボールの軌道はスイングの上を行った。
(相変わらずスピードは……しかしカーブの後だと合わせにくい!)
そして三球目は、違う軌道の速いカーブだった。
タイミングが合わないのもあるが、軌道が読めずに三振。
二番の小寺。大阪光陰のスタメンの中では、最も器用だと言われている。
内野の守備の要としてセカンドのレギュラーだが、堀と小寺の一二番コンビは、極めて高い打率を誇る。
その小寺が、この打席は徹底的に見ることに徹する。
出来るだけ多くの球種を投げさせたいのだが……佐藤の球種はただでさえ多い上に、緩急もコントロールも自在のため、下手に考えると何も打てなくなる。
それでもこの日の調子のいい球種は確認すべきだ。
初球はストレートだった。
佐藤のストレートは140km出ないのだが、コントロールが抜群で、なんというか質が違う。
真田の投げるストレートに近いのだが、伸びが使い分けられている。
(バックスピンが綺麗にかけられるようになったのか……)
元々佐藤のストレートは、質のいいストレートだった。
今日はここまで、最高134kmまでしか出ていないが、コントロールと伸びで、打つのが難しくなっている。
二球目は逃げていくスライダー。これもゾーンにぎりぎり入ったが見逃す。
(スライダーのえげつなさは、さすがに真田の方が上か)
ツーストライクと呆気なく追い込んで、さあどう来るか。
緩急を付けるためのボール球を投じてから、そろそろスルーを投げてくるか。
しかし来たのはインコースのストレート。
(ストレート!?)
スイングはストレート狙いだったが、手元でわずかに沈んだ。
カットボールだ。打ち損じてサードゴロ。
進化している。
スルーを投げなくても打ち取れる、完全に技巧派のピッチャーだ。
結局三球でしとめられた。球種も全く引き出せていない。
三番の後藤に告げる。
「全部見ていってもいいぞ。監督には俺が叱られるから」
「うす」
三番の後藤。一年だということもあり、一番データが少ない。
それでも春の大会とここまでの打席を確認すれば、おおよそは分かる。
選球眼に優れ、難しい球もヒットに出来、狙ってホームランも打てる。
足はそれほど速くないが遅くもない。大阪光陰の俊足揃いの中では、相対的に遅くなる。
中学時代は岡山県のシニアで、当然のように四番を打っており、ホームランを量産していた。
三振の少ないタイプのホームランバッター。直史の一番嫌いなタイプだ。
そんな彼への初球は、胸元へのシンカー。
バットはぴくりとも動かず、ストライクを余裕で見逃した。
(待球策が出てるのかもしれないね)
(まあ、こちらも省エネピッチングでいくさ)
直史は無駄なボール球は投げない。
基本的にボール球は、振らせるか当てさせるためのものだ。
二球目はアウトローへのストレート。
単なるストレートを、後藤は見逃した。
待球というのもあるが、こちらを探ってきているような。
三球目は、スルー。
確実に仕留めたいというのもあるが、向こうがこの球をどう考えているか。
投じられたスルー。後藤は織田のような手段は採らず、最初のタイミングでフルスイング。
完全に振り遅れて空振りしたが、体勢を崩すことがなかった。
最初から三振することは承知の上。そんな感じのスイング。
嫌な感じだ。
ベンチに戻った直史の表情は明るい。
「後藤のやつ、何か考えてるっぽいな」
ジンは難しい顔をしているが、とりあえず直史の計算通りではある。
「九球でアウト三つだ。理想的な球数だろ」
そう言われてジンも気付く。
81球以内で完封する。直史が考える中で、最高のピッチング。
「マジで狙うなら、どこかで打たせて取るピッチングにしないと無理だぞ」
「分かってるさ。延長も視野に入れて、九回までで100球以内には抑えたいな」
直史の体力を考えるなら、ブルペンでは300球まではまともな投球が出来る。
幸いと言っていいのか、天候は太陽を遮っており、酷暑の中でのピッチングとはならない。
「雨はどうだ?」
試合開始時にはぽつぽつと降っていたが、裏にはまたやんでいた。
「この量なら滑るほどじゃないな。ただ湿り気があるから、うまくフォークは抜けないかもしれない」
「まあフォークはあんまり投げないから、それは大丈夫か」
むしろ福島がフォークを投げるので、こちらに有利になるかもしれない。
四番の武史に、五番の鬼塚と、それなりにいい当たりはするのだが、内野の正面だったり、外野の定位置だったりする。
「わざと打たせたか?」
「いやあ、さすがにそれはないよ。野手も守備配置も普通の移動程度だし」
福島はストレートは150km前後を維持している。
今のところはフォークも投げてきているので、あちらにも雨の影響はないらしい。
そして二回の裏が始まる。
初柴がアウトを取るためのカーブをカットしたため、直史は躊躇なくスルーを投げた。
手が出せずに見送り三振。
続く五番と六番も、スルーはあまり投げずに、緩急で空振りを取る。
まだ二イニングだが、ここまではパーフェクトの投球と言っていいだろう。
「二回でちょうど20球か」
「う~ん、相手が下手に振ってこないのは間違いないけど、かと言って棒球を投げるのもな」
適当にストライクを取りに行ったら、反応だけでヒットされる。
そんな心配はある。
大阪光陰の木下監督は、冷静に彼我の戦力を分析している。
そして判断した。白石と佐藤をどうにかすれば勝てる、と。
白石対策は、究極的なことを言うなら全打席敬遠だ。もっとも一打席目をぎりぎりだがセンターフライに打ち取れたので、ある程度の言い訳は立つだろう。
問題は佐藤だ。
とにかく一点を取らなければいけないのだが、この大会さほど投げてはいないが、ヒットの一本も打たれていない。
