41-2 のぞみ
リズエッタがここにきたのは約二週間ほど前。レドに亜人二人を頼み足早に扉の外へと戻っていったのは記憶に新しい。
確かにこの状況は望んだのは俺だった。
そう思いながら今の状況を確認しても、レドはどうも腑に落ちなかったのだ。
確かに彼は亜人を奴隷としてここに連れてくることを主人であるリズエッタに願い、それを彼女は叶えたにすぎない。けれども目の前にいる彼女らはリズエッタを親の仇かのように睨み、憎悪し、その全身からは憎しみの全てをさらけ出しているよう見えた。
きっとそれが腑に落ちない原因なのだろう。
「あー、取り敢えず飯でも食うか?」
できるだけ単調に、感情的にならずレドは彼女らに声をかけ、その言葉を疑うかのように二人は眉間にしわを寄せるも小さく頷く。
その行動を確認したレドは近場の果実をもぎり、そっと彼女達に差し出したのである。
スンスンと鼻を鳴らして毒物ではないと認識した二人は恐る恐る果実を口に入れ、口いっぱいに広がる甘味とその柔らかな食感に歓喜するように目を見開き、手渡された果実を様々な角度から観察してからまた嬉しそうに目を輝かせ何度も何度も口へ運んだ。
レドはその姿に何時ぞやの自分自身を重ね、これからの安泰を祈った。
その日からレドは二人の体調の管理をし、リズエッタが来るのを今か今かと待ち続けた。しかし彼女は二日三日と経てど庭に訪れることはなく、ただそれだけの事なのに少しながら寂しさを感じている。
レドにとって彼女は主人であり、全てなのだ。
たとえ世界が彼女の敵に回ったとしても、俺だけは彼女の側で盾となり剣となる。命を捧げてでも彼女を守ってみせると心の底から、魂の奥底から誓いを立てるほどに親愛し、心酔していた。
そんなレドを面白くなさそうに見ていたのは誰でもない亜人の二人である。
ここに連れてこられてから三日程で傷んだ身体も失った腕も千切られた舌もまるで元からそうであったように綺麗に完治し、体つきも良くなっている。
女性特有の豊満な胸に筋肉質でくびれた腰回り。痩せこけた頬はぷっくりと肉付き薄紅色に染まり、珊瑚色した濡れた唇はとても艶かしい。
傷み、かさついていた青藍と翡翠色をした髪も今は艶のある絹の様に変わり、ふわりと風に揺らいだ。
この変化に最初こそという驚き戸惑った二人だが、健康的なこの体を手に入れたことにより、より強くリズエッタへの反抗心が芽生えていったのである。
「どうしてお前はあの人族に従う? お前ほどの獣人なら簡単に殺せるだろうに」
そう口を開いたのは下半身に六つの足を持つアラクネ種、シャンタルだ。
彼女もレドと同じく劣等種と呼ばれた亜人であり、スミェールーチから逃げてきたもの達の一人でもある。それはシャンタルの隣に並んだしなやかな肉体を持ったラミア種のパメラも同じだ。
彼女らからすれば逃げ出した先で捕獲され、殺されかけ嬲られ、首に奴隷の証である首輪をつけられてリズエッタに売られたのだ。
捕獲した冒険者にも領主にもリズエッタにも、いい印象を抱いていないのは当たり前だといえよう。
特に自分達を見下し蔑んでいた奴らよりも、主人となり彼女達の命を握っている、そして彼女達を奴隷としてしか見ていない幼くか弱い少女の方がどうにも気に入らない。
そしてそれに従い、彼女らを監視する様なレドも気に入らないのだ。
シャンタルの言葉にレドの顔は一瞬で無表情と変わったが、それ変化に気づいてもなお、シャンタルの言葉は止まることはない。
「お前は私達と違って拘束するものはないのだろう? 私達はこの忌々しい首輪があるが、お前にはない。それにお前の逞しい肉体を持ってしたら人族の小娘などひとたまりもないだろう。殺して、自由に生きよう」
さも当たり前の様に、それが最善だという様にシャンタルは小さく笑みを見せ、それを見たレドは容赦なく躊躇いなく手加減なく、力一杯筋肉を引き締めて、無表情のままにシャンタルの顔面に己の拳を殴りつけた。
小さな悲鳴と肉と肉、骨と骨が打つかる鈍い音。
呆気なくシャンタルの体は弾け飛ぶ様に後方に飛ばされ、パメラは急いで彼女に近寄り精一杯レドを睨みつける。
その目には敵意すら抱いて。
