閑話05 リッターオルデン
時間を少し遡ってとある少年の話をしよう。
その少年の名はアルノー。
後の世に、食の魔術師と不名誉な呼び名で呼ばれるリズエッタの双子の片割れ、アルノーの話だ。
アルノーがリッターオルデンの学舎に足を踏み入れた時、何て大きな建物だとまず初めに思った。ヨハネスとリズエッタと住んでいた家が何十棟も何百棟も入ってしまうだろうその大きさに、唖然と口を開いたのだ。
その姿をチラチラと覗き見る人間も学舎に劣らないくらい煌びやかな衣類を身につけ、アルノーを小馬鹿にしたように笑っている。
アルノー自体はそんな彼らの笑いなど気にはしなかったが、門番や一部の生徒達は気難しい顔でその様子を見ていた。
アルノーは一度頬を叩き、荷物を運び入れようと視線を下に向けるも纏められた荷物は一度で運ぶには多く、こちらを見ていた門番に荷物を見てて欲しいと頼み持てるだけの荷物を持って学舎の奥へ進んだ。するとそこで待っていたのは三十を超えただろう男が二人、何やら生徒に案内をしているように見える。
アルノーは荷物を一度持ち直し、その二人の元へ急いで足を進めた。
「すいません、本日より此方で学ばせていただきますアルノーと申します。 恐縮ですが、荷物は何処へ運べば良いのでしょうか?」
一礼し、お時間を取らせてしまって申し訳ありませんと声を掛ければ、男らは目を見開いてアルノーをみた。そしてハッとしたように手に持っていた紙を確認し、一つの鍵を手渡したのだ。
「歓迎するよ、アルノー君。 これは君の部屋の鍵だ。 右手の通路をまっすぐに進み奥から二番目の部屋だ、同室者もいるので仲良くするように」
「ーーありがとうございます」
アルノーは鍵を受け取るとまた一礼し、失礼しますと断りを入れて男らに背を向け自室になる場所へと荷物を運ぶ。その後ろ姿をじぃっと見ていた男らはアルノーのその態度に感心し、しかるべき教育を受けたものが久々に現れたと安堵したのである。
リッターオルデンは騎士を目指すものが集まる学院。
エリアスゲーデの様々な村や街で行われた入学試験を通過したものだけが通うことを許される、由緒ある騎士の学院だ。
この学院を出た騎士は名を馳せる事も多く、それ故に貴族の子息や金持ちの子供らの多くが学院への入学を望んでいる。もちろん彼らも試験を通過し学院へと入るのだが、いかせん態度が大きいという問題も出てくるのだ。
平等を謳っている学院ではあるが、やはり自分達は特別だと思い込むものは多く、案内係を務める教員や身分の低い騎士には高圧的な態度を取るものは少なくはない。
ましてやアルノーのようにきちんとお礼なんてする方が珍しいとも言えた。
貴族の金にものを言わせたボンボンでもなく、自分は学びにきたと面と向かって言い切ったアルノーの方が、学ぶのにふさわしいと二人は思ったのだ。
アルノーが辿り着いた部屋はずっと家よりも小綺麗で、そこには見たことのない二段ベッドが備え付けられていた。配備されたテーブルも椅子も、勉強机もどれも立派で、ここに来なければ見る事も無かったかもしれないとアルノーは思い、姉と祖父に心から感謝したのである。
荷物を部屋の一箇所に纏めて置きベッドの中の寝具を触って見ると見かけ以上にフワフワで、お昼寝の好きなリズエッタを連れてきてあげたいと思ったほどだ。
ゴロンと横になってみれば体が雲に包まれているみたいだと感じ、そして旅の疲れを感じていた頭はウトウトと船を漕ぎ出した。しかし寝付く暇もなく、アルノーは見知らぬ人間の声によって叩き起こされたのた。
「ーーお前、下でいいのか? じゃあオレは上な!」
藍色の髪と翡翠の瞳。アルノーよりも少しだけ年上だろう少年が目の前でとっつきやすい笑顔を見せていた。
アルノーは眠い目をこすり、同室者かと問いかけた。
「あぁ、そうだ。 オレはダリウス・ローガン。 十四だ。 お前は?」
「アルノー。 ただのアルノーです。 歳は十二を過ぎたばかりです」
よろしくと手を伸ばすダリウスの手をアルノーは握り、握手をする。
ダリウスは丁寧な言葉遣いをするアルノーに向かってもっと楽に話せと、名前で呼んでも構わないと提案するも、アルノーはその提案に首を縦に振ることはなかった。
「親しき仲にも礼儀あり、です。 流石に歳上で初めてあった人の名前を呼び捨てるなんて出来ません」
