第46話 変化に付きまとう

「おー、やっぱかなり動けんのな」


 久留米の声が真上から聞こえる。差し出された手を取ることで、僕はようやく地に足をつけた。背中についた砂を払うも一部は染みになっていて、洗濯が面倒そうだ。


「全然だよ。体力不足で体ふらふら」


 まだ息は整わない。運動らしい運動をしばらくしていなかったせいで、体が思い通りに動いてくれない。そのもどかしさに唇を噛みつつ、しかし全ては怠慢の代償だと諦め、手を膝につけ深呼吸。

 すると、会話する僕らに近付いてくる人影が一つ。


「そんなものか」


 新浜は呆れたような、それでいてがっかりしたような表情を浮かべながら、たった一言だけ告げた。その物言いに対し思うところがないわけではなかったが、僕が言い返すより先に久留米が動いた。無言で近付き新浜の頭にチョップをかまして、「現役が帰宅部に全力スライディングしてんじゃねえよ」と忠言。しかし新浜はその言葉に耳を傾けることなく、僕を見てもう一度言った。


「そんなものだったのか?」


 こればかりは、代名詞の共有ができていた。『もの』は『実力』で置換できる。さっきの醜態が僕の全てなのかと、彼は問うている。

 ここまで来ても、僕は新浜創健なる人物についての記憶に思い当たりはない。どうしてこれほどまでに固執されているか、さっぱり心当たりがない。

 だから、どう返すのが正しいか考え、しかし思考を途中で放棄し、半ばヤケクソで彼の横を通り過ぎつつ言った。


「君の見たままだろ、きっと」

「…………」


 それ以上の追及がないのをいいことに、さっきから地べたに座り込んで動く気配のない竜也のもとへと歩みを進める。後方から視線を感じはするものの、見るだけなら勝手だ。どうしてか一歩一歩が重苦しくて面倒で、こんなことなら今日は家に篭ればよかったと今更ながらに後悔する。球技大会で無様を晒そうが、元から大して期待をかけられていない僕にはどうでもいいことなのに。


「酷い顔だね」

「お互い様。脂汗出てるぞ」


 へたりこんだ竜也の顔色が優れない。さきほどからずっと、なにかを誤魔化すようにふくらはぎのあたりをつねっている。視線で「立てるか?」と問うたら首を横に振られたので、仕方ないから肩を貸す形で強引に体を起こした。


「悪いね」

「それ、なんに対しての悪いね?」

「こうやって手を煩わせてるのもそうだし、不本意に頑張らせたのもそうだし。カッコ悪いなあ、お互い」


 竜也は自嘲気味に笑うと、異変を察知して走ってきた久留米に「足捻っちゃったから今日は帰るね。香月に肩借りて」と告げ、どうやら僕を巻き込んで退散するつもりらしかった。まあ、その方が竜也と話す時間が取れそうだったので僕も「そういうことだから」と追従し、端に避けてあった荷物を抱えてグラウンドを後にする。

 振り返る。一瞬だけ新浜と視線がぶつかって、しかし今回は向こうから逸らされた。


********************


 道路の継ぎ目にある位置を通ったのか、バスが大きく縦に揺れた。昼過ぎのはっきりしない時間帯ということもあって、乗客はほとんどいない。それかバス産業自体が斜陽なのかもしれないなと思いつつ、前の座席に体重をかけた。


「病院行かなくて大丈夫か?」

「行ってどうにかなることじゃないし、家でゆっくり休むのが一番だね」

「そうか」


 バス通学の竜也に付き添う形で、車両に揺られること二十分。会話らしい会話はやはり生まれず、昼下がりの気だるさにそのまま溶けてしまいそうだった。聞きたいことはいくらでもあるのに、どう聞くのが正しいかはっきりしない。今日までずっと、手をこまねいている。


「そういえば、僕の家に来ることはあっても、竜也の家に行くことはなかったっけ」

「真逆だったしね」


 僕らの家は、中学校を挟んでちょうど同じくらいの間隔に位置していた。ゆえに一緒に帰って途中で寄るなんてことにはならなかったし、僕は積極的に動くタイプではないので場所貸しを名目にして遊ぶときは自宅まで呼びつけていた。


「どんな豪邸?」

「どこにでもある一軒家」

「まあ、見てのお楽しみってことで」


 指示されるまま停車ボタンを押して、簡素なバス停で降車。同じ街に住んでいるとはいえ、ただの住宅街にはなにか特別な用でもない限り行くことはない。見渡す限りが知らないもので満たされている空間にキョドキョドしながら、また肩を貸して歩いた。

