悩んでいる人が苦しみを吐露したとき。寄り添いつつも視野を広げられるような言葉をかけられると、気持ちが前向きになりますよね。それには親や学校の先生のような自分の悩みに対して利害関係があるような相手じゃなくて、ちょっと離れた位置にいる大人の言葉が助けになる事があるなと思います。
ジェレミー先生は普通の学校の先生とは違う立ち位置ですし、塾や習い事の先生位の距離感かな、と(恋愛関係になった人を何組か見たことあります♡笑)。
このエピソード、柊さんの真骨頂だなと思いました。
作者からの返信
葵さん、コメントありがとうございます。
このエピソードはこの小説の中でも一番自分らしい部分が出ていると思うので、真骨頂というお言葉が嬉しいです。
「寄り添いつつも視野を広げられるような言葉」は当人同士の距離感が鍵になりますね。親でもなく、担任でもない研修の先生という立場がほどよいというか。同じ言葉で言いたいニュアンスが的確に伝えられることも大事かも知れませんね。
誰かの為に存在できる。
人としての最高の喜びだと思うのです。二人の出逢いは、絋一君だけでなくジェレミー先生にとっても素晴らしいものだったはず。
人が人を好きになることに理由などいらない。ルールも様式も不要。
愛おしいという気持ち。
その人の為にありたいという気持ち。
人が持つ最も美しく崇高な心を響かせ合うことに、一体なんの制約が必要だというのか。
世界がぱあっと広がったように思います。
柊文学の底力、思い知りました。参りましたっありがとうございます!また今日も、新たな生を得た気分です!
作者からの返信
少しずつ距離が縮まるにつれて、紘一の心の中でも先生への距離が縮まって、ついには恋を自覚せざるを得ませんでした。
ジェレミー先生はある意味紘一のタブーに踏み込んで自分の考えを言っていますが、それぐらい踏み込んでくれる人ってなかなかいるものじゃなくて、だから余計心を動かされるし信頼が強まると思います。
そうして踏み込んでくれるのも、この子のためを思っての先生の誠実さだと思います。
そうすると柔らかい少年の心はぐんぐん傾いてしまいますね……
このエピソードからここまで思いを馳せて頂けることに感謝です。本当にありがとうございます!
編集済
>僕は日本語が大好きだ。音も、形も、美しい言葉だ。
この言葉を読んだとき「ジェレミー先生、そう仰って下さってありがとうございます」と心の中でお礼を言っていました。
これは私の周囲の人たちに対する感覚なのですが、日本語というのは単なるコミュニケーションツールであって、相手に伝わればそれでいいと思っている節があるように感じます。
それも当然と言えば当然ですけれど、こうやって外国人の視点で日本語の良さを語られると、日本人が忘れがちになっている日本語の美しさを共感できているようで嬉しくなります。
>君が日本人を嫌いになるのは分かる。ひと握りの人間のせいで、その国の人間すべてが憎くなる気持ちも分かる。
言葉は使う人の性格が出ますよね。私自身、人のことをとやかく言えるほどきちんとした日本語を使えているかは分かりませんが、ジェレミー先生のように相手に温かな言葉をかけられるようになりたいなと思います。
作者からの返信
ジェレミー先生のセリフに注目していただけて嬉しいです。
生まれてからずっと使っている言葉って、どうしてもただの道具になりがちですよね。あとは面倒くさくて適当に使ったり。先生のように母国語でないからこそ、言葉の良さを味わったり感じたりできるのかも知れません。
フランス語も同じで、一般的にはきれいな言葉ってイメージがありますが、使いようでいくらでも汚くなりますからね。その部分だけを切り取ると、紘一のようにその国の人間まで嫌いになることもあると思います。
秘密の庭。響きがいいですね。
でも、ジェレミー先生は研修生なんですよね? どれくらいの期間いるんだろう。やっぱり終わりがありますよね。
でも、離れてもこの秘密の庭を共有した思いともらった言葉は、しっかりと胸に刻まれてますよね。
いなくなったあと、頑張っていけるといいのですが。
作者からの返信
庭という言い方が個人的に好きです。自分の大事なものが育ってく感じがして。
仰るとおり先生は研修なので、ずっといるわけではありませんね。この回で先生が言うセリフは自分の中で強調したい部分でした。言葉には罪はなく使う人次第だということ、紘一も胸に刻んでくれたと思います。