第3話

「制服泥棒……」


 目の前の光景が引き金となって、ついさっき葉吹と屋久先生がしていた先程の会話が脳内に呼び起された。


「ってことは、お前がそのっ……!!」

「ご、ごご、ごごご、ごめんなさいぃぃいいいいい!!!」


 俺が動き出すよりも早く、勢いよく制服の山を上空にぶちまけ、まるで獲物に見つかった小動物みたいな勢いで駆けだした不審者は、ロッカーの上に上ってそのまま更衣室の窓に手をかける。


「お、おい! くそっ、待ちやがれ!」


 小さい出口から脱出を試みるヤツを止めるべく、俺はその足へと近づき手を伸ばす。

 窓から逃げられてしまうと、プール棟裏に広がる木の茂みに隠れられてしまう。そうなると見つけ出すのが厄介になる。それだけは避けなければならない。

 が、現在進行形緊急事態であるこの俺の目にそいつは悠然と飛び込んでくる。

 上空に放たれた制服の山。

 その中に紛れた一枚の小さな布が、ひらひらと、空中を舞っている。

 まるで天使が地上に降り立つときに広げる眩き翼のように、その光景は今現在、地上のどんな風景よりも冒しがたいものであった。

 流れる時間に反して、そのパンツの周りの時間だけがまるで止まっているかのようにゆっくりになるのを感じる。

 文字通り、目と鼻の先にある蒼井のパンツ。

 それを不意に片手に掴んでしまったのは、無意識だったにせよ間違いだった。

 この世のものとは思えない柔らかな布地の感触。

 見るからに普通のパンツなのであるはずのそれが、今に至っては最高級絹糸にも勝る肌触りを実現しているように錯覚してしまう。

 それは一重に、パンツというものの本質。

「女子高生の」という最高の付加価値によって生み出されるイデアへの入り口。

 脳が残らずこの感触の快感に酔いしれることを良しとしてしまうような、堕落への片道切符。

 今、この場において、俺が生きている理由が、このパンツに触れているためなのだとしても、何ら不思議を感じることは――、


「あるに決まってんだろうがァダらしゃいっ!!!」


 と、すんでのところで何とか意識を取り戻す。

 危ない。理性が溶けかけていた。このままでは人非ざるものに化けていてもおかしくなかったかもしれない。全く、末恐ろしいモンである。おのれパンツ。

 そして今、俺が半分気を失っていたせいで、例の泥棒野郎はどこかに消えてしまっている。ほんの一瞬であったから、まだすぐ近くにはいるはずだ。

 二次被害を防ぐため制服のポケットにパンツを隠し、ヤツの行方を追いかけるべく窓から外へと抜け出す。すぐ前はもう木々がうっそうとしていて、一体どこに向かって逃げて行ったのかを目で判断することは難しい。

 取り合えず、窓を超えた先をまっすぐに追いかけよう。

 目標を据え、外に足を踏み出そうとした、そのときであった。


「はーい、ちょっとそこでおとなしくなってくれよ」


 上空から声が聞こえたと思った瞬間、


「よっと」

「な、お前どこからっ……!!」


 頭上より首元に向かって圧がかけられる。

 まさかこいつ、窓の上に飛び出た小さな屋根の上にでもいたってのか。


「そう暴れんなって。別にとって食う訳じゃあるまいに」


 重力に逆らうことはできず、落ちたその先で地面に組み伏せられた俺は力一杯もがいてみるが、身動き一つろくにとれず、それどころか、確実に関節技をきめられる姿勢を作り上げられて言ってる始末である。


「くそっ、お前、さっきの制服泥棒の仲間だな!!」

「あん? そりゃお前のことだろ。ほら、さっさと堪忍するんだな」

「何を訳分かんねえことを言ってやがる! 放せよこのっ!」

「あー、頼むからおとなしくしてくれ。これ以上暴れるようだと、お前の関節という関節が抜けて、見るも絶えない軟体人間ができあがるぞ」

「怖っ! ……じゃなくて、くそっ、動かねえっ!」


 せめて顔だけでも見てやろうと顔を振り回すが、当然首が180度回るはずもなく、男にしてはやけに甲高い声を耳にすることしかできなかった。


「チッ、あんまり痛みつけるような真似はしたくなかったんだが……、仕方ない」


 上に乗っかてるヤツはそう意を決したように言うと、俺の両腕を背中で交差するように引き付ける。

 関節技がきめられてしまうことを悟り、これからくるであろう痛みに備えて身体が固くなるなかで、泥棒仲間はその腕を限界まで自分に引き寄せながら、俺の耳元でこう呟いた。


「またあとでな。おやすみ」


 途端、身体が不思議な浮遊感に襲われたのを感じた。

 何もかもが遠くなっていく感覚。

 世界から意識が乖離し、視界が瞬く間に暗転する。

 ちきしょう、すぐ近くに仲間がいたなんてのは大きな誤算だった。

 まあ蒼井の高潔なるパンツは守りぬくことができたのだ。あとは奴らが俺の右ポケットを物色しないことを祈るばかりである。

 守ったものの大きさを確認するべく、右ポケットの上から手で押さえながら、俺の五感は完全に闇へと沈んでいくのだった。

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