36、面と向かってだと恥ずかしいから


 『美女と野獣』は(いつの間にか)閉幕していた。


 舞台袖へと歩いていくと、上手へと去っていく春姫とは反対方向に、下手に戻った俺は二人の名前を呼んだ。


「福男、猪苗代」


 俺から背を向けていた、二人がビクッと肩を震わせて振り返った。


「な、なんですかな。テツ殿」


「……やっぱり」


「む?」


「メイク、取れてるぞ」


 福男の額から流れる汗が、白い粉をはがしている。血色の良い顔が、その流れる汗の隙間すきまから見えている。


「俺が舞台に上がるように、引っ掛けたな」


「ぎく……」


「……バレてるでござる」


「福男の途中降板は……演技か」


 俺の言葉に二人は観念したように、肩をすくめた。


「ご名答でござる」


「はー、全部バレちゃったよ。まーうまく言ったから良いけど」


「どうして、こんなことを」


「春っちに頼まれたからだよ」


「……まぁ、そうだろうな」


「イエス、ボス」


 猪苗代はうなずいた。


「佐良に言いたいことがあるから、協力してって」


「テツ殿は主役をやるような人柄ではないから、拙者たちが一肌脱いだということでござる」


「そのためにわざわざ、こんなことを……」


「そうそう。みんな巻き込んだのは私だけどね」


 えっへん、と偉そうに腕を組んで、猪苗代は言った。


「マリー殿のコミュ力はすごかったでござる。ヤンキーつえーでござる」


「春っちのためだもんね。もー、海の時からどうにもおかしいと思ってたんだ。つーか、わたしヤンキーじゃねーし」


 猪苗代は福男の脚を思い切り踏んだ。


「で? 結果は?」


「……これからだよ」


「えー、何してんのよー。早く返事してきなよー」


 期待を込めた目で、猪苗代はぴょんぴょんと跳ねた。

 春姫は教室で待っている。俺も早く行きたかった。けれど何かが心の中で引っかかっていた。

 

「分かんねぇな」


「どうしたの?」


「……どうして、こんな回りくどいことを……」


 に落ちない。

 わざわざ、こんなことをせずに、気持ちを伝えるきっかけならたくさんあった。


 いつだって話せるチャンスはあったはずなのに。


「……え? 何、そんなことで悩んでるの?」


 俺の言葉を聞いた猪苗代は、呆れたように大げさにため息をついた。


「そんなの恥ずかしいからに決まってんじゃん」

 

「……恥ずかしい? いや、みんなの前で告白する方がよっぽど……」


「もー、人の気持ちが分からない奴だなぁ。て言うか、佐良もどっちかって言うとそういう性格でしょ」


「どう言うことだよ」


「あのさ」


 猪苗代は俺にずいっと近づいて言った。


「好きな人に、好きって言うの、それだけで勇気がいるに決まってるじゃん」



 ……あ。



 その言葉で、ようやく自分の犯した勘違いに気が付いた。


「そうか、気持ちの整理ってそう言う……」


 ずっと、俺は真逆だと思っていた。

 10年にも続いたセックスごっこと言う関係を、終わらせたいのかと思っていた。辞めたいのかと思っていた。


 違う。

 そうじゃなかったのか。


「春姫は、じゃあ……本当に俺のことを……」


「良くにぶいって言われない?」


「お前に言われたかねぇよ」


「えー」


「でも……そうだな。助かった。俺はどうしようも無いバカだった」


「あたし、そこまで言ってないけど……」


「……福男、俺のことを思い切り殴ってくれ」


「良いでござるか?」


「思いっきり頼む。目を覚ましたい」


 福男は分かったとうなずくと、鍛え上げられた右腕を思い切り振り上げた。


「……リア充はぜるでござる!」


「んぐっ!」


 ボディブローが右わき腹に直撃する。メキって音がした。はちゃめちゃに痛い。


「しゃ、シャレにならんぞ……これは」


「……す、すまぬ、つい本音が……」


「あーあ」


「あ、歩けるでござるか?」


「だ、だいじょうぶ、いく、がんばる」


 福男と猪苗代に礼を言って、体育館を出る。

 春姫は教室で待っている。俺も俺の気持ちを伝えよう。舞台の幕は降りたんだから、今度は俺から、ちゃんと自分の言葉を春姫に言うんだ。

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