第63話 アディショナル

 閉会式が近い。実行委員が慌ただしくセッティングしているのを離れてぼうっと眺めていたところ、後ろからぽんと肩を叩かれた。


「考えごと中だった?」

「……ん、いや、放心中。ずっと気を張ってたから、解放感でさ」


 話しかけてきた芦屋と横並びで、撤収作業を見つめる。思えば彼女にはかなり世話になった。ここで作った借りをどう返したものだろうか。


「ありがとう。僕一人じゃ全然上手くいかなかっただろうから、ものすごく助かった」

「どういたしまして。それから、優勝おめでとう」

「ほとんど竜也の功績だけど」


 クラスの男子とあれこれ受け答えし、女子からきゃーきゃー言われている竜也を遠巻きに眺める。高校では鳴りを潜めるものかと思ったが、そうは問屋が卸さないらしい。あいつもあいつで色々背負って大変だなとは思うが、そうなるように導いたのは僕だ。他人事のように語ってもいられない。


「香月くんが発破をかけて、香月くんがアシストしたのに?」

「主役を張るには僕程度だとちょっとな。人気者の苦楽は、竜也に全て任せることにしてる」

「もう少し欲を出しても許されると思うけど……まあ、それがあなたらしいわね」


 芦屋は納得したように呟いて、愛玩動物を愛でるときの表情で「ふふっ」と笑った。なんだそれ、なんだその目。


「ああ、そう言えばすずは? ちらっと見えたけど、君ら一緒にいたろ?」

「さっき別れたわ。香月くんの勇姿は最後までばっちり目撃していたからご安心を」

「いや、ほんとだよ。無様晒さなくてよかった。……なあ、すずの奴、なにか言ってなかったか?」

「なにかって?」

「限定はしないんだけど……とにかくなにかとしか言いようがないな」

「……………………うーん。思い当たる節はないかも」

「そうか。……そうか?」


 なにもなかったにしては少々思い返す時間が長すぎた気がしないでもないが。

 ただ、芦屋が嘘をつくことで得られるメリットがあるとも思えず、ひとまずその言葉に頷いた。


「そういえばさ、氏家さんをどうやってここまで引っ張ってきてくれたんだ? 自分の意思で遠ざかってたのは明白で、頼んだ身で言うのもなんだけど、相当厄介な願いだったろ?」

「ああ、それは――」


 芦屋が語り出そうとしたときに、生徒指導が整列指令を出した。ひとまずお預けで、放課後にでも聞くと仕様。……ああ、でも、竜也ともするべき話があるし、どれから優先するべきか。


「――長引きそうだし、夜にでも電話するわ。香月くんも疲れたでしょう?」

「助かる」


 解決策は先んじて芦屋が提示してくれた。僕はありがたくそれにタダ乗りさせてもらおう。既に襲ってきている筋肉痛と戦いながら、これから長引くだろう閉会式を思って気を落とす。僕の一日は、まだまだ終わらない。

 


********************


 今日ほど、道行く老人の杖が羨ましいと思った日もない。パンパンに張った脚はつついただけで弾け飛んでしまいそうで、あちこち庇った変な歩き方を見るたび竜也はけらけらおかしそうに笑った。


「死、だなあ……」


 全日程を消化しての放課後。友人と二人並んで歩く帰路。そこにふさわしくない死という単語。

 無論、体調のことを言ってはいる。……ただ、話はそれだけで収まるということもなく。


「さっきの今で目立つなって方が無理だよ。大はしゃぎの代償とでも思って、胸張って歩きな」

「いや、今胸張ったら関節の痛みでそのままお陀仏……」


 呻くように言う。僕の体がこんなだから歩行ペースは普段よりはるか遅く、そのせいもあってか後ろから続々と下校生徒の集団に追い抜かれ、あからさまに顔を確認され、陽気そうな人たちからは「見たぜ!」とサムズアップまでされた。そのたびどうもどうもと首を折り曲げているから、本日消耗していないはずの肩まで凝ってくる始末。


