第45話 杵柄


 淡水魚と海水魚を同じ水槽で飼う人間がいたら一笑に付されること請け合いだが、こと学校という組織ではそれが恒常的に起こりうる。人種ならぬ人格のサラダボウル。犬と猿とが隣り合わせで、いついかなるときも一触即発。

 仕切り板があればいいのになぁと思った。無論、そんなものを人間関係に持ち込めないのは承知の上で。わかり合えそうにない誰かと早々に離れてしまえば、苦痛もストレスも大分軽減して生きていけるのではないかと考えてしまう。


「君、どっかで僕と対戦経験あるの?」

「ようやく……ようやく思い出したか!」

「いや、ただの状況判断だけど……」

「あの雪辱を晴らす機会を、何年も何年も待ち望んでいたのだ……!」

「指示語使われてもなんのこっちゃわかんないんだわ……」


 勝手に盛り上がらないで欲しい。共通認識のないこそあど言葉は八割がたハラスメントだ。会話における置いてけぼり感ほどつまらないものは世の中に存在せず、だから僕は内輪のノリを外に持ち出す連中を苦手としているわけであって……。


「久留米、君からもなにか言ってやってくれ」

「わりーが無理。周り見えてない奴を止めようがない」

「こいつは一体いつ周りを見てるんだよ……」


 自分の進行方向以外にも世界が広がっていることをわざわざ言葉にして教えないと理解してくれなさそうな気配すらある。我が強いのはスポーツマンとしては有利に働くこともあるのだろうが、落ち着いたコミュニケーションを求める僕みたいなのからすると厄介でしかない。

 新浜は僕の言葉に耳を傾けることなく伸脚運動で体を慣らし始めていて、やる気というやる気が有り余るまま周囲に飛び散っていた。お願いだから自分の中に収束させてほしいものだが、聞いてくれる雰囲気じゃない。そもそも部活上がりだろと文句をつけたいが、そこから会話に発展したら面倒。


「いやー、普段はさすがにここまでじゃないんだよ。扱いづれーなって思うことはあっても、なんでかんでどうにかなることの方が多いし。ただ、香月の名前が出ると途端におかしくなって」

「よっぽど僕にトラウマ抱えてるんだな」

「言っちゃ悪いが、香月ってそんなにすごい奴だったようには見えねーな。こんなんでも、ケンは技術に関しちゃ本物だし」

「駆け出しの出鼻を僕にくじかれたんじゃないか? そういうの、かなり印象に残るし」


 思いがけずに初心者狩りをしてしまったのかもしれない。だとしたら申し訳ない限りだが、それを何年も引きづる粘着性には普通にドン引きだった。ここで一発頭殴ったら忘れてくれるかな……などと不穏な思考が脳裏によぎっている間に、新浜は元気いっぱいにピッチへ飛び出している。どうやら、最初の標的を僕から別人物に移し替えたらしい。


「君から見て、竜也と新浜だったらどっちが上?」

「今にわかんだろ」

 

 暇つぶしがてらぽんぽんと膝でボールを弾ませ続けていた竜也のもとに新浜が突撃。そして、横合いから鮮やかにボールを強奪。竜也は最初茫然とした顔でそれを眺めていたが、やがて状況を理解したようで、今度は攻守交替して新浜の懐に潜る。


「うわ」


 思わず、僕の口から声が出た。さっきまでそこにいたはずの新浜が器用に体を反転させて消え、竜也がらしくもなくつんのめる。本人もなかなかに意外だったようで「おぉ」と感嘆の声をあげた。続けざまに二回、三回とボールの奪取に挑むがその全てが不発に終わって、完全決着。現役の利があるとはいえ、新浜の完勝だ。