「いやでも、何か嫌じゃね? 同室なんだし、どうせお前も今年入学なんだろう、仲良くしようや」
な? とニヤリと笑うダリウスにアルノーはそのうちにと言葉を返し、途中で止まっていた荷物を片していくことにした。
普通の平民ならば、ここまできちんとした言葉遣いを知る者の方が少ないだろう。
ならば何故アルノーがこのような喋り方をしているのだと原因を探せば、そこにいるのはいつだって姉のリズエッタだった。
彼女は魔力こそ持たないが料理に関しての知識と腕は確かで、尚且つ他者に対しての接し方を知っている。
アルノーがリッターオルデンに入るにあたって貴族の子供らにどの様な言葉遣いをした方がいいか、態度でいた方が良いかなどを最早常識レベルで叩き込まれていたのだ。故に、どんなに相手が良いといっても下手に出た方が無難であると理解していた。
二人が別々に己の荷物を片し終えた時には既に太陽は沈みかけ、橙色と濃藍色の空が明るく混じりあう時間になっていた。
ダリウスは黙々と荷物を整えるアルノーに夕食を食べに行こうと誘い、アルノーはしぶしぶその誘いにのった。
長い廊下は魔法で火の灯されらランプで照らされとても明るく、暗くて足元が見えないなんてことはない。そしてその先にあった食堂もアルノーの想像以上に広く明るく、食器の一つ一つまでピカピカに輝いていた。
「ーーーー何処ぞの平民が、態々学院に入るなんて」
アルノーを小馬鹿にした様な言葉にダリウスは反応するもアルノー自身は顔色一つ変えることなく、一番はじの席に着くと当たり前の様に用意された食事の品々を皿に盛っていく。その姿に貴族の子らはつまらないと舌打ちをし、更に汚い言葉を続けたがアルノーの視線がそちらに向くことは一切なかった。
「お前、肝が据わってんなぁ。ーー嫌じゃねぇの、あんな風に言われて」
「確かに俺は平民ですし、彼らの言葉に間違いはありません。なのに何故態々怒る必要が?」
無駄なことはしたくないですと子供らしからぬ事を言えば、ダリウスはそんなものなのかと呆れた様に自分の食事にも手をつけ始め、キラキラとした目で料理を頬張った。
アルノーはダリウスが美味い美味いと食べる料理を眉間に皺を寄せながら見つめ、ゆっくりと口に含む。
その味の壮絶さといったら、アルノーの目に涙が溢れたほどだ。
「平民にはもったいない料理だぞ、有り難く食え!」
意地汚い笑い声が食堂に響く最中、アルノーは自分の不運を恨んだ。
”リズ、ここの料理はクソ不味いよ!”
生まれてから十二年、こんなに味にまとまりのない料理は食べたことはない。
ある料理は塩辛く、またある料理は酸っぱく、デザートは舌に延々と残るほど甘い。
リズエッタが料理に目覚めてからというもの、ほぼ毎日美味しい塩加減でバランスのとれた料理やお菓子ばかりを食べていたアルノーからしてみたら無闇矢鱈に味が濃いだけの料理は料理とはいえないのだ。
素材の味が、食感が台無しだ!
今ならスヴェンが家を離れたがらなかった理由が凄くわかると、後悔の涙を流した。
「……ダリウス、さん。 俺は先に部屋に戻るよーー」
フラフラと席を立つアルノーにダリウスは声をかけるもその声が届くことはなく、平民と馬鹿にする様な笑い声が聞こえる中アルノーは自室へと駆け込んだ。そして荷物の中からリズエッタがもしもの時のためにと持たせてくれた非常食を取りだし、おもむろに食らいつく。
味の染みたジャーキーの旨味、フルーツの酸味と蜂蜜の甘さが引き立つヌガー。
このたった二つの保存食の方がアルノーにはとてつもなく美味しい食事と感じられる。
「ーーご飯がこんなに美味しくないなんて、聞いてないよぉ」
もしも渡された保存食が切れて仕舞えばアレを食べなきゃならないのかとがくりと頭を落とし、潤んだ瞳は絶望に揺れる。
そしてその考えは近い将来現実となりアルノーの絶望に拍車をかける結果となるのだが、アルノーの絶望など知らない彼女はウキウキとやってくるのだ。
当たり前のように供給されるようになった頃には同室ダリウスにもその存在がばれ、売ってくれと頼まれるのは、ほんの五ヶ月後の話である。
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