一章17 『心の暴走』
滾る血潮に任せて、野獣のごとく大地を駆け回ろうとした、その時。
「――落ち着いて、ソアラ」
体内から響いた無機質な声に、俺の体はビクッと震えた。
熱が徐々に引いていく。
理性が浮力を取り戻し、精神の水面下に戻ってくる。
「あ、アイス……?」
「ん……。大丈夫?」
「あ、ああ。お前こそ、その、平気なのか?」
「何が?」
けろっとした返事が返ってくる。
俺は自分の体内の五感と脳を感覚神経で再度コネクトしてみる。
アイスは平然としていた。
汗はかいている。顔は火照っているし、息は上がっている。芳醇な彼女の匂いで室内は満ちている。しかしそれを苦に思っている様子はなさそうだった。
|そもそも(・・・・)だ。普通の人間なら、すでに異常な室温で逆に顔が青ざめているはずだ。零四の恩恵を受けていた今までの操呪士だって、すべからく倒れていた。
今回はいつも以上にヒートアップしていた。
にもかかわらずアイスは意識を保ち、二本の足で立ち続けている。
なおかつ、俺の体の制御権は今もなお彼女の手に合った。
「……なあ、お前サイボーグとかアンドロイドじゃないよな?」
「違う。正真正銘、ただの人間」
その正真正銘が疑わしいから聞いたのだが……。
「それよりソアラ、外の様子を映して」
「あ、ああ」
俺は身機になってはじめて、外部の資格情報をコクピットへ送った。
その視覚情報を自身へもリンクする。
いかつい体の蒸気野郎。
理科室の人造人間を大柄なヤツに変えて、メタルをベースに骨と筋肉の筋、血管をパイプに置き換えればコイツになるだろう。
パイプは末端が体から離れ、白い蒸気を絶えず吹き出している。
紅い一つ目が、こちらを真っ直ぐに見下ろしていた。
俺の体に搭載されたサーチャーがヤツの情報を読み取っていく。
それをリスト化したものがコクピットに表示され、アイスが目を通していく。
「……推定機体タイプ・パワー型。身長差は約三百メートル。重量は……二十五倍差?」
大きさもデカさも、向こうの方が圧倒的にある。
威圧感というか、プレッシャーが凄まじい。相対しているだけで押し潰されそうな気がしてくる。まるで赤ん坊と大人だ。
今すぐ土下座して直帰したい、と俺はビビっているが。
アイスの感想はたった三文字だった。
「ふうん」
「『ふうん』ってお前……、ずいぶん余裕そうだな?」
「余裕じゃないの?」
俺は耳――いやまあ今はないが、気持ち的に――を疑った。
「サイズというか、スケールが段違いなんだぞっ!?」
「うん」
「まともにやり合って、勝てるような相手じゃないだろッ!!」
「ううん」
淡白(たんぱく)にかぶりを振るアイス。
「……勝算でもあるのか?」
「ソアラは可愛い」
「賞賛じゃなくて……」
「あっ、熱くなった。照れてる」
「人の気持ちをダイレクトに察するのやめてくれないか!?」
と、俺が怒鳴った時だった。
いつまで経っても動かない俺――つまりロボット――に業を煮やしたのか、真正面からデカブツが突っ込んできた。
「うおっ、きっ、来た!?」
「来たね」
と発したアイスは、指揮者――コンダクターのように空中に手を滑らせる。
途端、俺の体が勝手に動き出す。
真横に跳んで回避。一度前転して立ち上がりすぐさま背後を見やる。
タックルを外したデカブツは、何かに蹴躓(けつまづ)いたのかよろめいていた。
そこへすかさず俺の体が全速力で足に体当たりをかます。だがまるで通じている気がしなかった。
アイスは急ぎ俺の体をバックステップからバク転で後退させる。直後に俺の体があった場所に、巨大な拳が振り下ろされる。ピキピキとイヤな音を立てて地面にヒビが入っていく。もしも今の俺が人体の中にいたら、つうっと背筋に冷や汗を流していたことだろう。
「……とっても、ずっしり」
「いやまあ、そうだろうよ!? 重量差二十五倍だろっ!?」
「でも音はよかった」
「音……?」
「あのでっかいロボットの」
そういえば突進した時、妙にカツーンといい響き方をした気がする。
まるで自販機のあったか~いのアルミ缶を勢いよく叩いた時みたいな感じの。
アイスは考えをまとめるようなゆっくりした口調で独(ひと)り言ちた。
「あの大きさで俊敏な動きができていて、なおかつ攻撃力がある。もしかしたら外装が固いだけで、中は空っぽなのかも」
「まあ、よくあまりにもデカいものが平然と歩けてるのはおかしいって、空想的な化学で批判されてるのはたまに見るけど……」
「威力の高い攻撃を叩きこめば、簡単に倒せるかも」
「言うは易く行うは難(かた)しって言葉、知ってるか?」
「大丈夫。ソアラ、早かった。力もきっと、すごい」
「信頼してくれるのは嬉しいが、過度な期待は重荷にしかならんぞ?」
「大丈夫。わたしも一緒に背負うから」
その一言に、自分の体がぶわっと熱くなるのを感じた。
妙に視覚情報が、アイスの汗だらけの無表情な顔に集中してしまう。
紅い瞳の視線と自分の視覚情報集積線を絡めてしまう。
え、っと……?
今のなんてことない一言に、俺は……何を思った?
