103 プディングと森の民


 



 目の前にあるのは水分が抜けてカチカチの丸パン。

 数にして七個。

 かろうじてカビは生えていないが、このまま放置すると生えること間違いなし。


 庭で作っているパンは通常長持ちで、尚且つ庭で生活している者に与えられる事が殆どのため、こちらの私の家にあるということは市場で買ったものだと予想させる。

 覚えていないが、多分小腹をすかした私が買ったに違いない。

 そしてそれをしまい込み存在自体を忘れ、今の状況である、と。


「さてと、どうするべきか」


 硬くなったパンをそのまま食べるのは顎が疲れるし美味しくない。

 なら一手間加えた方が美味しくなるに決まっている。


 少ない量だったらフレンチトーストにして食べてしまうのだけど、七個も食べられる胃袋を私は持っていない。

 ならば大量に食べる子らのところでおやつにしてしまおうと庭へ向かったのである。





 足を踏み入れた庭では当たり前のように亜人達が仕事に励んでいた。彼らは私を気にしてはいるがきちんと働いてくれるので、今のところ目立った問題は起きていない。

 レドが中心となり指揮を取ってくれているからか、最近モフモフ出来ないことだけが非常に残念であるので後でこっそりと尻尾をモフモフしてやろう。



 庭のキッチンに行く前に鳥小屋からは卵を、倉庫からはラム酒を用意して取り敢えずの下準備は完了だ。

 キッチンへ着くと始めにオーブンを温め、その間に卵、ラム酒、牛乳、砂糖でよく混ぜた液体を作り、硬いパンも一口大に切っておく。

 鉄の大皿にバターを塗りつけて切ったパンを敷き詰め液体を満遍なくかけて、染み込むまでは放置。

 こっちにいる人数を考えるとパン七個は少量すぎるので、硬めに焼いた常備パンを棚から取り出し、より多くの量が出来上がるように調整しておく。



 後はオーブンに入れて二十分ほど焼けばいいパンプディングの完成なのだが、どうも気になる事が一つあった。


 それは私にバレないようにと見つめる図体のでかい熊の視線で、先ほどから小窓の端からじっとこちらをみているのだ。

 用があるなら言いに来るだろうとほっといておいたが、コソコソとした行動を取るため用があるわけでもなさそうで、私を観察してるといった方がしっくりくる。


「ーーあのさ、そこの熊さんはなんか用かな? その図体で隠れられてると本気で思ってるわけ?」

「っ! あ、いや! その!」

「いいからこっちおいで」


 ちょいちょいっと手招きし近場に呼ぶと、熊(どうやら名前はネラと言うらしい)は小さな耳を垂らして不安そうに私を見下ろした。

 その図体からは想像できない小動物感がなんとも私の心を揺さぶるが、ここはもふりたい気持ちを抑えておくとしよう。


「で、どうしたの? 何かあった?」


 小さな子供をあやす様になるべく微笑みかけて聞いてあげると、ネラは吃りながらもチラチラとプディングの方に視線を向けた。

 その意味を察するに作っているものが気になっている。プラス自分も食べれるのか知りたいといったところだろうか。

 全くもって食い意地の張った熊さんである。


「これはパンプディングっていう食べ物。オーブンで焼いたら出来上がりだからまだ食べれないよ。 甘いのが好きなら蜂蜜かメープルシロップをかけてあげるけど、甘いの好き?」

「甘いの! 好きだけど、そのーー」

「別にどっちも庭で取れるから使っても問題ないよ、気にするな」


 熊だけに蜂蜜の方が好きなのかと思ったが、単純に甘味類が好きなのかもしれない。

 しかしまぁ、たった一回おやつを与えただけだというのに懐かれたものだ。


 ちょうどよくここへ来たネラに手伝いを頼んでみると勢いよく頷き、オーブンへとプディングを入れてもらう。そのかわりにお手伝いの代金として私の秘蔵のお菓子、蜂蜜バナナケーキを切り分けて差し出す。

 ネラは若干戸惑ってはいたが、私が自分の分にかぶりつくとようやく真似をして、その大きな口へと放り込んだ。

 まさか一口で食べるとは思っていなかったが、美味しそうに目を細め咀嚼するネラの可愛いこと。


 おっきな熊が可愛いなんてこれは随分なレド不足が窺える。早めに対処しなければならない様だ。


「さて、焼きあがるまでは時間があるし、少しお話でもしようか」


 特にこれといった話はなかったが、わざわざ自分から私に近づいてきたのだ。話し合いをする根性くらいはあるだろう。

 なるべく真顔にならない様にネラへと顔を向け、ここでの暮らしはどうかとたずねた。


「ーーここは如何してこんなにも自由なのか、俺も皆もまだ理解していない。ただ人が恐ろしいから従っている奴らも沢山いる。だからあんたがまだ怖いし、側に近づくのも躊躇っている」

