第50話 チェスト!
クソ暑い開会式が終わり、第一試合が行われている間、白富東は待機である。
他の人間はアップを済ませているというのに、先発である直史だけはベンチでぐっすり眠っている。
いや、体力の消耗とかどうとかではなく、人間の肉体はそのパフォーマンスを発揮するのに、覚醒後ある程度の時間が必要なはずであるのだが。
「おーい、第一試合終わったぞ~」
ここで、ベンチ組とスタンド三年組は別れる。
田中と三田村、彼らは応援だ。
せっかくベンチに入った水島だが、桜島のデータは分かり安すぎて、あまり補足の必要がない。
直史は肩に触れられると、すぐに目を覚ました。
甲子園の通路を進む。
春にはなかった熱気が、廊下にまで漂ってきている。
そして踏み出した白富東にかけられる、大歓声。
「大介~!」
「打てよ大介~!」
お客さんの人気は、大介に偏っている。
まあ見ていてこれだけ爽快なバッターはそういないだろう。
「じゃあ皆さん、行ってらっしゃい」
試合前の練習。セイバーがノックすることはない。そもそも出来ない。
ジンがノックをして、主に一年生に対して打球を飛ばしていくが、それほどの緊張はないようだ。
この試合、白富東は珍しくもじゃんけんで勝ったのに後攻。
逆転サヨナラだけは絶対に防ごうという考えがある。
整列して比べてみれば、桜島は巨漢ばかりではないのだが、どいつもこいつも鍛えられた肉体を持っている。
それも単なる筋肉ではなく、ひたすら打つことを目的とした筋肉だ。
(なんかまともに相手したらバカみたいな気もするけどな)
投球練習。直史は八割の力で投げる。
「さからしかぁ! ちゃんと全力で投げぇい!」
「そうじゃそうじゃ! 全力勝負じゃぁ!」
投球練習の段階でこの野次である。
いい気分だ。
弱者の野次ほど直史を落ち着かせるものはない。
主審の手が上がり、プレイボール。
打席の一番有村は、直史を睨んで叫ぶ。
「きぇーっ!」
もちろん直史は、こんなやつらとまともに勝負するつもりはない。
曲げる。
ひたすら曲げる。
凡打、凡打、そして凡打。
三球で終わった。
「せこかぞっ! 勝負じゃあっ!」
「勝負じゃ勝負じゃ! 勝負じゃぁ!」
とても直史にはついていけないノリである。
そして一回の裏、先頭打者はアレク。
白富東のブラバンが、勇壮な音楽を奏で出す。
ぱっぱっぱらっぱ ぱっぱっぱらっぱっぱ ぱぱーぱぱーーん どん!
ぱらぱぱー ぱーぱぱー ぱらぱぱー ぱるぱぱー
ぱぱぷぱー ぱーらぱぱー ぱらぱー ぱーぱぱー
ぷぷぱっ ぷぱっぷぱっ ぷっぷぱぷっぱ
なお指揮をするのはイリヤではない。
彼女の体力では、甲子園の炎天下で断続的に二時間指揮をすることは不可能だ。
その代わりでもないが、ぽんぽんを持った双子は、とにかくチアの姿で踊りまくっている。
プレイと宣言された、その初球。
アレクの打球がセンターの、一番深いところに飛び込んだ。
大会第一号ホームランであった。
「良か良か! ええ勝負じゃ!」
「ええホームランじゃ!」
塁を回るアレクに、桜島のベンチやスタンドからも、大きな拍手がもたらされる。
「あ~、これって下手に打つと、逆に向こうも燃える?」
乾いた笑いを浮かべるシーナだが、かと言って打たないわけにもいかないだろう。
ぱっぱっぱらぱぱ ぱっぱぱーらぱぱ
ぱっぱっぱらぱぱ ぱぱぱぱぱぱぱ!
ぱぱぱぱーぱぱぱ ぱぱぱぱーぱぱぱ
ぱぱぱぱーらぱぱ ぱぱぷぱー
ぱぱぱぷーぱぱぱ ぱぱぱぷーぱぱぱ
ぱぱぱぷ ぱぱぷぱ! ぱぁん!