バクッ、バクッ、と自身の心臓を空耳で聞く。
アイスが、一緒に……重荷を背負ってくれる。
そう思うだけで俺は何をこんなに動揺しているのだろうか?
なんでこんなに、……嬉しいんだろうか。
俺は突(とつ)として、アイスを膝枕した時の重みを思い出していた。
これは……なに?
抱きしめたい、じゃなくて……抱きしめられたい。
アイスに、ぎゅって抱きしめてほしい。
彼女の姿に、見とれてしまう。
可愛いと思う。
だけど、それだけじゃない。
汗を流して立つ姿から目が離せない。
立ち居振る舞いが、所作の一つ一つが脳裏に焼き付いてくる。
感情の薄い面持ちに、心が揺れ動く。
「……どうしたの?」
「えっ……!?」
「急に黙っちゃったから」
「……あ、う、ううん、なんでもない」
首を傾いでいたが、アイスは特にそれ以上は訊いてこなかった。
「そ、それよりも、威力の高い攻撃って、どうするんだよ?」
「……聖霊」
「いや、ここは聖霊領域だろ」
「違う。力を借りる」
端的な言葉から真実を汲み取るのは、常人の俺にはちょっとばかしキツイ。
さらに問うてみようとしたが、その前にアイスが俺の体を動かし、何やら唱え始めた。
「――聖霊よ、我の呼びかけに応(こた)えよ」
と、唱えるやいなや、俺の眼前の空間がぼうっと霞(かす)み――ちょうどできそこないの心霊写真みたいな――、段々とそれは人の姿に変わっていった。
ソイツは白い布を被った女性だった。
美しい、と思った。肌は健康的に白く、唇は紅く引かれている。顔立ちがよく、目元もすっきりとしている。
重厚な和風の甲冑をつけ、袴のような形状のロングスカートを穿いている。
腰には長い刀を差している。鞘は黒く地味で、装飾などはほとんどついていない。
女性の格好は全体的に白と黒色が多く、それゆえに肩についている黄金の龍の飾りが目についた。
彼女が白い布をフードのように後ろへ外すと、一つ結びされた艶やかな黒髪がさらりと後ろに流れた。
その動作は洗練されており、絵になるなあと心を奪われかけた。
女性は宙に浮いたまま虚空に膝をつき、頭(こうべ)を垂れた。
「……上杉謙信、召喚に応じて見参いたした」
目の前の行為系に混乱しかけたが、その前にアイスが答えた。
「うん。わたしのことはわかる?」
「聖霊領域の次期統領様であるな?」
「そう。そろそろお顔上げてくれる?」
「おう」
上杉は顔を上げてこちらを見てくる。
その背後から、デカブツが前のめりに突進してくる。
「うぉっ、きっ、来たぞ!?」
「謙信、ちょっと武器になって」
コンビニでおやつ買ってきて、みたいなノリでアイスが言った。
耳を疑ったが、上杉は鷹揚(おうよう)にうなずいた。
「かしこまりつかまつった」
上杉は手を組み、目をつむる。
途端、彼女の体からふわりと青い光玉が立ち上りだした。
それは風に乗ったように流れ出し、俺の左手に集まってくる。
「一旦、回避する」
アイスが言うなり、俺の体は横へと跳んだ。
手に集まりつつある青い光もついてくる。
寸刻前にいた場所を、デカブツが肩で空を突き破るかのように直進する。
しかしターゲットを捕らえ損ねたヤツはまたもや態勢を崩しかける。
人並みにゲーム知識を蓄えた脳が「ああ、あれがアイツの弱点か」と膝を打った。
突進を躱した後、デカブツには隙が生まれる。後はそこに有効な攻撃を叩き込めれば倒せるだろう。
その武器が今、俺の左手に構成されつつあった。
それは細長く、緩やかに反り返っている。
上弦が薄く、下弦が厚い。
握り手らしき場所は楕円の柱となっている。
この形状、見覚えがある。
段々と色づき始めるにつれて、予感は確信に変わった。
これは――剣。
かつて日本の戦士が使っていた、近接戦闘最強と言われた武器。
侍と呼ばれし者は誰もが有していた。
大和魂の象徴でもある、日本刀だ。
巨大化した俺でも扱えるほどデカい。
刃は清冷なる光を放ち、切れ味の鋭さを物語っている。
手に取った瞬間、上杉謙信の意思が流れ込んできた。
「我が愛刀――小豆長光を模した姿を取らせてもらった」
小豆長光――触れたものを全て断ち切り、または脳天をかち割るとの説も持つ、幻の刀。
現在は行方が知れず、実物を見ることは叶わないが……。
「まさか、こんな形で見ることになろうとはな」
「……謙信。あなたは、あのロボットを断ち切ることができる?」
「次期統領の腕と、その身機の力があれば可能である」
やや挑発的な物言いに、アイスは淡々と返した。
「じゃあ、勝てる」
俺はサーチャーを使い、デカブツの弱点を精査した。
エネルギーの流れが見える。それが生成されている場所は――
「アイス、あのデカブツの胸のど真ん中。そこを狙え」
「わかった。ありがとう、ソアラ」
俺の手が刀を握り直す。
視線が真っ直ぐデカブツの姿を捉える。
一つになっていくような感覚があった。
俺とアイスが、身も心も重なり、溶け合っていくみたいな。
腰を落とす。
正眼に構えた刀の切っ先をデカブツへと向ける。
すっと息を吸い。
彼女は宣言した。
「聖霊領域、次期統領。愛洲智流(あいすちる)――参る」
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