第214話:温泉とおもてなしと騒動と 15

 さすがの騎士団長もこれ以上の模擬戦は難しいと判断したのか、満足そうに大声で笑っていた。

 副団長が言うには単なる打ち身らしいのだが、壁に叩きつけられたのに打ち身だけで済んだのかと疑問しか浮かんでこない。

 ……まあ、当の本人が立ち上がって大笑いしているので、本当に打ち身だけなんだろう。


「騎士団長って、頑丈過ぎないか?」

「だから騎士団長なんじゃないの?」

「……やっぱりユリアも脳筋になっちまったかぁ」

「ちょっと、桃李! それってどういう意味よ!」


 憤慨した様子で怒鳴り声をあげたユリアだが……えっと、言葉通りの意味なんだけど?


「少年よ! 模擬戦はまた今度だぞ!」

「あはは。……その今度が来るとは思えな――」

「俺も陛下の護衛としてそっちに行くことになっている! あちらで模擬戦が楽しみだなあ!」

「……はい?」


 えっ? マジで騎士団長が同行するのか?

 俺は思わず副団長に視線を向けると、彼は肩を竦めながら小さく頷いた。


「……マジなのかぁ」

「やった! それじゃあ温泉街でも騎士団長と模擬戦ができるんですね!」

「うむ! 訓練は続けなければならんからな! そうだろう、ユリア! アラタ!」

「はい!」

「確かに、鍛錬は一日でも休むと取り戻すまで時間が掛かるからな」


 ユリアはともかく、まさか新まで同意を示してしまうとは。

 ……よし、模擬戦の相手は二人に任せよう。俺はできるだけ関わらないようにしないとな。


「……ふ、副団長も来るんですよね?」


 騎士団長のお目付け役になっている副団長も来るんだろうと思い声を掛けたのだが、まさかの答えが返って来た。


「いいえ。私はヴィグル様の代わりにアングリッサの守りを指揮しなければなりませんので、残念ですがこちらに残ります」

「……えっ? マジですか?」

「はい。なので、ヴィグル様のことはお任せしますよ、マヒロ殿」

「がははははっ! そういうことだ、少年よ! よろしく頼むぞ!」


 ……無理なんだけど! この人の相手とか、マジで無理だからな!

 これは本気で逃げ回らないと、そのうち俺が模擬戦をすることになりかねないぞ!


「……ぜ、善処します」

「それは楽しみだ! がははははっ!」


 その後、話を聞くと騎士団長とは別に数人の騎士が護衛として同行するらしい。

 彼らも俺たちのことを知っているので陛下と行動することに疑問を抱いていないが、どうやってグランザウォールまで向かうのかまでは聞かされていないようで、やや困惑しているようだった。


「大丈夫。その時が来たらわかりますよ」


 困惑している彼らを見ると、俺の荒れた心が徐々にではあるが落ち着いていった。

 いやー、彼らには申し訳ないんだけど、こうでもしないと騎士団長の衝撃を払しょくすることができなかったんだよ。

 さすがに森谷の存在を伝えることはしなかったが、彼らの困惑はさらに深まったようだった。


「いつ頃出発するのかわかりますか?」

「本来であればすぐにでもという感じでしたが、何やら向かう人選に変更があったとかで、少しばかり時間が押しているようですね」


 副団長が首を傾げながら教えてくれたが……うん、それは俺たちのせいですね。

 今頃は料理人の選定に陛下自らが関わっている可能性もある。

 そこまで根を詰めて考えなくてもよかったんだが……まあ、あのクッキーを食べたあとだと、どうしても最高の人選をしたいと思っちゃうかな。


「ですが、そろそろではないですかね?」

「だといいんですけどね。……騎士団長が回復すると、まーた絡まれる可能性があるので」

「何か言ったか、少年よ!」

「な、何も言ってませんよ! あっちに行っていてください!」


 結構な距離があるのに、まさか聞こえるとは! この人、地獄耳だな!

 そうこうしていると、わざわざディートリヒ様が訓練場まで足を運んでくれ、人選が終了したことを伝えてくれた。


「では参るとするか! がははははっ!」

「お疲れ様です、マヒロ様」

「あはは……本当に、疲れましたよ」


 唯一労ってくれたディートリヒ様の言葉を受けて、俺は盛大なため息をついてしまった。


「そうだ、マヒロ様。お伝えしておきたいことがございます」

「なんですか、改まって?」


 にこやかな中にやや棘がある言い方だったこともあり、俺は気になって問い返す。


「……今回の同行者の中に、マグワイヤ家の当主もおられます。マヒロ様が望まれると思い、先に動いておきました」

「……やっべ、忘れてた。助かりました、ディートリヒ様」


 レレイナさんのために動いていたのに、申し訳がない。


「いえいえ。ですが、もしもお礼がしたいということであれば、あちらでのおもてなしを良いものにしていただけるとありがたいですね」

「そうさせていただきます」


 俺たちは微笑み合いながら、訓練場をあとにしたのだった。

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