 電柱も舗装も、そう古くない。形成されてから十年そこらの住宅地なのだろうと推測。おおかた、子どもがだいぶ育ったのを機にマイホームの購入に踏み切ったとかそんな感じだと思う。無機質なマンション住まいに比べ、一軒家は外装から得られる情報が多くて良い。どんな車に乗っているか、庭先にどんなものが置いてあるか。これだけで、家庭環境は大雑把に予測できる。通りかかる家々の特徴から、ほとんどが子持ちの核家族であることを読み取って、もしかしたら中学の同級生の一人や二人と鉢合わせるんじゃないかとぼんやり考える。


「香月さ」

「ん?」

「わざわざ休み潰してまで外に出るの珍しいよね。今日はなにが目的だった?」

「そう聞く時点でほぼアタリはつけてるんだろ。……別に、僕だってクラスで浮きたくはないからな。行事にはある程度参加しといた方がいいのもわかってるし」

「でも、それだけだったら絶対出てこなかった」

「だろうなぁ」


 竜也はきっと、僕が話をするためだけに出張ってきたのを知っている。知っていてなおこんな問答をするのだから、僕らの仲は面倒だ。


「変わっていく努力が必要なんだろうなとは、前から薄々感じてたんだ」

「いきなり飛躍するね」

「後々つながる。……まあ、すずに新しい理解者作ろうってところから、これまでになかった歯車が回り出したっていうかさ。守破離で言うなら、守のフェーズは抜けたと思うんだよ」

「中学の頃の香月なら、絶対あり得なかったもんね」

「高校生にもなると、嫌でもモラトリアムの終わりが見える。ずっと変わらずいて欲しいって僕の願いが惨めな押し付けに転じるのも時間の問題で、だから、選択肢を増やす必要があった」

「ほんと、香月は涼音ちゃんのためとなると見境ないね」

「親心かなぁ……。まあ、その過程で、どうあれ僕自身の意識もいじらなきゃいけない」

「……それで?」

「いつまでも触れないってわけにはいかないだろ。君の意識とか、感性とか」

「……めぐり巡って涼音ちゃんのために?」

「どうだろう。そうやって理由を他人に押し付け続けるのも違う気がしてる。……まあ、いっつも僕ばっかり喋って君が肝心な部分ひた隠しにするのはフェアじゃないよなと思ってはいた」

「ひた隠し、ねえ」


 竜也はため息まじりに言って、空を見上げた。変わらず太陽は輝いていて、僕みたいなもやしには厳しい。

 

「……香月はさ、繭香と俺にどんなつながりがあるって推測してるの?」

「元カノか、それに近い関係性……って思ってたけど、どうせ違うだろうなって感じてもいる」

「その勘を大切にして生きるべきだね。……といっても、特別名前をつけられるようなものでもないんだ。付き合い自体は古いんだけど、香月と涼音ちゃんを見ていると幼なじみと言うには足りない気がして」

「自分で言うのもあれだけど、僕らを基準にするのがまちがいだな」

「かもね。……そうだな、どう説明しようか」


 これまで避けてきた割に、話すとなったらあっさりだ。どんなわけがあって今があるか、聞き洩らさないようにしなければなるまい。


「……変わる努力って言ってたじゃん」

「ああ、言った」

「俺は、そこで舵取りをミスっちゃったんだな」

「…………?」

「キラキラしてる自分じゃなきゃ、ダメだって思ってたから」

「……………………?」


 いきなりの抽象的な発言に、脳みそが追い付かない。どういう意味か測りかねて、「わかるように言ってくれ」と乞う。


「変化には常々リスクが付きまとうって話。……それで、どこから話そうか。まずは中一の、俺が脚を――」


 語り出した竜也が止まった。言葉も、歩みも、停止した。どういうことかと前を見れば、そこには犬の散歩に出ていた女子が一人。ラフな私服姿ではあるものの、見間違えるということはない。僕は、彼女の名前を知っている。


「……こんにちは、氏家さん」

「竜也……なんで香月も」


 中学の同級生に鉢合わせるかもとは思ったが、それにしたって彼女である必要はあっただろうか。僕は神様の悪戯を恨みつつ、凍りつつある場の空気を大いに嘆くことにした。


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