第152話 悪役令嬢の正体




 突如、亜夢先輩の口調が変わる。


 おっとりした高めの声から、低めの凛々しい声。


 ――まるで男みたいだ。


 しかもどこかで聞いたことがあるような……。



「あ、あんた……亜夢先輩じゃないな? 誰だ!?」


「どうやら、キミは知りすぎたようだ。決して『悪』ではないが、危険なのには変わりない……不本意だが、やはり『粛清』が必要と判断する」


「粛清? 何を言っているんだ!? どうして、亜夢先輩になりすましている!?」


 俺がいくら問うも、そいつは何も答えようとしない。

 ヒールの高めの靴を脱ぎ、アスファルトの上を素足のまま俺との距離を置く。

 半身姿勢で構え、身体全身を軽やかに揺さぶるような独特のフットワークを見せている。


 なんだ? 見たことのある動きだ……。


 途端、


「ホォアァァァァァァッ!」


 奇声のような雄叫びを上げ、ステップと同時にサイドキックを放ってきた。


 スピードはあるとはいえ、いきなりそんな蹴りが然う然うあたるわけがない。

 特に俺のように動体視力を鍛えた奴に対して。



 だが――ピキッ!



 躱そうと上体を逸らした俺の背中に軋むような痛みが走る。

 まだ天馬先輩との戦いで受けたダメージが残っていたようだ。


「ぐぅ!」


 痛みを堪え、なんとか回避する。


 しかし、いっきに距離を詰められ、顔面に肘打ちと脇腹にボディブローを食らう。

 まるで畳み掛けるような連続攻撃。


「うぐっ! クソッ!」


 俺は痛みに耐え、後方に下がり自分の戦闘ポジションを整えようとするも、そいつは休むことなく尚も追撃してくる。


 拳打の連撃はなんとか躱したり防御するも、そこに意識を持ってかれていると、不意に太腿の裏側に鈍い痛みが襲う。


 ローキックを食らったようだ。


「ぐわっ!」


 俺は膝から崩れ落ちる。


「アァァァッ!」



 ――ガッ!



 雄叫びと共に、そいつから放たれた膝蹴りが俺の顔面に直撃した。


 俺は意識が飛び、その場に倒れてしまう。


「う……う、うう……なんなんだ、こいつ?」


「前ほど動きに切れがない……まるで手負いの狼のようだ。どうでもいいがな」


「お前は、やっぱりあの時の……」


「それ以上、知る必要はない。悪いが、しばらくリタイヤしてもらうよ」


 そいつは冷たく言いながら、俺の胸ぐらを掴み拳を上に掲げる。


 俺はダメージと疲労により、完全にガス欠状態だ。

 とても抵抗が出来る状態じゃない。


 このままボコられて終わるのかと思った。



 その時――



「おい! 何やってんだぁ!?」


 一人の男がこっちに走って向かって来る。

 黒色のサウナスーツを着込んだ男。


 まさか、この声は……?


「――リョウ!?」


 俺が名前を呼ぶと、リョウは拳を掲げ、そいつに向けて殴り掛かった。


「オラァ!」


「クソッ、火野 良毅か!?」


 そいつは俺から手を放し、機敏な動きで離れて攻撃を回避する。


 リョウは倒れる俺の前に立ち、そいつを牽制した。


「リョウ、やっぱりリョウなのか!?」


 薄っすらと照らす街灯が、親友の顔を浮かびあがらせていた。


「……サキ、まさかお前が襲われていたとはな? 丁度この辺を走ってて良かったぜ」


 ロードワーク中だったのか、プロテスト前の調整だろう。

 そういや期末テストも終わったから、今月に受けるんだっけな。


「どけ、火野! キミには関係ない!」


「んだぁ、テメェ! 俺のこと知ってんのか!? つーか、んな格好しやがって、オカマか!? どっちにしろ、マブダチがボコられて黙って見ているわけねーだろうがぁ!?」


「……ボクサーのお前じゃ僕に勝てない。死ぬぞ」


「やってみろよ。どっちが死ぬか、はっきりするぜ!」


 リョウが挑発すると、そいつは半身姿勢になり軽いフットワークを見せてくる。


「ほう……カンフー。いや、ジークンドー使いか? 面白れぇ」


 リョウは不敵に言いなら、デトロイト・スタイルで構える。


 それは左腕をさげた構え方であり、右拳の後ろ側を顎の前に持っていく形のスタイルだ。

 技巧派ボクサーが得意としており、ヒットマン・スタイルとも言われている。

 左腕を下げることで、下から打ち上げる『フリッカージャブ』が強く打てるのも特徴だ。


 だけど、リョウの奴……。


 今、ジークンドーだって言ったのか?