「テメェは何を言ってやがる。誰が誰を殺すだと? 巫山戯るな」
声を荒げることはないがこの口調はどこか刺々しく、普段は慈愛に満ちた灰青の瞳は怒りを含み、揺れている。
殴られたシャンタルも己がレドの逆鱗に触れたことをようやく理解するも、訂正をする間も無く首元を掴まれ持ち上げられ、かろうじて呼吸ができる程度に首を絞めつけられていた。
「ーー離しなさいっ!」
シャンタルの首に指が食い込むのを止めようとパメラはレドの腕を掴むが彼はビクともせず、その手にさらに力を込めてもがくシャンタルを冷たく見下ろしただけ。
そのそぶりにパメラは畏怖し、レドが主人であるリズエッタを思う気持ちに誤りはないのだと感じたのであった。
「お前達は運がいい。お嬢に買われてここに連れてこられて、苦痛を味わうことなく楽に生きる事が出来る。それなのにお嬢を殺すだと? お前達がもし彼女に手を上げるなら俺はお前達を殺す。同族だろうが何だろうが殺す。完膚なきまでに徹底的に殺す」
力の限り握り締められた指がシャンタルの首から離れると彼女は倒れ、呼吸を荒くしレドを射るように睨みつけた。
その瞳を見たレドは、己の我儘のせいで主人を傷つけることになると、深く気を落としたのであった。
それからと彼らは関わることもなく、会話をすることもなく、ただそこにある存在として互いを気にするだけ。
リズエッタに頼まれたと言うのにレドは彼女達に何かを教えるそぶりもなく、シャンタルとパメラの二人は庭を隅々まで練り歩く。この先にどこに続いているのか、何処へ出れる道ではないのかと。
結果的にいってしまえば二人は庭から出ることすらできず、立派に育った桃の木の下でため息をついた。
「これからどうしましょうか?」
最初に投げかけたのはパメラだ。
その声には何処か諦めも含んでおり、彼女自身はこのままレドに従った方がいいのではと思い始めていた。しかしながらシャンタルに至ってはレドに従う気などさらさらなく悪態を吐くばかりで一向に話は進まない。時間ばかりが過ぎていく最中、その状況を変える事が出来たのは誰でもないリズエッタ、ただ一人である。
「レドやーい! レドレドレドー!」
幼い声は庭中に響きわたり、そしてその声には反応して駆け抜ける一匹の犬。尻尾をピンと伸ばして左右に振る姿はまさしく犬であり、その姿を見たシャンタルは小さく舌打ちをした。
ヨシヨシと背伸びをしてレドの頭を撫でるリズエッタの姿は何故が以前見た小生意気な娘とは違うように思え、パメラは嫌がるシャンタルを引きずりながらも少しずつリズエッタに近づいていく。
近づけば近づくだけ鼓動は早くなり、緊張に汗がにじむ。
もしも首輪を爆発されたらどうしよう、レドから嬲られたらどうしよう。
頭に思い浮かぶのは惨憺なる悪意。
人へ対しての恐怖。同族であるレドへ対しての恐怖。
彼女達が思い描くのはいつだって最悪の結果だ。
「ーーーーん? あれま、何とまぁ美人さんになった事」
それなのにリズエッタがパメラの姿を見て最初に口に出した言葉は蔑みでも蔑視でもなく、どうでも良さそうな顔で、声で、ただ彼女の見かけだけを示す単純な言葉。
「ってか半裸、何故半裸? え、レド、何してんの変態なの、馬鹿なの? 洋服くらい用意してあげなよ。風邪ひいちゃうよ」
「……いや、お嬢。こいつらは――」
「言い訳はいいから、レドが男の子だってわかったから。でもね、無理強いは良くないよ、互いの同意があってこそなんだよ」
分かった? とリズエッタに頭を叩かれ、レドは左右に瞳を動かす。本来だったら彼女らが危険な思考を持っていることを知らせなければならない。それなのにそれが出来ない、聞いてはくれない。
何度も何度もお嬢と呼び彼女の気をひこうとするもリズエッタは寝泊まりしていた小屋に入り、そしてシーツを二枚、レドに手渡した。
「ほら、彼女らにあげて来なさい」
にっこり笑いかけながらそんな事を言われてしまえばレドは従うことしかできず、そして数日ぶりに三人は対面を果たしたのである。
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