3.


 部活も終わり、拓馬と一緒に自転車をこぐ。家までは三十分ほどの道のりだ。


「それで野々花、今日も来なかったんだよね。私、今日は家まで行って野々花と話をするつもり」


 これまで野々花と紘道先輩のことは、拓馬に話さずにいた。いつも話はサッカーの試合のことで持ちきりだっし、話しても野々花の恋は進展するわけではない。


 この日、拓馬に話したのは、光と拓馬の縁を取り持ったのは野々花であることを思い出し、拓馬にとっても大事な幼馴染だと思ったからだ。


「……その先輩」


 それまで黙って聞いていた拓馬が、いつものようにゆっくりした口調で言う。


「本当に野々花にふさわしいのか?」


「え?」


 何かの冗談かと思って拓馬を見るが、いたって真面目な顔をしていた。


「だって、そうだろ。何か月も店に通っていたのに話しかけずにいたし、名前だって連絡先だって、さっさと教えればすむことだ」


「それは、接点がないから遠慮していたんじゃ」


「同じ学校でそこまで遠慮するか? それにレイアさんにはさっさと教えたんだろ?」


「……まあ、うん」


「もしかすると、野々花をからかって遊んでいるのかもしれない」


 拓馬はムスッとして言った。


 光はまさかと思った。だって、紘道先輩はカツサンドの彼と言われてまで、カツサンドを買い続けて、やっと野々花から話しかけてきたから、ほんの少し近づいたのだ。


 でも、それも全て野々花をただからかうだけだとしたら? まさかとは思うけれど、レイアに近づくために野々花を利用したのだったら?


 光の胸はざわざわする。


「まさか。ないない!」


 光はわざと明るく言う。自転車を立ち漕ぎして、スピードを速めた。





 野々花のバイトが終わって帰ってくるだろう、夜の八時ごろ。


 光は家から歩いて一分の野々花の家に行く。野々花の家のチャイムを鳴らすと、バタバタと音がして玄関ドアが開かれた。


「光ちゃん、久しぶり」


「久しぶり」


 出てきたのは中学生の野々花の妹だ。野々花は六人兄弟で、上には一人兄がいるだけ。弟と妹たちの面倒をよく見ているのが、野々花と三番目の湖乃葉だ。


「野々花姉ならまだバイトから帰ってないよ。待つ?」


 湖乃葉は中を指さすが、中からドタバタと下の子たちがはしゃぐ声が聞こえてきた。そんな状態では、落ち着いて話すことなど出来ないだろう。


「ううん。外で待っている」


「そっか。そろそろ帰ってくるはずだよ」


 光は玄関の横で、パーカーのポケットに手を入れて待つ。


「……光ちゃん?」「野々花」


 野々花は五分としないで現れた。まだセーラー服で、通学用の黒いリュックを背負っている。


「どうしたの?」


「うん。話をしようと思って」


 光は壁に持たれていた背を浮かせた。


「……レイアちゃんのことだよね。ごめんね」


 少し逡巡するが、野々花はすぐに謝ってきた。だけど、それに光はムッとする。


「なんで、野々花が謝るの。今回悪いのは、レイアじゃない」


 光は言い切った。野々花が好意を持っている紘道先輩の連絡先を先に聞くなんて、レイアは少し行き過ぎた。謝らないといけないのはレイアだと光は思う。


「……そんなことないよ。レイアちゃんは悪くない。私ね。レイアちゃんが紘道先輩と話したって聞いたとき、ダメだって思ったの」


「何がダメなの?」


「うん。私なんかじゃダメだって」


「は?」


 何の冗談かと思ったけれど、野々花はいたって真面目な顔で言う。


「いつまでも連絡先も聞けないし、バイトでもほとんど何を話していいか分からないし。でもレイアちゃんは、一度会っただけの先輩と簡単に連絡先を交換できた。だから、レイアちゃんに会うとまた自信が無くなっちゃいそうで。……私の相手なんかしていても、先輩は貴重な時間を無駄にしちゃうよ」


「じゃあ、どうするの?」


 光は野々花をじっと見つめ、きつい口調で言う。目が合うと、野々花は下を向いた。


「どうって……」


「いつまでも、こうやってうじうじしているつもり?」


「うじうじなんて」


「しているじゃない」


 光はだんだん腹が立って来ていた。光と拓馬をくっつけてくれたいつも笑顔の野々花はどこに行ったのだろう。


「野々花に暗い顔は似合わない。しゃんとしなさいよ」


「……そんなこと言ったって」


「紘道先輩に好きなら好きって言えばいいじゃない」


「そんなこといきなり言えるわけないよ」


「またうじうじするの? そんなんだから、からかわれるんだよ」


「からかわれる?」


 光は頭の片隅で言ってはいけないと分かっているのに、口が滑るのを止められなかった。


「紘道先輩って、元バスケ部でマネージャーが好きだったんだって。そのマネージャー、すごい美人だよ。明るくていい人。今の野々花とは全然違う。タイプが違うし、紘道先輩がパン屋に通っていたのって、本当にただカツサンドが好きだっただけなんじゃない?」


「全部、私の勘違いだったっていうの?」


 野々花は涙を浮かべていた。しかし、涙はこぼれない。懸命にこらえていた。


「勘違いも何も、自分じゃダメなんでしょ。野々花って、いつもひとり相撲って感じ」


 それがとどめの一言だった。野々花は光をキッと睨む。


「光ちゃんなんか嫌い!」


 野々花はそのまま踵を返して、家の中に入っていった。


「私だって!」


 バタンと音を立てて閉じる玄関に光は叫ぶ。そのまま、ふんと鼻をならして自分の家に帰った。

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