三章8 『センチメンタル』

 物憂げになりがちな午後、俺は教室で授業を受けていた。

 板書中心の内容は催眠波を送られているかのように、眠くなってくる。


 教師は睡魔の働きを促進するかのような声音で説明を続ける。

「えー、つまりですねえ。呪力は自身の気持ちの高揚によって全体量の上限、回復量が増大され、反対に鬱状態になると減少するんですねえ」

 それならば、模擬戦の時に俺の呪力がもうちょっとだけ増大していれば、倒れずに済んだのだろうか?

たとえばティアの可愛さにもっと興奮して、気分が高揚していれば……。

「しかしですねえ。呪力は増大しすぎれば、所有者の意識を混濁へと陥(おとしい)れてしまうんですねえ。そうなれば暴走してしまいます」


 幾人かの視線が俺に向けられた。

 ……そんな上手い話はないということか。


 いや、でも。

呪力が増強しても、俺がどうにか意識を保っていられれば。

 どうにか、なっただろうか……。


   ●


 寮の庭には、大きな木が一本ある。

 周囲が桜の花を咲かせる中、その一本だけは青々とした葉をすでにつけている。

 俺はその幹に背を預けて、手に持ったものを頭上に掲げるようにして見やっていた。


 携帯端末――スターフォー・スタホである。

 今日招待されたルームという場所のチャットは、俺の話題で持ちきりだった。

 タイムラインが『天神が可愛い』『天神くんってマジ女の子』みたいなコメントで埋め尽くされている。

 当人である俺は、終始戸惑い気味である。

 何を打てばいいかわからず、『そんなことないよ』とか、『○○さんの方が可愛いよ』みたいな文ばかり返している。自然と他の女子と同じように絵文字や顔文字ばかりつけているのに気付いた時には思わず赤面してしまった。


 どんどん女の子になってきている――身はもとより、心も。

 もしもこのまま自分が変わり続けたら、どうなるのだろうか?

 きっと女の子が好きだという根の部分は変わらないと思う。

 でもそれ以外は……。


 ふと、足音が近づいてきてるのに気が付いた。

 顔を上げると、制服から黒い着物に着替えたアイスが傍に立っていた。

「……ソアラ」

「おお、アイスか」

「こんなところで何してるの?」

「んー、SNS」

「えす……?」

 首を傾いだアイスは、ちょっと間を置いてぽんと手を打った。

「あ、手紙」

「手紙?」

「そうみんなが言ってた」

 会話の内容を頭の中で総合してまとめてみる。

「……もしかしてお前、スタホ持ってないのか?」

「うん。……どうしてわかったの?」

「今時、SNSを手紙なんてたとえるヤツがいたら、そりゃな……」


 アイスは小首を傾げたが、まあいいやという感じで戻り、俺の隣に腰を下ろした。

 彼女の着ている黒い上着に緋袴の着物姿を見やり訊いた。

「最初に会った時も着てたけど、なんかちょっと暗いというか……まあ、珍しい格好だよな」

「これは聖霊領域の巫女服」

「え、巫女服? でも上着は黒いじゃないか」

「でも巫女服」

「そうなのか……」

「そう」

 こくこくとうなずくアイス。

「じゃあ、アイスは巫女なのか?」

「聖霊領域の統領は、聖霊に仕(つか)える存在。だから巫女服」

「なるほど……」


 しげしげと見つめる。

「……似合ってるな。可愛い」

「そう?」

「ああ。黒い髪上着、白い肌にと紅い袴。なんかこう、色合いがきれいだよな」

 言ってて気づいた。

 自分の褒め方がなんか、以前と違うかもしれない……と。

 前だったら何はともあれ、容姿の方について言ってたと思うのだが。


「そう?」

「うん。似合ってる。可愛いぞ」

「……ありがとう」

 俺を見上げてぽつりとアイスは言った。


「それにきちんと着物を着こなしてるし。意外としっかりしてるよな、お前って」

「そうかもしれない」

「……謙遜しないんだな」

「した方がよかった?」

「いや……」

 なんか、アイスと話すとちょっと調子が狂う。

 でも悪い気はしなかった。


「アイスと話してると落ち着くよ」

「ふうん」

「昔から、お前みたいなヤツが傍にいてくれればよかったんだけどな」

「わたしも思う」

 アイスはじっと俺の目を見てくる。

「ソアラがいてくれれば、よかった」

「アイスは育ちには恵まれてそうだと思ったけど」

「でも、ソアラと話すの楽しい」

 淡々とした物言いだけど、彼女は嘘をついていない。なぜかそう信じ切れた。


「ソアラは?」

「うん?」

「どんな環境に囲まれて育ったのか、知りたい」

 一瞬、アイスの姿がティアと被って見えた。

「……そんなの知ったところで、どうするんだよ」

「知りたい」

 揺るぎない強い口調で繰り返された。

 俺の口から、少し大きめのため息が漏れた。

「わかったよ」

 俺はぼんやりと頭の中にルートを思い浮かべて話し始めた。


   ●


「……というわけなんだ」

 俺は隣でちょこんと座ったアイスの方を見やった。

 ちょうど吹いた風が、二つに結ばれた黒髪をなびかせた。

 紅い瞳が見つめ返してくる。暗い闇を讃えた赤色だ。まるで焔が闇を吸ってしまったかのような。

 淡い桃色の唇が開く。


「わたしのことは?」

 無味乾燥な声音だった。

 翻訳サイトの音声の方がまだ感情的だと思えるぐらいに。


 俺が答えに悩んで長考していると、また訊かれた。

「わたしのことは好き?」

 さっきとまったく同じ調子。

 興味というよりは、義務のためという感じだ。


 ただそれは機械的な義務であり、人間が渋々こなすものとは違う。

 面倒臭いなとすら、アイスは思っていないんじゃないだろうか。プログラミングされたマシンがそれに従って行動している。それと大差ないのだろう。


 俺は頬を掻いた。

 頭上の青々とした葉をつけた枝を見上げた。だがそこに答えは実っていない。そっけない青空が向こうにあるだけだ。

 溜息を吐くと同時に、ぽろっと本心が零れ出た。

「可愛いって、なんなんだろうな」

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