いい。
やはり甲子園で聞く応援は、格別だ。
積極的に打っていったジンが、珍しくクリーンヒット。
「いかんいかん! ホームラン狙わんといかん!」
「次はホームラン打てい!」
これが向こうの野次である。野次なのかどうか、判断力が落ちてくるジンである。
そして、史上最強の打者、白石大介。
今までずっとダースベイダーだった彼のテーマが、実は今回変わっている。
最初の、トランペットが大事だ。
一節。この一節で、後の出来が決まる。
その一節を吹くのは、応援おじさんである。
ぱらっぱー!
ぱぱぱーぱぱぱーぱぱぱーぱらっぱー
ぱぱぱーぱぱぱーぱぱぱーぱるっぱー
ぱぱぱーぱぱぱーぱぱぱーぱぷー
ぱぱぽーぱぱぽーぱぷぱぽ
ぱぱぱーぱぱぱーぱぱぱーぱぷー
ぱぷぱぱぽーぱぽー
本当ならエレキギターがほしい。
この曲で応援したチームは、おそらくないのではなかろうか。
しかし40代半ば以降のアニオタであれば、おそらく聞いたことがある。
「上がるぜ!」
ホームラン以外狙わないという、桜島の打線。
そしてホームランを打って来いという、あちらの応援。
ならば応えるのが男である。
ホームランキング、白石大介。
当初の気分など完全に失せ、集中力を取り戻した怪物。
この日の第一打席の打球は、ライトスタンドの上段にまで飛んだ。
その後も打って、初回で4-0となった。
まあ桜島実業は、普通に七点ぐらいは失点するチームである。
打って打たれてさらに打って勝つ。
そんなチームの空気に、甲子園のスタンドが汚染されている。
いや、あるいは両チームのベンチでさえも。
ここで桜島は四番の西郷。
しかしこの回の表、白富東はピッチャーを代えた。
ピッチャーとサードが交代し、佐藤武史がマウンドに上がったのであった。
打たれてもいいと、武史は言われた。
むしろ打たれてこいとまで言われた。
一年生にマウンドを経験させるにしろ、相手が悪すぎるのではないだろうか。
まあ、セイバーも珍しく引きつった笑みを浮かべながら了承した。
打撃戦だ。そして、打って勝つ。
四番西郷、五番大山と、連続ホームランが飛び出した。
そこで開き直ったのか、武史はもうゾーンにストレートしか投げなかった。
三振!
「良か振りじゃあ!」
「振ってけ振ってけぇ!」
ヒット!
「ホームラン打たんかぁ!」
「下手に当てんか! さからしかぁっ!」
「許してたもんせいっ!」
ヒットを打って叱られるってwww
すごい試合になった。
こちらもホームランが打てるバッターは、ホームランを狙っていく。
あちらもホームランを狙っていくので、三振の山も積み重なる。
すげえ試合になった。
「こらぁっ! ホームラン打たんかあ!」
直史がヒットで出ても、そんな野次が飛ぶのである。
ある意味、究極の応援と言えるかもしれない。
すんげー試合になってしまった。
センターがバックしてフライを取る。
「ナイスセンターじゃあ!」
「そうじゃ! ホームラン以外はアウトでよかっ!」
潔すぎる。
まあさすがに、ホームラン以外でもちゃんと一塁には進塁するのだが。
いやまあ、本当にとんでもない試合になった。
打撃戦と言うよりは、ホームラン合戦である。
無茶苦茶すぎる。
三回の表を待たずに、セイバーの口からは白いものがぷかぷかと浮かんでいた。
大介の二打席目は、バックスクリーン直撃のホームラン。
「良かホームランじゃあっ!」
「薩摩んへこみたいじゃあっ!」
お前ら、それで日常会話は成り立つのか?
しかし、相手の応援の歌もすごい。
短く持たずに 短く持たずに 短く持たーずにー
ホームラン! ホームラン! 場外狙いのバッティング!
