第115話 座標について
当然ですが人はそれぞれ違う!? どうも水谷一志です!
今日は「座標」について「球体」に即して語っていきたいと思います。
それで、この「クラインの壷」をよーく読んでくださっているみなさんなら、こんな疑問をお持ちになるかもしれません。
「人が多面体なら、『人それぞれ違う』と言うのはすんなり分かる。でも『球体』の場合、それは画一的にならないだろうか?それでも『人それぞれ』と言えるだろうか?」
…結論から言うと、もちろん「人それぞれ」です!
ここで「座標」概念の登場です。
つまり球体であろうが多面体であろうが、同じ形であろうがその球体の存在する座標が違えばセンスも違う。何もかも違うので個性は保たれると言うわけです。
(座標についてはご存知ですかね?ご存知でない方は申し訳ないですが調べてみてください)
あとこれは僕個人の話になりますが、ソリューションの「球体」としての考え方は僕全体の哲学的な考え方になります。前に語った「マーシャル」なんかその典型ですね。それで座標は個人的なセンスになります。例えば、「人間中心主義」…僕はもちろん事物を否定しませんし「球体」概念上事物は否定できないものですが、個人的に人間の感情なんかの方が「事物」より好きです。またやたらフェミニストなところ。ちょっとダークで人生は虚しいと感じているところ。それらは僕「個人」のセンス、「座標」になります。
そしてこの「球体」のソリューションと「座標」のセンス、一見矛盾するようですが「ω矛盾はしない」と言ったところでしょうか。
次回はメタ哲学について、ソリューションと照らし合わせて語っていきたいと思います。
ではまた!
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