 だとしたら、あいつの正体は……!?


「身の程を知れぇっ! ホアァァァァァッ!」


 そいつはリョウに突進していく。


 顔面に向けて手刀を繰り出し目潰しを仕掛けてきた。



 刹那、



「ブーッ!」


 リョウは口から何かの液体のようなモノを吐いた。


「なっ!?」


 そいつの手刀が止まり、動揺して顔を背ける。


 目潰しに対しての目潰しカウンターだ。


「チャンス!」


 途端、リョウはそいつの頭部を鷲掴みして、鳩尾みぞおちに膝蹴りを食らわせた。


「ぐぇ!?」


「オラァ! 死ぬのはテメェだぁ、コラァ!」


 リョウはそのまま拳を振り下ろし、そいつを顔と頭を殴りつけては膝蹴りの攻撃を繰り返している。

 とてもプロを目指すボクサーの戦い方じゃない。


「言っとくがなぁ! 俺がボクサーなのはリングの上だけだ! それ以外は何でもありの喧嘩上等だぜぇ!」


 自慢げに叫んでいる親友。

 なるほど、あれがリョウの本来の戦い方なのか……初めて見た。


 それだもん……遊井や王田が一目置くのも頷ける。

 内島なんて、もろトラウマを植え付けられているからな。


「トドメだぁ、コラァ!」


 リョウは両手で髪を掴み、ヘッドバットで攻撃する。


「クソッ!」


 咄嗟に、そいつは上体を逸らして難を逃れる。


 が――


 リョウが両手で掴む、それはカツラだった。


 まるでトカゲの尻尾切りのように攻撃を受ける寸前で回避できたようだ。


 しかし、それは大した問題ではない。


「なっ……!?」


「お前……確か!?」


 俺とリョウは、その姿を見て驚愕する。


「壱角 勇魁……さん?」


 そう、亜夢先輩の双子の兄である勇魁さんだ。


 まさか、これまでの悪役令嬢と呼ばれていた、彼女の奇行は全て――



 この勇魁さんが成り代わっていたってことか!?



「くっ! クソォッ――!」


 正体がバレた勇魁さんは舌打ちして逃げて行った。


 あまりの衝撃にリョウは後を追うことなく立ち竦み、俺は開いた口が塞がらない。



 しばらく沈黙が流れた。



「そういやサキ、大丈夫か?」


「うん……まぁ、助けてくれてサンキュ」


 俺はリョウから差し出された手を握り立ち上がった。


 まだ頭がくらくらする、背中や太腿も痛ぇ……本当に危なかったと思う。

 自分のコンディションの悪さもあるが、これで二度も負けてしまったのか。


 あの勇魁さんに……。


 やっぱり、あれはジークンドーか……平気で急所攻撃仕掛けてくるからな。


 かなりヤバイぞ。


 けど、さっきの俺に対しては、その素振りがなかった。

 だから、この程度ですんでいるのかもしれない。


 何故だ?


「ところで、リョウ。さっき口から何を吹き出したんだ?」


「ん? プロティンゼリーだ。構えたフリして口に含んだんだぜ。あんな女装した奴にフェアで戦う理由もねぇだろ?」


 そりゃそうだ。この辺がズルさってやつだろうか。


「でも大事な時期なのに……巻き込ませてしまって、ごめん」


「いいってことよ。逆にプロテスト前で良かったぜ……その後だと面倒でしょうがねぇからな」


 リョウの言葉で、俺は救われる。


 迂闊だった。


 最初から違和感はあったものの、あれがあの時の亜夢先輩だと考えれば、もう少し慎重に事を構えるべきだった。


 こうなる事は予想できた筈……。


 いや、わざわざ俺の家に来たってことは、初めから『粛清』っと称して危害を加えるつもりだったのかもしれない。


 狙われる理由は、きっと天馬先輩と同様――ミカナ先輩のことか?


「どっちにせよ遅かれ早かれか……」


「サキ、お前これからどうする?」


「え? わからない……家に帰って考えるよ」


「その傷だらけの身体でか?」


 リョウに指摘され、俺は自分の身形を確認する。

 確かに傷だらけだ。

 顔も肘打ちくらって腫れてるし、何より疲労感が半端ない。


「そのまま帰ったら、愛紗ちゃん達に心配されるだろ? 俺の家に来いよ、手当くらいしてやるからよ。明日と明後日、学校休みだし今日だけでも泊まって行くか?」


「ありがとう……そうしようかな」


「けど、あれだぞ。俺の姉貴もいるからな」


「……そ、そう」


 鞠莉まりりさんか……。


 俺、あの人苦手なんだよな。


 下手したら、さっきの勇魁さんよりおっかないかもしれない。






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