「しばらくは有名人だ。香月が一番不得意そうな役回りだね」

「僕の見立てじゃ、決勝ゴールを決めた君が全ての話題をかっさらうはずだったんだが」

「まあ、予選での活躍もあるし、そもそも香月は今日以前からちょっとした噂になってたし」

「今日以前?」

「芦屋さんの彼氏疑惑。わかりやすい特技もバレたことだし、格的なつり合いも取れるようになっちゃったね」

「そういやあったなそんなんも……」


 詰めの甘さが全面に出た。思えば、先ほどグラウンドで芦屋と話していたときもいくつか視線を感じた気がする。あれはつまり、目立つ容姿の芦屋を見ていたわけでもなければイタいやんちゃをした僕を見ていたわけでもなく、僕ら二人をニコイチで認識していたのか。……面倒ごとを片付けたそばから、また新たな厄介ごとが舞い込んできてないか、これは。


「うーん、死……」


 テンション任せでいろいろやるものじゃないなと反省しつつ、まあ、噂なんて早々に色褪せるに違いないと今だけは楽天的になることに決めた。糖分が足りない。思考するだけの燃料がない。


「それで、香月的に今日の結果は何点だったわけ?」

「百点……とは言えないな。だからと言って及第点ギリギリとも思わない」

「よくできましたってことか。……そっか」


 言って、竜也は古傷のある膝をぱんぱん叩いた。その行為にどういう意味があるかはわからなかったが、やるからには必要なことだったのだろうと思って無言で見つめる。

 

「痛みは?」

「おかげさまで。十分くらいしか動いてないから、香月の筋肉痛の方が酷いと思うよ」

「ならいいんだ。うん。いい」


 明日明後日にはマシになる僕の一過性の痛みと、竜也がこれから一生付き合う痛みとを同列になんか比べられない。これに関しては、僕が傷つく方がよほどいい。

 

「繭香を呼んだの、香月だよね?」

「ああ。この前ボロクソ言われて、僕もちょっと腹立ってたんだ。少なくとも、今の竜也を見てから文句言えよってさ」

「ほんっと、面倒というか、律義というか……」

「これでも友達思いで通ってる。……余計なお世話だとはわかってたけど、じゃあ黙っていられるほど利口かと言われればそんなわけはなくてな」


 だから、お節介を焼いた。これで彼らの関係が悪い方向に転がったら、そのときはまた体を張ろう。そういう関わり方しか知らなくて、そういう形でしか責任が取れない。……竜也だって、それを理解したうえで僕と付き合っているはずだから。


「……キラキラした自分じゃなきゃ、ダメだって思ってたんだ」


 いつだったか――そうだ、つい先日に竜也を家まで送り届けたとき、同じ言葉を聞いた。結局どういった意味なのかはここまで聞きそびれていて、だから、知るなら今しかない。


「君にとって、それは何事においても余裕を崩さないで、飄々としていることだったんだろ」

「ああ、そうだね。そういう俺を見てもらってるって、ずっと信じてた」


 誰に、なんて聞かない。浮かぶ顔も名前もただ一つで、僕らの間には合意が取れているから。


「なんでもできる万能な自分。それさえあれば、離れることなんかないと思ってて――ただ、ある日突然万能ではなくなって」


 また、傷口を叩く。その怪我が彼の人生設計にどれだけ大きな影を落としたか、僕では推し量れない。それに代わるものは、僕の持ち物の中には存在しない。

 

「……折り合い自体は付いたんだ。香月に容赦なく首を落としてもらって、これなら仕方ないってちゃんと納得した。現役を諦める覚悟はできた」


 でも、諦められたとて、そこに生まれた穴をどうやって埋めるかまで決まるはずがなく。


「人間的な魅力をどうすれば保てるか考えて、知り合った女の子とあちこち遊び歩き始めて。――せめてそうすれば、男としての箔はつくかなって」

「でも、そうじゃなかったっぽいな」

「うん。一回酷い大げんかして、それっきりずいぶん疎遠になった気がする。近所で会っても目を合わせない。親が話題に出しても適当に流す。……なにやってるんだって感じだけど」