すげえ。
脳みその皺がなくなっていきそうな展開である。
「えええええぇーーーっ!」
凄まじい叫びと共に、フルスイング。
西郷も二本目のホームランである。
「あ~、完全に相手のペースで試合してるな~」
半笑いで呟くジンだが、一人マイペースな直史は笑えない。
「タケ、次の回からな」
ムービングを使うのか、チェンジアップを使うのか。
そう思った武史だったが、兄の指示は予想を超えてきた。
「全打席全力ストレートでおさえろ」
驚く武史だが、言われてみればこの雰囲気の中、向こうを正面から叩くというのは、それ以外にはない。
狙うのだ。三振を。
武史はストレートで三振が取れるピッチャーなのだから。
五回の表、桜島実業の攻撃。
スコアはここまで14-9で白富東のリードと、すごいことになっている。
アレクが大会第一号ホームランを打ったのだが、それ以降もこの試合ではホームランが毎回量産されている。
(正面からやるなら、こっちも本気でやってやらぁっ!)
できらあっ!の精神である。
武史もかなり頭がおかしくなってきていた。
ここまで130km台後半から、140km前半であった、武史のストレート。
アドレナリンの出まくった彼は、予選でもなかった威力をボールに込める。
ここまで三打席連続ホームランの西郷、初めての三振。
そして電光掲示板の球速は、150kmと灯った。
ぉぉぉ
おおおお
おおおおおおお!
大歓声に思わず振り返った武史は気付く。
「へ? マジで?」
150km。
思わず自分の手を見る武史である。
すげえ。
この試合は、楽しすぎる。
続く五番も三球三振。150kmこそ出なかったものの、140台後半を連続で投げている。
ストレートだけで三振が取れている。
これが甲子園か。
これが、これこそが甲子園だ!
ここまで四打席連続、つまり自分が更新した、甲子園の連続ホームラン記録。
それを五打席目の大介は更新した。
五打席連続ホームラン。
ライトの最上段にまで距離が伸びている。これは、まさか。
絶対に、物理的に、不可能と言われていた。
甲子園での場外ホームランが出るのでは?
片手を上げて声援に応える大介。
そこへトランペットの曲が鳴り響く。
桜島もぽんぽんと投手を交代して、粗くなってきた白富東打線も、ついにスコアボードに0のある回を作ってしまった。
ほどほどのストレートと、一種類だけの変化球でも、打者一人ごとにピッチャーを代えれば、そこそこ抑えられるものである。
「タケ、そろそろチェンジアップは使えよ。たぶんお前、自分が想像してる以上に消耗してるからな」
直史はそう言うが、武史としてはまさか、の気分である。
イリヤの曲が、自分のパフォーマンスを上げることは判明した。
しかしこの舞台、この試合、この相手。
魔女の音楽すら超える、この熱量。
武史もまた打席に立つ。
そして演奏されるのは『夏の嵐』。
フルスイングした武史の打球は、ライトスタンドに飛び込んだ。
次のイニング、その次のイニングと、武史は全てを三振で抑えた。
球速表示は、151km、152kmと、どんどん自己最速を更新していっている。
「ダメだ、こりゃ」
直史は判断した。
このまま投げさせると、武史が壊れる。
「次からまた俺ってことで」
「……そうですね~」
魂の抜けたセイバーの許可を得て、今度の打席は三振した弟に告げる。
「タケ、次からまた俺が投げるから」
「え? いや、だって俺、自己最速更新してるんだけど?」
それどころか、一年生の記録としては、歴代二位だ。左腕としては文句なしで一位である。
「お前は自覚してないかもしれないけど、これは限界を超えてるんだよ」
武史は、自分が全力投球をしていないことを知っている。指摘されて自覚していた。
彼のギアには三つの段階がある。
一つは普通にストライクの入るロー。これは今では、どんな時でも使える。
そして特定の条件、調子のいい時に使えるミドル。145kmというのがそれだ。これもかなり普通に使える。
一番上のハイ。これは全くコントロールが利かない。だから封印している。
くっ、左手の封印が、というのをリアルでやっているのだ。
しかし今、ストレートがすごい勢いで伸びて、ゾーンにコントロールされている。
強打の打線を、連続で三振に取っているほどだ。投げれば投げるほど、上のレベルが見えてくる。
「俺やセイバーさんがお前にそれ以上の球速を求めなかったのは、コントロールが利かなかったからじゃなく、体を守る筋肉がなかったからだ」
