41-1 嫌悪


 



 人という生き物は自分にとってどうでもいいことは忘れてしまう性質を持っている。

 其れは私にも当てはまる事で、この一ヶ月あまりで忘れてはならない物事も記憶の隅に追いやっていた。

 私が其れを思い出したのはエスターに戻った時であり、気付いた時には既に遅く、がっつりと奴の腕にホールドされてしまったのである。


「リズエッタ! 嗚呼、君にずっと会いたかった! もう離しやしない!」


「くそっ、このロリコン野郎離しやがれ!」


 そいつは私の自称婚約者を名乗り、エスターやダンジョン、ヒエムスにまでわたしをさがす依頼書を出した馬鹿、ラルス。

 スヴェンとガール達以外の村人はこの光景を笑って見過ごし、一部に至っては良かったなラルスと涙ぐんで祝福しているように見えた。


 必死にその腕から逃げ出そうとジタバタ暴れるも男と女では力の差がありすぎるのか解くことは出来ず、苦痛の表情を浮かべる私を救い出してくれたのはラルスよりもよりガタイのいいクヌートだ。


「嬢ちゃんが嫌がってんだろ」


 ラルスの頭を引っ叩き、チカラが緩んだところで私の体を持ち上げスヴェンに渡してその間にクヌートを含めた三人は立ちはだかる。エスターに着いた時点で護衛の任務は果たしているのだが、ギルドに行き代金を支払うその瞬間まで依頼を守ってくれるとは有難い限りだ。


 そこを退けと怒鳴るラルスに向かって退くわけがないと瞬時に返し睨みつけ、此方側を見ずに私を一度家に戻してきたらいい、その後の支払いでも一向に構わないとまたもや有難い言葉をくれたので其れに従いスヴェンは私を担いだまま馬にまたがった。

 待ってくれと叫ぶラルスなんて知らぬ存ぜぬと無表情を貫き通し、スヴェンの腕の中で私は悪態をついたのである。


「ーーあいつ、絶対諦める気ねぇぞ、どうすんだ」


「ーーーー近々家出しようかな、本気で」


 懸念していた事柄は案外簡単に解決しそうだし、数年ばっかし、行き遅れになる程度此処を離れた方が私の身は安全だろう。

 問題といえばどうやって祖父を説得するか、だ。


 馬に揺られたどり着いた懐かしき我が家は変わることなく、以前と同じ姿形を保っていた。只今と声をかけてドアを開けると見知った人物がおかえりと私を抱きしめる。

 その暖かさにうっかり涙ぐみそうになるもの、手を回した背中に何処か違和感を感じる。はて、どうした事だと視線を上にあげればそこにあった顔は誰でもない祖父の顔であったが、少しやつれて一月前には見えなかった隈が見てとれた。

 その顔色にハッとし祖父の身体を弄ると何故かムキムキマッチョだった筋肉が落ちているのがわかったのである。


「何があったのおじいちゃん!?」


 乾笑いをする祖父が言うに、私が此処を出てから五日後からラルスの猛攻撃が始まったらしい。攻撃といってもほぼ毎日家に訪問し、庭に行く事を邪魔し、挙げ句の果てには家の前に野宿をするなどの迷惑行為を繰り返していたようだ。そのしつこさに祖父は徐々に精神を病み、筋骨隆々な体は年相応に衰えてしまったのである。


 全くもって迷惑な奴だ。


「リズエッタの帰りがあと一日でも遅かったら、ワシはもう……」


「あのクソロリコン野郎! もう二度と顔なんて見たくない!」


 私だけではなく祖父にまで迷惑をかける人間と話すことなどはありゃしない。

 床に足を何度も何度も叩きつけ苛々する気持ちを発散させ、そして悪態も何度もついた。

 そこまでしてもなお、私の気持ちはおさまらない。


「なんで、私なんだよ! 可愛い子いっぱいいるじゃねぇかよ! なんでボインの姉ちゃんに私が睨まれなきゃなんないの!」


 私がこんなに嫌っているラルスは見てくれだけはいい。それに加えて小さいといえギルド長の孫であり、将来はラルスがギルド長になる。冒険者としてもそこそこ名前が売れているようで、女性の冒険者にも大人気物件だそうだ。私にはどうでもいい奴でも、好いてる女性からしたら私の方が邪魔者なのだ。

