三章9 『それは命令』
「今日から少しの間、お世話になる」
そう言ってアイスが部屋にやってきた。
「……なんで?」
「一週間から、一ヶ月ぐらい」
「いやいや、そうじゃなくて」
淡々と話しを進めていくアイスを手で制して、俺は再度尋ねた。
「ここは女子寮の一室で、今は俺の部屋だ。そこにアイスがやってくるのは、普通なら不思議じゃない」
「うん」
「でも、なんで今なんだ?」
「というと?」
「お前が学校に通い始めてから、一週間は経(た)ってる。その間だって、どこかに寝泊まりしてたんだろ?」
アイスはこくりとうなずく。
「だったらなんで、今更(いまさら)寮に――しかも期間を決めて、住もうってんだ?」
「お世話になってた人が亡くなったから」
予期せぬ返答に俺は「えっ……?」と目を見開いた。
「だから、少しの間ここにいさせてほしい」
「……すまないな、踏み込んだことを聞いちまった」
「気にしなくていい。住まわせてもらうのだから、事情を話すのは当然」
「そう言ってもらえると助かる」
俺はドアの前から退(ど)き、室内を手で示した。
「さあ、入ってくれ」
「お邪魔します」
「今度からは、ただいまでいいからな」
「ありがとう」
アイスは大きめのキャリーバッグを引いて入ってきた。1900年代にも使われていそうなクラシックなデザインだ。
彼女は部屋をぐるりと見回し、首を傾(かし)げた。
「……あれ?」
予感はあった、悪い部類のだ。それでも俺は自責の念に背を押されるように訊いていた。
「どうしたんだ?」
「ティアは?」
「……もう、いないんだ」
自分の声が、他人のもののように聞こえた。
「そう」
アイスは一度うなずいたきり、深くは訊いてこなかった。
「荷物はどこに置けば?」
「服はあそこのウォーキング・クローゼットが空(あ)いてるから、そこにしまってくれ。机はティアが使ってたあれだ。本があるなら、ひとまずは俺の使ってるのと共同にしてくれればいい」
「わかった」
アイスはクローゼットに向かい、中に入った。
ここにいても邪魔になるだろうと思い、俺はクローゼットの中にいるアイスに呼びかけた。
「ちょっと外に出てくる」
アイスのうなずきを見た後、俺は部屋の外へと出た
●
中庭で俺とアイスは並んで座っている。
俺の発した問い。
――可愛いってなんなんだろうな?
それが宙に消えてから沈黙が続いていた。
空は青から茜(あかね)に変わりつつある。
充電の切れたスタホの画面はいくら電源ボタンを押してもつかず、暗いままだ。
アイスは無感情な瞳で虚空を眺めていた。そこに何があるのか――聖霊でもいるのかは俺にはわからない。
俺はまだ、彼女の投げかけてきた問いに答えていない。
――わたしのことは好き?
それはおそらく、俺が口にした『可愛い女の子が好きだ』という言葉を受けてのものだったのだろう。
答えは言うまでもない。
俺はアイスが搭乗している間に暴走したのだ。
彼女のことを可愛く思っている――好きだという何よりの証拠である。
しかしだからといって暴走せずに済んだティアのことを可愛く思っていないかと言うと、そんなことはない。
だからわからない。
俺にとって可愛いって、なんなのだろうか?
好きとは一体?
自問はさながら迷宮。答えへの道筋は皆目見当もつかない。
ふいにアイスが手を握ってきた。
冷たい手だ。考えすぎて熱くなった頭が冷えていくような。
俺はその手を握り返した。
肩に重みを感じた。心地よい、安心するような重み。
見やるとティアが頭を預けてきていた。
そのままの格好で彼女は言った。
「答えなくていい」
「え?」
「わたしの質問。答えなくてもいい」
「……でも、気になったから聞いてきたんじゃないのか?」
「もう、いいの」
アイスはすっと目をつむる。まつ毛がまるで蝶が羽を休めるかのように伏せていく。
俺はそっと彼女の頭を撫でた。
艶やかな髪は、触り心地がよく滑らかだ。
初めて会った日から、俺はアイスの髪が好きだった。
この髪をこれから毎日見られるのだと思うと、嬉しくなった。
●
夕食を終え、部屋でくつろいでいると突然スタホが鳴りだした。
着信音で電話がかかってきたのだと知る。
画面を見やるとエンジュの名前が表示されていた。
もう午後十時である。電話をかけるのは少し非常識的な時間なのだが……。
やれやれとため息を吐きつつ、回線を繋いだ。
「はい、もしもし?」
『天神、そこにアイスはいるか?』
藪から棒だと思いつつ、ちらとソファの上を見やった。
「……知ってるのか?」
『生徒の状況を把握するのが、教師の仕事の一つだ』
「生徒を本人の了承も得ずに、勝手に女体化することも?」
『気に入ってるんだろう?』
「まあ、わりかし」
軽く鼻で笑われた。どうやら機嫌がいいようだ。
「用件は?」
『今から学校まで来てくれ』
「女の子にこんな時間に外出しろと?」
『そっちに車を行かせた。そろそろ到着するはずだ』
とエンジュがいったと同時に、ドアがノックされた。
アイスがドアを開くと寮生の一人がおり、彼女に言った。
「学園長の使いの人が、アイスちゃん達を呼んでるよ」
俺は薄ら寒い感覚に襲われつつ、エンジュに言った。
「計(はか)ったのか?」
『何をだ?』
沈黙。単なる偶然……なのだろう、きっと。
「わかった、アイスが了承すれば行こう」
『了承するさ、きっと』
そう言って彼女は一方的に電話を切った。
妙に確信に満ちた口調だった。そこには一片の疑いも混じっていない、純粋な自信だけが存在していた。
そしてその予言は的中した。
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