名徳との試合では四球があったが……あれはおそらく、織田と勝負するための調整だ。
あの織田を相手に、わずかでも同点の確率がある勝負をするなど、普通なら正気とは思えない。
だが木下は、あのメッセージを強烈に受け止めていた。
織田の打ち方では、スルーは打てないと。
そんな佐藤を攻略するなら、まずはスルーだ。
春は勝てたとは言え、クリーンヒットは一本だけ。天候に助けられたという感じが強かった。
今日も雨なので天運が味方しているような気もするが、傘は必要ない程度の雨だ。そんな運任せで攻略するのは監督の仕事ではない。
佐藤が他にスルーを投げた試合で負けたのは、去年の県大会の決勝だけだ。
チームとしてはそれ以降も負けているが、佐藤に負けがついたのはその試合だけ。
効果的だと言えたのは、バント戦法だ。もっともあの球はバントも難しいので、決定的なものとは言えなかった。
だが同じ試合で、佐藤がスルーを失投したらしき場面があった。
あの試合とそれ以降を比べた場合、佐藤は明らかにスルーの球数を制限している。
握力によるのか、それとも他の原因があるのか。原因があったとしても、それをまだ克服してないのか。
少なくとも春の大会の結果は、スルーには極端には頼らずに勝っている。
スルーがなくとも佐藤は、超一流のピッチャーだ。
おそらく自軍のピッチャーの誰よりも、安定感がある。安定感と言うよりは、頼り甲斐と言った方がいいか。
部内の配慮か、背番号は11を付けているが、間違いない。
佐藤直史が、白富東のエースだ。
このエースを崩すために、考えるのが自分の仕事だ。
三回の表、福島はここまでをパーフェクトに抑えてくれた。
ただ内容はそれほど良くない。白石だけでなく、他の打者にもいい当たりがある。
野手の守備範囲であるのは幸いだが、福島の球威だけで抑えられる相手ではない。
三回の裏の攻撃は、七番の大谷から。後藤と大谷を除いて、大阪光陰のスタメンは三年だ。つまり大谷の才能は、他の多くの三年をも上回る。
本当のところは、もっと上の打順でも良かった。しかし福島と加藤の長打力を考えると、大谷はあえて相手が油断しそうな七番に置いてある。
そんな大谷への指示だ。
「スルーは捨てろ。スリーストライク目に投げてきたらバントだ」
とりあえずは、これで行ってみる。
正直なところ、これが正解なのかは分からない。
ただスルーという、他の誰も投げていないこの変化球は、ある程度肘に負担がかかるのではないか。
去年の夏、決勝以降の数日、佐藤が手を吊っていたことからも、決して都合のいい解釈とは限らないだろう。
大谷はスルー以外を狙ったが、ファールにするのが精一杯だ。
そしてスルーが来るかと思った三球目、インハイのストレートを空振りした。
(またストレートか……)
この試合、佐藤のストレートがいい。
140kmにも達していないのだが、空振りを取ってくる。
(星野みたいなストレートか? まあコントロールはそれ以上だけど)
八番の浅野も三球で三振。そして竹中にはあえて、一打席丸々見るように言った。
竹中ならバッテリーのリードを読んで、スルー以外を打てるかもしれない。
結局のところスローカーブとスライダー、そしてストレートの見逃し三振となった。
ツーナッシングから、一球も遊んでこない。
こちらの考えを見通しているのか。
「ありゃ、福島交代か」
四回の表、大阪光陰のマウンドに立つのは150kmコンビの二人目加藤。
150kmコンビと言っても、実のところ現時点での評価は、加藤の方が上である。
福島の方がストレートのMAXは上だが、加藤は奪三振や防御率などで、福島よりも上だからだ。
その証拠の一つと言うべきか、福島から加藤へ継投することはあっても、その逆はない。
メンタル面でも加藤の方が上だと判断されているからだ。
「う~んでもここまでパーフェクトピッチだぞ?」
「でも白石には一番深いところまで運ばれてるし、他にもいい当たりあったしな」
「まあ今日の福島は、見えてるより状態は悪いってことなんだろ」
福島はベンチへ戻り、ライトに入るのは山内。
守備と小技の上手い選手であるが、木下にしてみれば、堅実でありながらも意外性のある選手だ。
スーパースターも必要だが、しっかり黒子になってちゃんと動いてくれる。山内はそういう選手だ。
白富東の、本格的な攻撃が始まる。
四回の先頭バッターのアレク。もう緊張はしていない。
いや、緊張はしているのかもしれないが、それ以上にわくわくしている。
この試合は特別だ。
甲子園の試合はどれもこれも、彼が目指すメジャーリーグの試合よりもずっと観客が多くエキサイティングだが、この試合はその中でも特別だ。
絶対的な王者大阪光陰は、連覇を続けることへの執念を持つ。
対する白富東は、甲子園を否定しながらもここまで勝ち進んできた。
甲子園を制覇するためのチームと、ただ最後まで勝つことだけを目指すチームの戦い。
150km投手は春の大会や、夏の予選で戦ってきたから、単純にスピードだけなら捉えられる。
しかし日本のバッテリーのリードというのは、なかなかバカにならない。
スモールベースボール。ステイツでは日本の野球をそう揶揄する者もいる。
だがそのスモールベースボールを、積極的に取り入れる者も出てきているのだ。戦術は確実に優れたものがあるのではなく、状況に応じた取捨選択が不可欠となる。
バットを寝かせて構えるアレクだが、この打席はその角度を変えた。
もっともゆらゆらと揺れているのは変わらないので、他から見てもわからないだろう。
加藤の投じた三球目、アウトローに入ってくるスライダーを、レフト前に運んだ。
両チーム通じて、初めてのヒットである。
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