「ほらな。ちゃんと実力者なんだよ」

「実力者には人格が備わっていて欲しいと思ってしまうのは、外野のわがままなのかね……」


 竜也を下した新浜は居丈高にふんぞり返り、思いっきり高笑いしていた。どう見えても行儀の良い行いではなく、僕がジャッジなら顔面にレッドカードを叩きつけているところだ。……ただ、その感情は僕の中にだけあったものではないようで、裏からこっそり近づいた久留米が彼の膝を裏から狩って盛大に転ばせ、場に満たされつつあった嫌なムードが弛緩した。上げたら落とすのは鉄則。久留米はよく心得ている。


「おら、お前の気分をよくするために呼んだわけじゃねーぞ」

「痛い! 危ない!」

「イキリどころは弁えとけって言ってんだ」


 久留米は格言めいた言葉のあとに新浜の首根っこを摑まえ、「じゃあ、今から適当に二チームに振り分けるから、実戦形式で練習しようぜ」と全体に言う。まとめ役としての才覚があるのか、みんなはそれにすんなり従った。主力格の連携調整をしたいようで、久留米は彼含めたサッカー部二名と竜也をひとまとめに、そこへおまけとして僕も付け足し、七対七で試合が始まる。この人数だとほとんどフットサルか。

 当然、敵方には新浜がいる。またガツガツ来られたらいやだなとキーパーに立候補したものの即座に切って捨てられ、僕はディフェンシブな位置へ配置。この人数だとボールへ触らずに逃げ続ける体育の授業戦法も使えず、足元に転がってくるボールを手当たり次第に竜也か久留米へパスする無責任スタイルで時間を潰す。長くボールを持つことさえしなければ、誰かさんと直接対決にはなるまい。

 向こうの方がサッカー部員が多いので、必然的にこちらは劣勢。仕方ないことではあるが、完全な素人を混ぜるとどうしてもパスワークは乱れがちになる。久留米を攻めさせるかわり、もう一人の部員はカバーに力を割きがちで攻撃力はダウン。


「さがれさがれ!」


 前方から久留米の声。ボールを奪われてしまったようで、一気に攻め込まれる。本職をマンマークできる体力はないが、チーム内の負担を考えたときに僕が経験者の相手をしなければならないのは明らかで、覚悟を決めて痩身のサッカー部員の前へ立つ。とは言っても、彼らの戦術はボールを新浜に集めることへ徹底しているので、僕は中継潰しの目隠しにさえなれればいい。選択肢さえ削っておけば、後は他がなんとかしてくれる。


「――あっ!」


 声が響く。一瞬のうちにボールは竜也に奪い返され、相手の防御態勢が完全に固まっていないままカウンター。……だが。

 大立ち回りを演じた竜也の様子がおかしいことに、徐々に周りが気づき始めた。

 こんな状況なのにちんたら歩いてドリブルを始めるその様子は、見ようによっては怠慢プレー。

 でも、僕から見れば――


「――チッ」


 思わず舌打ち。攻守が切り替わっているのだからマークはもうどうでもよくて、僕はただ全速力で竜也の傍に駆け寄った。寄って、声をかけようとして、しかしそれを当の竜也に拒否された。


「ナイスカバー、香月」


 涼しげに笑って、へろへろと力ないパスを僕の足元に。それが、竜也の意思表示。なら仕方ない。やるしかないと開き直り、バトンタッチで僕がゴール方向へ走る。昔と比べたらまるで覚束ないドリブルでどうにか進路を切り開き、何人か抜いて、シュート体勢。けれど、数年ぶりのフル稼働に耐えかねた筋肉はそこらじゅうで悲鳴を上げていて、軸足はぐらぐらと不安定。――その隙を後方から猛進してきた新浜に付け込まれ、ボールはクリア。僕は支えを失ってみっともなくひっくり返り、なん十分かぶりに青空と対面した。


「あっつ……」


 全身から湧き出る汗と、あがってしまった呼吸音がうるさくて、そのまま目を瞑った。


「かっこわる……」


 嘲るように呟く。立ち上がるのが、今は億劫。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る