 故にエスターの村人以外の女性には厳しい視線を向けられたのだ、精神的によろしくはない。


「嗚呼もう、あいつがいる限り私の幸せは逃げていく! やっぱりあれだ、引っ越そう! ハウシュタットに引っ越そう!」


 いいでしょ、いいよねと祖父を揺すり私の貞操を守ってと祖父に苦痛の叫びを向ければ、老いた目元をきりりとさせ儂がリズエッタを守ると大声で叫んだ。その声に続き祖父の幸せは私が守ると祖父を抱き締め、この時私は家を出る事を胸に誓ったのだ。

 そんな私達を見ていたスヴェンは大きくため息をつき、また面倒ごとが起きそうだと呆れ顔を向けていた。


「まぁ、家を出るのを俺はもう止めやしねぇけど、この家を野晒しにするわけにはいかねぇだろう。 それにこっからグルムンドとダンジョンに行った方が近い。 俺としちゃ此処を拠点にしてた方がいいんだけどな」


「お前はリズエッタにあのクソガキに嫁げと言うのか!」


「私にさらなる苦痛を与えるのか、この鬼畜!」


 ギロリと二人でスヴェンを睨みつけるとそうじゃないと否定し、私だけが家を出ればいいのではないかと案を出した。

 スヴェンが言うに私がハウシュタットで家を借りるか買うかすればそこからこの家に行き来でき、祖父と離れ離れになる心配もない。下手に家族揃って家を出てラルスについてこられた方が迷惑ではないのかと言うことだ。


「それに護衛を頼んだ三人も此処からほど遠くないところに住む予定でいるらしいし、ころころと内容変えられないだろう? 嫌だろうが暫くの間はラルスをかわして、基盤が整ったらもう一度ハウシュタットに行きゃあいい。 な、分かるだろ」


「ーーでも、あいつはそれで付いてこれないって証拠でもあんの?」


「んなもんねぇよ。 ただ、お前を追ってけばもうエスターには帰ってこれないだろうな、何せギルド長であるエーリヒを切り捨てたようなもんだ。 流石の村人もいい顔しねぇだろう」


 ギルド長の孫でありながらラルスは冒険者である。

 冒険者となれば他の村へ移り住むのも致し方ない事なのだが、ラルスの場合は後継者として甘やかされて育った部分もあり、それを投げ捨てて私を追って行くことは流石にエーリヒも良しとしないだろう。

 結果、ラルスが選ばなければならないのは可能性の少ない私との婚姻か、決定されているギルド長、村長の席か。

 私がラルスの立場だったら確実な方を選ぶ。わざわざ良い立場を捨てるなんて勿体無い。


「ーーーー嫌だけど、嫌だけど! 少し頑張る」


 嫌々だが、当分は家にいなくてはならなそうだ。

 今回領主から買い付けた彼女達がきちんと働けるようになるまで、ある程度の生産を見込めるまで。そしてそれが完了したら、私は家を出る事にしよう。

 しかし家を出ると言っても庭は扉一枚で繋げられるし、困ることなんてなくなる。

 ラルスからすれば私は遠くに行ってしまうが、私はそれこそ毎日でも家に帰ってこれるのだ。問題なんてない。


「じゃあアレだね、私は一度レドのところに行ってくるか」


「嗚呼、行きたくないだろうが、行ってこい」


 祖父から渋々離れた私の肩をスヴェンは叩き、私はのそのそと庭へと向かう。

 家の扉を使えばすぐ行けると思うが、私はまだ少し庭に行きたくないのだ。


 ハウシュタットから家までの二週間あまり、私が庭に行ったのはあの一度きり。全てはレド任せにしてきたのである。


 それなのにただいま、なんて顔を出すことか怖くもあるのだ。


 またあんな目で睨まれちゃ、私だって嫌な態度を取ってしまうのだから。



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