「じゃあなんで君はこうして私の隣にいるのかな?」

「それは、多分、悪意を感じない、から?」


 悪意を感じないというが、私的には悪意があり過ぎるのだけれども。じゃなきゃ強制労働なんてさせていない。

 しかし彼らからすれば暴力で支配しない私は悪意を感じない、ということなのかもしれない。


「怒りや憎しみがあればあんたを否定することが出来る。でもそれをする理由がない。だからガニダも困って、他の奴らも悩んで。……俺は苦しみがないならそれだけでいいと思うけどな」

「ガニダが誰か知らないけど、それはしょうがない話だよ。こことあの場所は色々と勝手が違う。だから困惑するのは当たり前のことだ。気持ちだってそう簡単に切り替えは出来ないけど、今は私に、ってかレド達に従って仕事をこなしてくれてるんでしょ? なら徐々に楽な方に気持ちを切り替えればいい。私は感情のあり方まで拘束しない。仕事さえしてくれりゃ私はそれでいいんだから」


 そのガニダという奴にも好きにしろと伝言を頼むと、ネラは小さく頷いた。

 きっとネラは今回ここにきた亜人の中で最初に私側についた子なのかもしれない。

 他の奴らがおっかなびっくり、触らぬ神に祟りなしと遠巻きにしている中、こうやってコミュニケーションを取ろうとしているのがいい例だ。理解しなくていい私の思考を理解しようと、必死でもがいてつかみ取ろうとしている。


 ネラの話を聞きプディングが焼きあがるまではあと少し。

 話すことが思いのほかなかったためこの後何で時間を潰そうかと考えていると、ネラがいきなりはっと息をのんで私を見つめた。


「ーーそういえば、パメラの姐さんがあんたを探していた!」

「え、もしかして最初はそれが私を見てた訳だったりする?」

「ーーーーまぁ、その、そんなところ」

「なのに食いもんにつられて忘れてた訳か。まぁいいけど、あと五分くらい、この砂時計が落ち切ったらオーブンから出して冷ましておいて。火傷しない様にミトン使って出すんだよ?手が入らなかったらそこら辺の布使っていいから!」


 それじゃあ宜しくとネラの背中を叩いて、私はパメラの元へ。

 パメラの今の仕事はこっちにきた小綺麗な亜人の管理。精神的に壊れた亜人のお世話だ。


 ここからそう遠くないところに用意された小屋へ急いで赴き、ノックを三回。そしてパメラの名前を呼ぶ。

 するとすぐに困った表情のパメラが現れ、困ったことになってますと眉を下げた。

 とりあえず一旦中の様子をと案内されるまま室内へと足を踏み入れると、十人ほどの耳の長い子らが椅子の上に何かを置き、それに必死に祈っている。


 知らぬ間に宗教活動をされていたのかとゆっくりとバレない様に近づき確認してみると、そこにあったのは私が各小屋に置いている精霊の花ではないか。

 なぜそんなものに祈る必要があるのかと頭を悩ませていると、一人が私の存在に気付き、そして淀んだあの時とは違ったキラキラとした眼で目の前で跪いた。


「"御使い様"!」


 御使い様とはなんぞ。


 一人がそう叫び私に近づくと他の子達も口々に御使い様御使い様と呼び、私を囲って跪く。一体なんの事だとパメラに視線を向けても彼女は首を振り、どうもこの行動の意味を知らないみたいだ。


「ちょっと理解が出来ないのだけど?御使い様って何? てかなんで君らは跪いてんの? むしろもう元気なの?」


 元気なら仕事して欲しいんだけどと言葉を濁していると、青味がかった銀髪の子がこれでもかと身を乗り出し、そして御使い様は私達の光ですと涙ながらに語り出した。



 彼女の名前はアクア。

 ここにいる耳の長い種族、森の民エルフの一人。

 どうやらエルフである彼女達は私や他の亜人と違った異なる瞳を持っているらしく、それは精霊の目といわれ永い時を生きるエルフだけに与えられた精霊を見ることのできる目であるそうな。