言い聞かせるように、直史は告げていく。
「筋肉には速筋と遅筋があるのは知られているけど、それとは別に機能別の筋肉がある」
一つは力を発生させる筋肉。これは当たり前に誰もが分かっている。
もう一つが力を打ち消す筋肉。ブレーキ筋と呼ぶのは少し違うが、腱や靭帯を守る筋肉だ。
もっとも柔軟性を無視してこれを鍛えると、かえって怪我をしやすくなったり、関節の駆動域を狭めてしまう。
武史の場合は、秋が終わってから来年の春までに、それを鍛えるつもりだった。
しかしここで、彼の脳はリミッターを外してしまった。
限界を超えた代償は、突然に来る。
むしろ150kmを投げた時点で、止めるべきであった。
選手の交代は、監督の判断による。
選手が何を言おうと、宣言してしまえば審判はそれに従う。
不服そうではあるが、武史は兄の指示に従った。
「もっと勝負しても良かったと思うけど……」
シーナまでそう言う。どうやらベンチで正気を保っているのは直史だけらしい。
同じことは、いつもよりもさらにキレのいいダンスを踊っている双子にも言えた。
「ええ~、タケでいいじゃん」
「潰れたっていいじゃん」
「見逃してくれよ~」
スタジオで見るどんなパフォーマンスよりも、激しく踊っている親友。
その姿を見ていたイリヤは、内心ではハラハラしていた。
どうやら応援席の中で正気なのはイリヤだけらしい。
もっとも彼女の場合は、普段が正気とは言いがたいが。
球場全体の空気が、とにかく桜島の色に染め上げられている。
点数は圧倒的にリードしているのだが……野球は本当に、ツーアウトランナーなしからでも分からないスポーツだ。
これが武史の得意なバスケであれば、残り15秒からの10点差はレジー・ミラーでも逆転は不可能だろう。もっと分かりやすく言えば流川や仙道や沢北でも無理だ。
しかし桜島の噴火は、それがありえそうで怖い。
ここで直史。おそらく、高校球児の中で最強のメンタルを持つ少年。
スコアは19-9と、残り二回の桜島の攻撃を考えれば、セーフティリードの範囲だと思える。
全く。本当に。
甲子園という舞台は、とんでもない。
イリヤの中で鳴っている音楽を、押しつぶしてしまうほどの歓声。
狂気にも近いこれを、自分は求めていたのか。
(でもどうするの、直史? 普通に投げてたら、奇跡が起こるわよ?)
直史は、ストレートは一球も投げるつもりはない。
変化球だけで一人を三振。これに対して怒涛の野次が飛ぶ。
「せからしかぁっ! 勝負せんかぁっ!」
「おい! おい! おい!」
圧力が凄い。
これを平然と受け流すのも、直史には出来る。
しかしそれはしたくなかった。
ここで単純に勝つだけでは、甲子園のお客さんは納得してくれないだろう。
この後も観客を味方につけるためには、それなりのパフォーマンスがいる。
何か叫んでも、とても聞こえないこの歓声の中。
直史はジェスチャーでそれを伝えた。
俺の(くいと自分を親指で示す)
ボールを(握ったボールを見せる)
一球でも(人差し指を立てる)
打ってから(打撃のフォーム)
ものを言え(手を口に当てて、何かを喋る動作)
そして桜島ベンチはそれに応えた。
「打てーっ!」
「殺れーっ!」
「チェストーっ!」
直史はボールになるカーブなどを交えながら、桜島打線を翻弄する。
そしてここまで温存していた、ジャイロスルー。
八回の表を三者三振で〆て、ベンチに戻る。
「すげえなお前、あの状況で普通に投げられるの」
水島が感心したように言うが、直史としてはそれほどのこともない。
「力んでる相手を三振に取るのは、技巧派の本領でしょ。それより先輩、代打行ってください」
「え? 俺?」
「タケはもう下げますから。そのカチカチになった掌は、伊達じゃないんでしょ?」
ここでまさかの代打水島。
ちなみにその前の打席で、ついに大介はセンターフライの凡退となってしまっていた。
四番の武史に、思い出代打の水島が出る。
(いや、別に俺、試合には出なくてもいいんだけど)
そう思いながらも、田中が投げていてくれたような、打ちやすいストレートをジャストミート。
セカンドの頭を越えて、ヒットとなる。
(嘘だろ、俺、甲子園でヒット打っちゃったよ)
「ホームラン打たんかーっ!」
野次は相変わらずであった。
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