「……振り返れているうちは、まだなんとかなるさ」


 今日の君を見て、なにも感じなかったなんて言わせない。強情に本意も真意も隠し通すと言うのならば、そのときこそ僕の出番だ。僕は倫理的、道義的に正しい方ではなく、あくまで竜也の味方をすると決めているのだから。


「……近いうち、ちゃんと話してみるよ。失ったものがそう簡単に戻ってくるわけはないだろうけど、ちょっとずつ地道に」

「それが良い。……あと、これを機に女との接触は減らしていけよ」

「……近日中にデートの約束あるなぁ」

「やめとけマジで。言葉で誠意示す前に身辺整理しとくのを強く推奨する。言わなくてもわかると思うけど、突如全部すっぽかして音信不通にするのは絶対やめとけよ。一歩まちがえば刃傷沙汰になるんだから」

「……了解」


 竜也は割と本気で嫌そうな顔をしながら、指を一本二本と折ってぶつぶつ呟いている。どれだけ先約があるのだと友人の環境に恐れおののいて、そこでふと、後回しにした話があるのを思い出した。


「そういえば君、なんで僕を巻き込んでサッカーで参加しようと思ったんだ? 別に、あの段階じゃなんでもよかったわけだし」

「ああ、それ?」


 竜也は手で顎のあたりをいじりながら、「どう説明しようか……」と悩んでいる。それほど難しい質問には思えなくて、変な聞き方をしたかと自分の発言を振り返るも、やはり特別には感じられない。


「結構遡って話さなきゃいけないな。……いつだったかにさ、本気でやって負けたことなんかないって香月に言ったと思うんだけど……ごめん、あれ強がり」

「なにに負けたんだ?」


 問う。すると間もなく、僕の鼻のあたりに竜也の人差し指の先端が向いた。


「俺のこと覚えてなかったみたいだから咄嗟に嘘ついたんだけどね。……小学生の頃の大会で、俺は香月にコテンパンにやられてるんだよ。言い訳なんかできないくらいズタボロにさ」

「あー……」


 たぶん、一番余裕がなかった時期の話。楽しむことなどもはや二の次三の次で、とにかく勝つことを優先していた息苦しい僕に、竜也は敗れたのだろう。

 アレを敗北にカウントされてはこちらも困るものの、当人が認めている以上は容易に覆せない。黙って続きを聞くのが賢明だ。


「それで、俺は子ども心に思ったんだ。『こいつが同じチームだったら、きっと楽しいだろうな』って」

「……とんでもない皮肉だ」

「だね、まあ、香月の事情を知る前だったから」


 それで言うと、僕は竜也を失望させたかもしれない。そんな心構えの奴に一瞬でも後塵を拝したとなれば、屈辱以外のなにものでもないだろう。

 ただ、竜也はそう結ぶつもりはないらしく。


「本当だったら、ちゃんとした公式戦が良かったんだけど。……まあ、球技大会だろうがなんだろうが、一度でいいから同じユニフォームを着て、同じ方向を見て、試合したかったんだ。……こんなんでも一応、俺は香月のファンだったからね」


 よっ、接着剤。そう言って茶化す竜也を見て、僕は吹き出した。そんなことなら、言ってくれればよかったものを。……ただ、素朴な願いや欲求に限って、口に出そうとすると難儀なのだ。人は面倒くさいなぁと自嘲し自戒し、僕はファンサービスをすることに決めた。


「来年も再来年もある。……同じクラスかどうかは知らないけど、もし違ったらそのときはまた別の機会を作ってしまえばいい。僕らの仲だ。気兼ねすることなんかなにもない」

「そっか。うん。良いな、それ」


 言って、笑って。長く僕らの間にあった見えない溝が、ようやく埋まり切ったような気がした。

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