 それで何故私が御使い様と呼ばれているかというと、私がなんの惜しげも無くそこらへんに電気代わりや水道代わりに置いている花は、そんなエルフ達でさえ手に入れる事の難しい貴重な花であり、それでもって私には見えていないが大量の精霊が私の周りを漂っているとかなんとか。

 古来より神信仰と同等に精霊を信仰してきたエルフからすると、私の様に精霊を纏う生き物は早々存在すらせず、いても神に等しいとされている、らしい。

 故に彼らからみると私は精霊の御付き人。


 御使い様、と呼ばれている訳である。



 なんともまぁ、面倒くさい。



「えーと、アクア? だっけ。御使い様云々は置いといて、君らはもう元気なの? 仕事できる? 他人と接するのが嫌なら室内でできる仕事渡すけど」


 ちなみに室内でできる仕事は洋裁やドライフルーツの作成。ちょこっと外に出なきゃならない仕事はパメラに請け負ってもらえばどうにかなる。

 一応私だって気遣いのできる子だ。

 精神崩壊を起こした子らをそう簡単に他人と関わらせることはしない。


 けれどそんな私の考えとは裏腹に彼女達はどんな仕事でもこなせますと、目を煌めかせて声を荒げた。


「御使い様が申付ける仕事でしたら何なりと! 貴女様の様な方の下で働けるなんて幸福です! それ以上の幸せなんてありえません!」

「あ、そう。そうかー、じゃあ一旦外行ってお話し合いしようかー」


 あまりの苛烈な信仰に思わず身を引いた。

 信仰されすぎて怖い。

 何もしてないのに勝手に崇められて凄く怖い。

 兎に角、キラキラした彼らの目がとても怖い!


 パメラの名前を呼んで助けを求め、私は一旦小屋の外へと身を投げる。すると当たり前の様に彼らはぞろぞろと私の後を追って小屋を飛び出し、そして目をこれでもかというほど目を見開いて辺りを見渡した。


「ーーこれは! なんて素敵な世界なんでしょう」


 うっとりと目を細めるアクアは何かを追っている様に細かに動き、他のエルフ達もキョロキョロと何かを目で追っている。

 その様子に何が見えるのかと尋ねると精霊ですと答えが返ってきた。


「こんなに沢山の精霊、故郷にもいませんでした。 やはり貴女様は御使い様なのですね!」

「あーうん。そうかもねー。取り敢えず私は先にキッチンに戻るから、パメラに庭の案内してもらって? そしたら仕事教えてもらってねぇー!」

「お、お嬢!」

「パメラ、ファイト!」


 嫌なことはパメラに押し付けて、私は猛ダッシュでキッチンへと戻る。

 もうプディングも焼けている頃だし、私は現実逃避を開始しよう。


 だってしょうがないじゃない、あんなに崇拝されたことなんてないんだから。


「甘いもの食べて、癒されたい」


 いそいそと戻ったキッチンにはオーブンから取り出されたプディングが並び、ネラがよだれを垂らして私の帰りを待っていた。

 小さなお皿に一人前ずつとりわけ、ネラには特別に蜂蜜とメープルシロップの二種類を、私は蜂蜜をかけていただく。


 外は少し焦げていて、中はふんわり。ラム酒の香りが鼻を抜け、卵の甘みと蜂蜜の甘みが混ざり合う。

 先ほどの出来事を忘れるために無心で食べていると、あっという間にプディングはなくなり、私の至福のひと時も終わってしまった。


 熱心に残りのシロップを舐めとっているネラに、残りのプディングは他の亜人に分ける様に言いつけ、私はエルフ達に会わぬ様に扉のノブに手をかけた。


 そこでふと、エルフが言っていた言葉を何故だか思い出した。



「ーー最近、お祈りしてなかったなぁ」


 小さなお皿にほんの少しプディングをのせ、その上に蜂蜜を。

 窓辺にそっとそれを置いて、私はただ祈る。


「精霊様精霊様。 あの熱心な信仰はいりません! もし私にお菓子のお礼をしているのならば是非ともアルノーへとお返しください! 頼みますからあのエルフ達の信仰を止めてください!」


 お願いしますと神頼みならぬ精霊頼みをし、私はこっそりと庭を出る。

 あれで何とかなるとは思っちゃいないが、出来ることなら精霊が私から離れてくれます様に。





 しかしながらそのお祈りは虚しく、次に庭を訪れた時にも跪かれ崇められ、キラキラとした視線を向けられた。


 もうどうにでもなってしまえ!

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